笑顔を、あなたに Ⅱ
「誰が……お前みたいな嘘つきなんかと……!」
全身を汚しながらもレイシーは立ち上がる。擦りむいた膝や肘がちりちり痛むが、まだいける。
「はやくこいつを倒さないと、サンディを、みんなを助けられない……!」
「現実が見えてないようだな。この小娘も、あの年増女も、じじいも、みんな死んださ。よく見てみろ、まだそこらに転がってるだろうよ。なんなら最後に挨拶していくか?」
「うるさい……黙れ!」
まだ動ける。とにかく動かないとだめだ。
「わああああああああああああああ!!!!」
レイシーは闇雲に腕を振り回しながら、剛拳に向かって走っていく。自分はモンスターを倒したこともあるのだ。目の前の男は巨大だが、モンスターに比べれば大したことはない。
「どこで身に着けたかはかは知らんが、お前さんはバカ力だけはあるな。だけどな、そんな力だけじゃあ俺には通用しねえぞ?」
剛拳は感覚を研ぎ澄ませ、冷静にレイシーの動きを見切る。歴戦の傭兵である彼の前では、所詮は素人の振るう未熟な拳に過ぎない。
難なくレイシーの攻撃を避けると、拳を振り切ってがら空きになった横腹に蹴りを繰り出した。鍛え上げられた太い丸太のような足が、少女に突き刺さった。
まるで杭を打たれたような、鋭く重い衝撃が身体を走り抜けた。視点が、脳がぶれる。骨と内臓がびりびりと揺れる。
「あがっ……ぎぃ……」
絞り出したような掠れたうめき声を上げ、レイシーの身体は再び宙を舞った。痛めた内臓が悲鳴を上げ、腹部に苦痛を訴えてきた。息が詰まる。立てない。冷や汗がにじみ出た。体内の全てが鉄線で縛り上げられているかのように苦しい。
「来いって言ってるだろ? 最近の子どもはいう事も聞けないのか?」
男が憐憫と苛立ちの合わさった目でこちらを見下ろしている。レイシーの腰よりも太い腕が伸びてくる。
「あっ……」
痛みで動けないレイシーは為すすべなく両腕を掴まれた。少女の腕は、男の手中にすっぽり収まってしまうほどに細い。そのままレイシーは磔にされたように持ち上げられてしまった。
「放して……」
「この程度は許せよ」
ぐぐ、とレイシーを掴む手に力がこもる。腕が強く締め付けられ、骨が軋み始める。
「あ……だめ、やめーーーーー」
「言うことを聞かない悪いお嬢さんは……こうだっ!」
そのまま剛拳は勢いよく腕をひねり、ぼきり、とレイシーの両腕をへし折った。
「い、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ…!!!!!!!!!!!」
これまで感じたことのないほど凄まじい痛みが痛覚を焼く。レイシーは森全体に響くほどの濁った叫びをあげて身悶えした。
不自然にへし折れた腕は、もはや命令を受け付けない。動かそうとするたびに苦痛を与えてくる。涙と鼻水があふれ出し、視界を塗りつぶした。
何も見えない。痛い。ただ、痛い。
「痛い、いぃ、いだい、いだいよおっ……!」
「あーあ、泣いちまって。悲しいのはわかるがな、これが俺たちの仕事なんだ。何かを食わなきゃ生きてけねえ、人間ってのは罪なもんさ」
「助けて……いたい……サンディ、たすけてっ……」
レイシーの悲痛な叫びはもう彼女には届かない。こんなときいつも助けてくれたサンディは眠ったままだった。
「自業自得とはいえ、可哀想な嬢ちゃんだ。引き渡す前に手当てくらいはしてやるかな。まあ、これは折檻ってことで勘弁な」
大男は少女を手から放した。どさり、と自分の身体が地面に落ちる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!いだい゛ぃっ!」
落ちた衝撃が骨に伝わり、更なる追い討ちを与えた。レイシーは悲鳴を上げ、身をよじりながらのたうち回る。
じわり、と股間が熱くなった。痛みのあまり失禁してしまったのだ。しかしその温かさだけがこの世の終わりのような痛みを味わうレイシーに、自分はまだ生きていると思わせてくれる感覚だった。
男はその様子をつまらなさそうに一瞥すると、葉巻を一本取り出して、一服吸った。
「さぁて、帰るか。報酬はずんでくれるみてえだし、今日は宴会だな。しっかし、何で隠居貴族殺しよりこいつを生け捕りにした方が報酬が高えんだろうな? ……もしかして、幼女趣味か?」
ぶつぶつと呟きながら、男は地を這うレイシーを押さえると腕を後ろ手に縛り、口に縄をかける。
「ぁぐっ……~~~~~~うぅっ」
もう悲鳴を上げることもできない。縄を千切って逃げようにも、折れた骨から伝わる、まとわりつくような鋭い痛みがそれを邪魔する。
レイシーの身体は軽々と抱え上げられ、どこからか用意されていた大きな袋にすっぽりと放り込まれた。
「っ~~~~~………」
「ゆっくり運んでやるからな。痛いのが嫌なら、くれぐれも暴れんなよ」
その声を最後に、レイシーは暗闇の中、一人ぼっちで囚われてしまった。