笑顔を、あなたに Ⅰ
レイシーは見た。サンディが、最も愛した人が、雷で胸を撃ちぬかれるところを。
「……ぁ」
声が出なかった。ここで悲鳴を上げたら、本当に彼女が死んでしまいそうな気がした。
「お、もう一人は向こうから来やがったか。手間が省けたぜ、念のため確認するか」
男が何か言っているが耳には入らない。傍に寄り、血の海に沈むサンディの傍に跪いた。
「ぁあ……ぁあぁぁ……」
彼女の名前を呼ぼうとしたが、舌も喉も痺れたように動かない。
まるで言葉を忘れてしまったように掠れた息が漏れるだけだった。
そこで、サンディがわずかに動いた。
「……! サンディ、よかっ、」
一瞬、レイシーは安堵する。
しかし既に光を失い濁ったサンディの目がこちらと合ったとき、その変わりように絶句してしまっていた。
「レ、レイ……かはっ」
彼女は驚いた顔で何かを言おうとしたようだったが、言葉の代わりに血を吐き出した。
体内からも染み出る血が喉に詰まり、彼女に会話を許さないのだ。
しかし彼女が話しかけてくれたことで、混乱していたレイシーは僅かに希望が持てた。
まだ、命の火は消えていない。そう自分に言い聞かせる。
「……血を、止めないと……!」
スカートを一つかみ千切るとサンディの胸の傷にあてがおうとする。
しかし、彼女はレイシーの手を振り払った。
脂汗の浮かんだ顔で、こちらを見つめてくる。逃げろ、と目が語りかけてきた。
「やだよ……置いていくなんて、できないよ……」
レイシーは必死に彼女の傷を抑える。その手を、サンディは弱弱しく押し返していた。
「だから、サンディもわたしを置いていかないでよぉっ…!」
レイシーは息も絶え絶えなサンディの手を握り、懇願する。
「ずっと、ずっと一緒にいるって約束だったでしょ……? 王都にも一緒に行くって……わたしが書いた本、読んでくれる約束だったでしょ……!?」
願いは届かないのか、彼女からはどんどん体温が失われていった。今やサンディの顔は真っ白で、蝋細工の面が張り付いているかのようだった。
「いやだ……死なないで……」
すると、サンディはレイシーを遠ざけることをやめた。代わりに手をゆっくりと顔に近づけ、レイシーの頬を撫でた。ひんやりとして、冷たい。
サンディは微笑んだ。
それはまだ自分が言葉を知らなかった時。微笑みかけてくれた、あの笑顔。
ありがとう。そう語りかけてくる、優しい笑顔。
「……え」
サンディはゆっくりと目を閉じた。殺されたとは思えないほど安らかな、微笑を浮かべた死に顔だった。
しかし先立ってしまう無念もあったのだろう。彼女の閉じた目から一筋、真っ赤な涙がこぼれた。
サンディが死ぬという事など、考えたことがなかった。いつでも自分の手を繋いでくれると思っていた。いつでも助け合っていけると思っていた。みんなでずっと暮らしていけると思っていた。
今、彼女は死んだ。涙は出ない。息もできない。心を満たすのは悲哀ではなく、虚無。まるで乾いた塵芥で心を埋め尽くされたような、感覚と呼んで良いのかもわからない何かがレイシーを支配する。
「気は済んだか?」
男の声がする。
その声でレイシーは、急に現実に引き戻された。炎を背に立つ男は、何やら小さな紙を確認している。
「この写真ってのは見にくいな……まあ、多分こいつだろうな。お前は生きたまま連れて来いって言われてんだ。殺さねえから、大人しく来てくれると助かる」
「……あなた、市場で合った剛拳、だよね。サンディ、死んでないよね?」
震え声でレイシーは尋ねた。
この男がサンディを襲った。敵だ。しかし今のレイシーはこの胸を引き裂くような事実を誰かに否定してほしいと、それだけ思っていたのだった。
「そいつは死んだよ。肺ごと心臓を撃ち抜かれているだろう?ここで殺し損ねるようじゃあ、俺は傭兵やってけてねえ」
「なんで、あなたがサンディを狙うの?」
「前に言っただろ。俺が、傭兵……人殺しだからだよ。傭兵は人を殺さないと生きていけねえ。ちょうどお前が物を食わないと生きていけないようにな」
「……嘘だ」
こいつの言うことは有り得ない。
市場で会った時は恐ろしくも優しげだったが、こいつは嘘つきだったのだ。嘘つき男に騙されてたまるか、と拳を握りしめる。
「嘘だ嘘だ嘘だ!」
そう、嘘。なんだ、やっぱり嘘だ。嘘つきが言うのだから、彼女が死んだなんて嘘なのだ。
こんなやつ、黙らせる。
それからサンディを起こして、皆も捜して、屋敷も建て直して。また楽しく生活するのだ。
レイシーは拳を振り上げ、男めがけて飛びかかった。
しかし剛拳の反応は早かった。振り下ろされた拳は空を切り、地面に突き刺さり、怪力で地面が抉れる。男は茶化すようにひゅう、と口笛を吹いた。
「やめな」
小さな少女を、大男は容赦なく迎撃した。拳を振り抜き、無防備なレイシーの腹部に大きな拳がめり込んだ。
「かはッ……!?」
激痛がレイシーを貫く。小柄な身体は吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。着ていたブラウスもエプロンドレスも、瞬く間に泥まみれになる。
「そんな風に腕を振り回してるだけじゃあ、俺には勝てんよ。お前は命は助けてやるっつってんだ。俺が加減できるうちに、大人しくついて来いって」