炎の中で Ⅲ
呼吸ができない。血の味。苦しい、きつい、しんどい。レイシーの全身が痛みをもって、そんな悲鳴を訴えてくる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
しかしここで止まったら、ずっと後悔しそうな気がする。レイシーは風のように走り続けた。
とうとう、森にたどり着いた。
そこでレイシーの網膜に映ったのは緑の森を飲み込む、貪欲な赤い炎の海だった。
「そんな……」
こちらを拒むように吹いてくる熱風に抗い、痛む脚を動かす。もがくように火の粉を払いながら、必死に屋敷を目指す。
茂みの向こうに、炎の塊が見えてきた。一際激しく燃えるそれは、森の火事はあそこから起きたのだという事を想像させる。そしてそこは、屋敷のあった場所だ。
かつて屋敷だったものが、レイシーの慣れ親しんだ大好きな場所が、大きな紅蓮の炎に包まれている。
「あ」
炎に全身を覆われた屋敷は、鈍い悲鳴を上げて徐々にその形を崩していく。
「あ……あ……」
喪失感。絶望。重い気持ちが、レイシーの心を容赦なく押し潰す。
あんなに疲れていたのに、息切れがいつの間にか止まっていた。肺が凍りついたように息ができなくなっていた。
「まだ……サン、ディも、みんなも……まだ、大丈夫……」
家族の姿がまだ見えないことだけが、レイシーの希望だった。
軋む全身に鞭打ち、レイシーは屋敷の表に回ろうとした。
男の腕のリーチに入らず、時間を稼がなくてはならない。サンディは剛拳の出方を伺う。
「言っておくが、容赦はしねえぜ?」
剛拳が少女に突進する。巨体ながら、こちらにまで風圧が伝わる程の凄まじいスピードだ。
「……そこっ!」
サンディは剛拳の頭部を狙い、小さな雷の矢を放った。男は虫を掃うように手甲でその攻撃を受けると、雷は消えてなくなった。
「……あ?」
剛拳が自らの手を眼前から払いのけると、そこにはサンディの姿はない。
「どうしましたの? わたくしはこっちですわよ?」
彼の遥か後ろにサンディがいる。攻撃を防いで視界が途切れた際に、素早く後ろに回ったのだ。
「この、ちょこまかと……」
剛拳は素早くターンし、再びサンディに迫る。サンディはもう一度、大男の目を狙って手をかざす。
「時間稼ぎしやがって。二度も同じ手に乗るか!」
男は頭を下げて雷を躱す。
そこで、男は脚に違和感を感じた。
「なんだ!?」
薄ら光を放つ爺やの短剣が、剛拳の太い腿に突き刺さっている。
傭兵は理解した。雷に気を取られた隙に投げつけられたのだ。
「わたくしの魔法で帯電したものですわ。食らいなさい!」
短剣が激しく発光し、バチバチと雄叫びを上げる。男の全身を鋭い電撃が駆け巡った。
「ぬうううううううぅぅぅぅっ!」
男の身体ががくがくと震え、たまらないとばかりに膝をつく。
「思い知ったかしら?」
「……なあ嬢ちゃん、いい加減にしねえか?」
剛拳は脚から短剣を乱暴に引き抜くと、大きな手で粉々に握りつぶした。
そして突然、バッタのように飛びあがった。
「なっ……動けないはず……」
「俺は元々拳闘士でな。この程度の傷、いくらだって負ってきたぜ!」
空中から無情な拳が繰り出された。超人的な脚力から繰り出される余りに素早い強襲に、回避が間に合わない。苦し紛れに雷を放つのが精一杯だった。
「うぁっ……」
拳はサンディの横腹を捉えていた。それは今まで感じた、どの衝撃をも上回る打撃だった。体内が砕ける感覚と共に彼女は吹き飛ばされ、土の上を転がった。
「あーあ、こんなに苦しんで。足掻かなければ、一撃で逝けたのにな」
牽制のおかげで直撃は免れたらしいが、骨をやられてしまったらしい。内臓が突き刺されるように痛い。
「く、うう……」
あと少しで、レイシーが来る。自分に言い聞かせ、傷つき汚れた身体を引きずって立ち上がった。
また突進が来るだろう。次の手はどうするか。サンディは構えるが、意外にも男は近づいては来なかった。
「なあ……お前の雷の魔法だが、何処に行ったと思う?」
「急に何を。魔法なら手甲に弾かれたはず…」
そう言ってサンディは違和感に気付いた。
魔法は防がれたというより、消えるように無くなっていたことを思い出したのだ。
「まさか……」
「そうだ。この宝石はな、魔法を防ぐもんじゃねえ。吸収するもんなんだよ。最期によく味わえ。このアーティファクトの力をよぉ!」
「なっーーーーーーー」
「解放!」
男の手から圧縮された雷の槍が獲物に向けて放たれる。
鋭く研ぎ澄まされたそれはまっすぐにサンディの胸を正確に貫いた。
「ぐ……がはっ」
口と胸から血が噴き出る。
サンディはよろめき、地面に倒れ伏した。彼女の身体から地面に血沼が広がっていく。
「今までため込んだお前の雷さ。過ぎた力を持つから、こんなことになるんだ」