炎の中で Ⅱ
レイシーは食堂にいた。目の前にはにこにこしたオーネが座っている。
「でね、キャベツは緑色が濃いものを選ぶんだよー!」
「へぇー。ジャガイモは?」
「ジャガイモはねー、まぁるいのを選ぶんだよー! あと、もちろん表面の傷は少ない方がいいし、芽が出ていないものを選ぶのも大事かなー?」
「そうなんだ! わたし、さっきお使いでジャガイモ買ったんだ。よかったら、見てくれない?」
「どれどれ……おおー! なかなかいいね!」
「えっ、ほんと? すぐ近くにあったのを選んじゃったけど……おいしそう?」
「うんうん! 100点中、60点くらいだよー!」
「……それって、良いの?」
「十分合格だよー!」
オーネの話を聞くのは楽しい。食材の選び方、今の料理の仕方、腕が無くなって大変なこと。今までのお客さんから聞いた話、家族の話。彼女はたくさん、自分の知らないことを知っている。
オーネに話を聞かせるのは楽しい。彼女はどんなことでもうんうんと、楽しそうに聞いてくれる。
彼女に会うたび、友だちというものの良さを実感させられるのだ。
「ヤ―コブ達はいつ来るかなー? 次の旅の支度で遅くなるかもしれないって言っていたけどもー……」
「もうすぐ来るんじゃないかな……あれ?」
ちらりと窓の外に目をやったレイシーは、異変を感じ取った。
外が騒がしい。ざわざわと人々が走り、市場の大通りの方へ集まっていく。何かを口々に話しているようだ。レイシーは耳を澄ました。
「森がどうしたって!?」
「なんか大変らしいぞ! 見に行こうぜ!」
「森まで見に行く気はないのか?」
「駄目だ、また新しいモンスターが来たのかもしれない。遠くからでも見えるらしいから、無理するな」
森で異変が起きている。それを聞いた時、レイシーは突然不快感に襲われた。嫌な予感が背中を撫でる。 レイシーは震える足で席を立った。
「レイシー?」
「ごめん、オーネ。森に何かあったみたい。見てくるね」
「森が!? 大変だー! 私も行こうかー?」
「オーネはここで待ってて。すぐ戻るから」
「……わかった。待ってるね。気を付けてね」
レイシーは慌てて食堂を飛び出すと、壁のように並ぶ人々を押し退けていく。いつしか空には暗い色の雲がかかっていた。
やがて、レイシーは市場の門の前に出た。そこで目に映ったのは、黒く長い一筋の煙だった。森から立ち上るどす黒い黒煙が雲と混ざり、空を灰色に染め上げているのだ。
「……帰らないと」
確信があったわけではない。しかし、言いようのない不安がレイシーの頭に巣食い、冷や汗を噴き出させる。この空に広がる煙が、自分に何かを知らせているように思った。
オーネには悪いが、また今度来ることにする。彼女ならきっとわかってくれるはずだ。レイシーは意を決すると、森へ向かって走り出した。
「お嬢ちゃん、どこへ行くんだ!?森は危ないぞ!」
衛兵の驚いた声を背に受けるが、気に留めない。
馬車を待っている時間も惜しい。汗を額に浮かべ、髪を振り乱し、全力で平原を駆けた。
「サンディ……みんな……」
脳裏に過る嫌な予感を忘れるためにも、ただひたすら走り続けた。
「じ、爺や……」
倒れた爺やは短剣を差し出すように倒れていた。彼の形見を、サンディは大切そうに受け取る。
「ほら、また一人死んだ。なんでいつもこうなるかな……」
うんざりしたような声を聞き、サンディは顔を上げる。
「よくも爺やを……許さない……許さないから!」
憎悪のこもった目が剛拳を捉える。こぼれた涙が、炎によって赤く照らされる。
仲間を奪ったあいつを殺してやりたい。湧き上がる衝動を、サンディは唇を噛んで堪えた。そして爺やの言葉に従って、相手に背を向けて逃げ出した。
森の奥へ逃げ込むサンディの足は速い。大男はすぐに遠ざかり、小さくなる。しかし剛拳は追ってくるかと思いきや、その場に立ったまま大声で叫んだ。
「おういいぜ、逃げな。だが、本命は一人だけだとは言ってねえぜ。もう一人いるだろ?お前と同じくらいの年の、可愛らしい小娘が」
「……レイシーのこと!?」
「さあ、どうだかな? 俺はそいつを捕まえてこいとも命令されてるんだ。そっちも結構な金額だぜ? お前を殺さなくてもいいくらいにはな。俺もそろそろ殺しは嫌だったんだ、好きなだけ逃げたらいい」
サンディの足が止まった。今サンディがここを離れてしまえば、何も知らないレイシーが帰ってきたとき、この男に捕まることになる。
モンスターをねじ伏せたレイシーの力が凄まじいことは、目の当たりにしたサンディは良く知っている。しかし、この男からあふれ出る覇気は、それだけでは勝てない、とサンディに警告していた。
ここで自分が傭兵を止めないと、レイシーは危険に晒される。しかし、自分一人で家族二人の命を奪ったこの男に対抗できるとも思わない。
「……っ!」
この災いを退ける方法は一つしか思い浮かばない。
レイシーが帰ってくるまで持ちこたえ、協力して男を倒すのだ。サンディの魔法とレイシーの力が合わされば、まだ活路が見いだせるかもしれない。そのために、ばらばらになることは絶対に避けねばならない。
レイシーはすぐに帰って来てくれるだろうかという疑問も確かにあった。時間を稼ぐだけ無駄かもしれないという思考も、僅かにあった。
「……だけど、信じる……今度こそ、わたくしが……守る!」
サンディは振り返ると、剛拳の方を向く。手を前に出し、臨戦態勢を取った。
「勇敢だな。……まったく」
「そんなに殺すのが嫌なら、ここで終わりにしてあげますわ」