炎の中で Ⅰ
「……さては傭兵ですわね。それにサンドリヨンの名前は捨てたはずなのですけれど?」
「そういう事情は、俺は知らないんでな。『サンドリヨンを殺せ』と、伝えられて来たんだ」
「言わなくとも分かりますわ。あなたを雇ったのは、あのお姉様たちですわね」
サンディは拳を握り締め、苛立ちを露わにする。
「もう一度だけ聞きますわ。オルガを、どうしましたの?」
「本当に申し訳ねえが、屋敷の裏でおねんねしててもらった。もっとも、もう起きないと思うがな。いや、本当に仕方なくだぞ? 何度もしつこく言う通り、俺が殺しに来たのはサンドリヨンだけだからな。今は、後悔してる」
男の残念そうな物言いが、更に二人の神経を逆なでした。
サンディの苛立ちは強い憎悪に変わる。爺やさえも顔を歪めていた。
「……何が後悔なものですか。これは少し、許せそうにありませんね。お嬢様、下がってください。ここは私が」
「いいえ、爺や。わたくしも加勢しますわ。よくもオルガを……高くつきますわよ?」
「まったく、また殺さないといけねえのか。ほんと、やな仕事だな」
報復に燃える二人とは対照的に、大男は冷めきっていた。
ため息まじりに拳を握ると、身体の前に構える。炎に照らされ、手甲の宝石が更に妖しい煌めきを増した。
一瞬の間ののち、剛拳は猛獣のように老人と少女に襲いかかった。
「爺や!」
「!」
サンディと爺やは目線を交わす。意図を理解した爺やが前に出て、飛びかかる男の拳に懐から取り出した短剣を当てる。
しかし剛拳の巨大な腕と小さな剣では、破壊力の差は歴然としている。
「甘い奴だ。叩き折ってやる」
「そうはいきますかな」
そこで爺やは短剣を動かし、攻撃を受けるのではなく滑らせるようにして剛拳の攻撃を受け流した。
「そこですわ!」
すぐさまサンディが追撃をかける。彼女の手から放たれた蒼雷の槍は炎を切り裂き、男の胸を穿とうと襲い掛かる。
しかし男は難なく、雷をもう片方の手甲で受けた。
「甘いな。こいつに魔法は効かねえのさ」
「……!?」
手甲に当たった瞬間、雷が手品のように忽然と消えてしまった。サンディは驚愕の表情を浮かべる。
普通の手甲なら、あのようなことができるはずもない。仕掛けがあるとするなら。
「手甲についた、あの宝石……!爺や、気を付けて!」
「はい!」
爺やは雷を防いだ瞬間を狙っていた。剛拳の防御する腕の隙間から、短剣を突き入れるようにして大男を攻撃する。
剛拳は舌打ちすると、後ろに跳躍して距離を取った。刃の切っ先は済んでのところで届かない。
「……うざったい。一人ずつ殺るか」
忌々しそうに吐き捨てると、剛拳は腰を落とし、矢のような速さでサンディめがけて突っ込んできた。
サンディは数発の小さな雷で牽制するが防がれ、突進を止めるには至らない。そこで爺やが剛拳の前に立ちはだかった。
「お嬢様に、触るなあ!」
爺やの左手に真っ赤な炎が宿る。彼は久しく人形劇以外で魔法を使っていなかったが、その炎は周囲の熱風よりもなお熱く、剛拳の肌を焦そうとする。
刃と炎は踊るようなコンビネーションで剛拳の攻撃をいなし、彼を攻め立てた。その勢いの凄まじさは、戦い慣れしているはずの剛拳ですら焦りを見せるほどだった。
「使用人のじいさんにしてはやるじゃねえか……」
「そうでしょうとも。あなたに早く死んでほしいですからね。星になってオルガに謝ってきなさい」
一方でサンディは二人の攻防を見守るしかなかった。爺やはサンディと剛拳の間にいる。姿勢を低くした剛拳は、見事に爺やを盾にしていた。よって、サンディからは援護が出来なかったのであった。
炎の中、刃と拳が舞い踊る。互いの命を奪わんと、がちんがちんと硬い音を立てる。
「爺や……」
祈るようにサンディは呟く。すると、剛拳は再び爺やから距離を取り、動きを止めた。
彼は姿勢を低くしたまま、憂鬱そうに地面を弄り始める。
「最後にもう一度だけ言っておく。俺の狙いはあのサンドリヨンだけだ。お前まで殺すつもりはないし、逃げるなら許す。どうする?」
答える必要は無し、とばかりに爺やは距離を詰め、剛拳の喉を短剣で狙った。
「……本当に、残念だ」
剛拳は向かってくる爺やに何かを投げつけた。大量の土だ。ばらばらと細かい土が飛び散り、爺やに降りかかる。
「うっ」
目潰しを受けた爺やは、一瞬目を閉じてしまう。そしてその一瞬を、剛拳は見逃さなかった。
「すまんな。あばよ」
「お嬢様、逃げ」
拳が爺やの顔に直撃した。どん、という鈍い音と共に、ぱっと空中に血が広がる。
彼の身体は地面を転がると、サンディの前で制止した。
「そんな……爺や!」
彼の顔は殴られた部分がへこみ、変形していた。片目も潰れ、出血の量もおびただしい。絶え絶えの息は今にも途絶えそうだ。一目で彼はもう助からないのだと、サンディは覚ってしまった。
「いや……いや……死ぬなんて……」
「……逃げて、レイ、シー、さま、を……」
その言葉で最期の命を吐き出してしまったように、爺やの呼吸は止まった。