家族 Ⅳ
屋敷の明かりが見えてくると、レイシーは駆けだした。
「サンディ!」
勢いよく扉を開き、最も会いたい人の名を呼ぶ。彼女はすぐに出て来てくれた。とても申し訳なさそうな顔をしていた。
「よかった……無事に帰ってきてくれて。オルガ、ありがとう」
オルガは会釈すると、横に控えた。サンディはこちらに向かって、深く頭を垂れる。
「……わたくしは、本当にひどいことをしましたわ。疑って、ごめんなさい……」
「……わたしこそ突き飛ばして、逃げてごめんなさい。だけど、聞いてほしい。わたし、サンディが大好きだよ。わたしを育ててくれたのは、サンディだから。さっきまではちょっと怖かったけど。でも、それでも、大好きだよ。今までずっと、ありがとう」
謝罪に対し、さらなる謝罪と感謝を返す。
それが今自分にできる、彼女が自分に与えてくれたものへの恩返しのように思えた。
サンディはゆっくり頭を上げた。ほっとしたような表情で、口元にはわずかな微笑みを浮かべていた。
「……不思議だね」
「何が不思議ですの?」
「わたしね、サンディが大好きだけど、今日みたいに怖くなって逃げ出しちゃうこともあるんだなって。気持ちって不思議だなって、そう思ったんだ」
「……不思議ですわね。だけど、レイシーがどんな気持ちを抱こうと、いつだってこの屋敷に帰っていらっしゃい。わたくしとあなたは、家族なのだから」
「うん、そうする!」
二人はしばらくの間、お互いを抱きしめ続けた。
優しく包むように。腕の中の温もりが、もう離れないように。
温かく柔らかい感触を全身で感じる。それは久しく触れていないようにも思えて、懐かしさもあった。
「レイシー」
突然、サンディが口を開いた。
「なあに?」
「爺やがわたくしに告白してきましたの」
「?」
「わたくしに、恋をしていたそうですわ」
「コイ……不思議な気持ちだって、オルガが言ってた」
「ええ。そして恋の先に愛があって、結婚があるのですわ。わたくし、爺やのお嫁さんになるかもしれませんわね」
「……!?!?!?!?!?」
レイシーは驚きのあまり吹き出しそうになった。
結婚という行為は知っている、好きな二人がすることも知っている。しかし、恋の先にも結婚があるなど、初耳だった。友情のように、完全に別物だと思っていた。
慌てて爺やの方を見ると、二人を無言で見守っていたが、その話が出てくると、ぽりぽりと頬を掻いた。隣のオルガは白い眼で彼を睨んでいる。
「だめだよ! サンディを独り占めするなんて、絶対だめ!」
レイシーは声を張り上げ、必死に言い放った。
「……呆れた。どれだけ歳の差があると思っているのか……同じ使用人として見過ごせませんね」
「絶対させないから! サンディはわたさない!」
しかし、今回は爺やも一歩も引かなかった。
「ライバル登場ですかな! いいでしょう、お嬢様のハートを見事捕まえてみせますぞ!まずは今まで以上に料理の腕に磨きをかけるのと、お嬢様を驚かせる人形劇を……」
「だ、だったらわたしは、力仕事するから!なんでも重い物運ぶ!」
「私も更なる修練が必要なのでしょう。いいですとも、成し遂げてみせます。あなたを止める!」
「やれやれ、わたくしも人気者ですわね……みんな、ついてきてくれて、ありがとう」
喧騒を背に、サンディはつぶやいた。
ろうそくだけが光る、薄暗い部屋の中。
怪しげなローブに身を包んだ男が一人、机に向かって座り込んでいる。
壁にはとある家系の家系図を示すタペストリーがかけられ、ろうそくの光を浴びてぼんやりと文字を浮かび上がらせていた。
「それは本当か?」
質問しながらローブ男は隣に目をやる。そこには小男が一人、揉み手をして媚びていた。彼は外から帰ったばかりで、服や縮れた髪が溶けかかった雪で濡れている。
「間違いないです、あたしゃ見ました。ヴィルヘルムのヤツがとんでもない力を手に入れたんでさぁ」
小男は見たことを詳細に話す。
少女が怪物を叩きのめすという俄かには信じられない話ではあったが、ローブ男は納得したようだった。
「強化魔法の類か……? いずれにせよ、強力すぎる。看過できんな」
「そうですとも、ぜひあっしらにご依頼を」
「待て待て、依頼を出すのはこの方々だ。というわけですヴィルヘルムのお姉さま方、別件でお越しいただいたのに申し訳ない」
太った女と痩せた女が姿を現す。二人の影がまるで球体と棒のように並んだ。
「聞いたよ……一体、奴は何を企んでいるんだい?」
「そうだよ、今度私の婚約祝いのパーティーもあるんだ。安全は保障してくれるのでしょうね?」
「それは言い切れません。おそらく、彼女は手に入れた力を使って姉様たちを排斥しようとするでしょう。それに、彼女はきっとあなた様たちを恨んでいます」
「な、なんで恨まれるのさ!? むしろ、母様への恩を忘れて逃げ出したあいつの方が許されないよ!」
太った女は、掛けられた家系図をちらりと見やると怒りの声を上げる。
「そんなやつ、もう殺してしまいなさい!」
「そうよ! 殺せ!」
キーキーと癇癪を起したように、球体と棒は喚いた。ローブの男と小男はにやりと笑う。
「では、『剛拳』を雇わせていただきます。報酬は、そちらからお支払いいただくという事で。彼は仕事が立て込んでいるのですぐには動きませんが……まあ、暖かくなるころには奴の命はないでしょうな。勿論、監視は怠りません。不穏な動きを見せたらその時点で対処いたしましょう」
「そのゴーケンとやらが、あの女を殺してくれるのかい? いくらだって払うさ」
「そうよ! なるべく早く頼むわ!」
「それでは、契約成立ですね。ここに印を。領土統治の件はまた後日お話しましょう」
印のついた契約書をしまい、退出する二人の女を見送ると、ローブの男と小男はほくそ笑んだ。
「あの女も大人しく隠遁していればよかったものを。過ぎた力を抱えればどうなるかなどとっくに知っているくせに」
「いや、そのおかげであっしらはこうして儲けられるんでさあ」
「ふふ、間違いない」
ローブの男は言いながら立ち上がり、どこからかナイフを取り出す。それを振り上げると、家系図の名前の一つに突き刺した。
「サンドリヨン・フォン・ヴィルヘルム」という名前を切り裂いた刃が、薄明りに照らされぎらりと光った。