家族 Ⅲ
サンディの中で、わけのわからない感情が渦を巻いている。怒りなのか、恐怖なのか、悲しみなのか。ただ、心を重く沈ませているのは確かだった。
どうしてレイシーが。レイシーを育てたのは自分だ。自分はレイシーのすべてを知っているはずなのに。レイシーは隠し事をしている。勝手にあんな力を身につけている。レイシーは嘘つきだ。自分に黙って何をしたのだろう。自分はこんなにも尽くしてあげているのに。
何よりも、妹なのに。
脳の中で、そんな声が何度も跳ね返る。
「……こんなに苦しむために、この屋敷に逃げてきたのではありませんのに……」
サンディは思い出す。
この屋敷に来る前、自分は貴族の娘だった。
父は早くに亡くなり、後を継いだ母から身分にふさわしい教育を与えられた。期待に応えるため努力を続けていた。
法律、地理、経済、魔法。能力をつけるたびに母は褒めてくれた。辛い日々ではあったが、充実していた。
そんなある日、母に愛人がいたことを知った。ふとしたことから母と愛人の情事を覗き見てしまったのだ。
娘の視線に気づいた母は激怒し、豹変した。
母の夫、サンディの父よりも愛人に惹かれていた彼女は、彼女に教養を身に付けさせてきたのは愛人との間に生まれた子に楽をさせるためだという事実を突きつける。もう何をしても褒めてくれなくなった。
その愛人もサンディの存在を知ると、抵抗できないのをいいことに欲望のまま暴行を加えるようになった。更にその愛人の子さえも、義理のきょうだいである彼女に拷問に近いいじめを行うようになった。
母に訴えても勿論聞き入れてはもらえない。また、家内における彼女の権力は凄まじく、逆らえるものもいなかった。
しかし、そこから救い出してくれた唯一の存在がいた。
「ここにおられましたか」
孤独と恐怖に打ち震えていた時。自分の使用人だった爺やはそう言ってサンディを救い出し、辺境のこの屋敷まで連れて来てくれた。
しかしこの声も、今は乾いて聞こえる。
「さあ、怪我の手当をいたしましょう。自分でするとは仰いましたが、それ以上放って置くのは良くないでしょう」
サンディは無言だった。
爺やはサンディの腕に、手際よく包帯を巻いていった。
「レイシー様はオルガが探しに出かけました。心配しなくても大丈夫ですよ」
「……わたくしは、心配なんてしておりませんわ。あんな嘘つき……」
「そんなことを仰るとは珍しい。いったい、何があったのです?」
サンディは爺やに、全てを洗いざらいぶちまけた。一緒にこの気持ちも吐き出せたら、どれだけ楽だっただろうか。
爺やは黙って、時々相槌を返しながら聞いてくれた。
話が終わると、彼は口を開いた。
「レイシー様は嘘をついてはおられませんよ。この爺や、長く色々な人を見てきました。人を見る目のあるお嬢様ならば、もうすでにお気づきなのではないでしょうか」
「わかってる。あの子も戸惑っていましたもの、わかっていますわ。けど、けど……あの力は……無視できなくて」
「仮にそのような力があったとして、あのお優しいレイシー様がその力を悪意をもって振るう事があるとお思いですか?」
「わかってますわ!」
言い訳を全て見抜かれ、サンディはつい大声を上げてしまう。
「わたくしにはわかりますのに……もやもやした胸の気持ちが、無くなってくれないのですわ」
サンディは糸が切れたように、ソファに自分の身体を沈めた。
「ねえ爺や。これは何ですの?この気持ちは……わからないの……わたくしに……わたしに、教えて。わたしを、助けて。お願い……」
爺やは黙り込み、しばらく考える素振りを見せた。
やがて、彼は寄り添うように彼女の隣に座った。
「……難しいですが……あえて言うならば、戸惑い、かもしれません」
「……戸惑い……」
「突然レイシー様がそのような力を振るったというのなら、お嬢様はとても戸惑っておられると思います。伝え聞いただけの私ですら、少し驚いているのですから。しかし、成長を認めてやらなくてはなりませんぞ」
「成長……?あんな、化け物みたいな力が現れたことも、認めなくてはいけないの?」
「確かに不安もあるでしょう。ですが、力が化け物でも、レイシー様の心はちゃんとした人です。そして、人のあり方はその人自身が決めるものですぞ。他者から決められたあり方に従うのは苦痛だと、お嬢様はわかっておいでのはずです」
「決められた、あり方……」
盗賊の襲来の後、サンディは彼女を守ることを誓った。
しかしそのことで、守られるべき妹と言う役割をレイシーに押し付けてしまっていたのだ。その役割にレイシーが従わなかったことが、この感情の原因の一つなのかもしれない。
きっと、それだけではない。レイシーに守られてしまったことによる無力感や自分を守った力への嫉妬もない交ぜになり、彼女にきつく当たってしまったのかもしれない。
もし、そうであるならば。
「なんて、なんてわたくしは馬鹿なのでしょう……守られていたのは、わたくしだったというのに……」
サンディは己の行いを悔やんだ。頭を抱えると、怪我をした両腕がじくじく痛む。もっと痛んで自分を苛んでほしいとさえ思った。
「わたくし、最低ですわね…また助けてくれたのにありがとうも言えないで、あんなことして……」
「お気づきになられましたね。大切なのは受け入れることです。お嬢様自身のことも、レイシー様のことも」
元気づけるように、爺やは言ってくれた。
「……爺やはどうして、こんなわたくしに仕えてくれるの? どうしてあの時、助けてくれたの?」
ぽつりと心に浮かんできた疑問をサンディは口にした。
「私は、お嬢様に仕えることを自分で選んだのです」
「どうして?」
「……正直にお話しします。お嬢様が好きだからです。主人としても、一人の女の子としても」
爺やは少し照れくさそうに言った。長く一緒にいたサンディも初めて見る表情だった。
「嘘つき。色んな子に声をかけてるくせに?」
「確かに可愛らしいものは好きです。それに、私がお嬢様とお呼びするのはただ一人、サンディ様だけです」
「……わたくしの身体が、きれいでなくても?」
「私はお嬢様のすべてを受け入れております。そう思ってここまでお仕えしてきたのです」
「受け入れる……」
受け入れる、という言葉がサンディの頭の中で何度も反響する。
自分を、受け入れる。レイシーを、受け入れる。
胸の中にかかる靄の中、一筋の道しるべを見つけたような気がした。
「……ありがとう、爺や」
サンディはソファから立ち上がった。
頭も胸も、幾分か楽になっていた。
「告白の件だけど……考えてあげてもいいですわ」
「ありがとうございます。こんな老いぼれめの気持ちに応えて下さるだけでもありがたき幸せでございます」