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レイシーのぼうけん  作者: 偶像兎
第一章 少女と森のやしき
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家族 Ⅱ

 レイシーは森の中で一人、石に座ってぼんやり遠くを見つめていた。

 殆ど日が落ちていたので、森は薄暗かった。

 吹雪は既に止んでいたが、依然として残る分厚い雲と生い茂る枝葉に阻まれ月どころか星ひとつ見えない。

 手招きするように、夜風で枝が揺れる。ざわざわと森が囁く。随分と遠いところまで逃げてしまったように感じた。

 しかし今のレイシーにとっては、一人になる事よりも怖いものがあった。

 今自分を襲うこの震えは、決して寒さだけではない。


「サンディ……」


 サンディが、あんなに怖い眼で睨みつけてくるなど信じられない。その視線を思い出すと背筋にぞくりと悪寒が走り、思わず自分の身体をかき抱いてしまう。


「……なんで……」


 まじまじと自分の手のひらを見る。鋭い鱗で怪我をしたはずであるのに、きれいに治っている。ただ手袋の破れた穴だけが、そこに傷があったことを物語っていた。

 せっかくサンディを助けられたのに、この力がいけないのだろうか。もう、何を信じていいのかわからない。


「ここにおられましたか」


 聞き慣れた女性の声がした。雪を踏みしめ、ランタンを持った人影が近づいてくる。


「オルガ……」


「いきなり飛び出したとお聞きして、心配しましたよ。さぁ、一緒に帰りましょう」


 いつもの真顔のまま、彼女は近づいてくる。


「……怖い……」


 レイシーの震えに気付いたオルガは、歩み寄る足を止めた。


「……わたし、サンディが怖くてたまらない。あんなに好きだったのに……なんで、こんなに苦しいんだろう……」


 オルガはしゃがむと、レイシーの目線に顔を合わせてくれた。まるですべてを話してもよい、と許してくれるようだった。


「それに、あんなに大好きだったサンディを、今は怖がってる……そんなわたしの気持ちが……同じくらい怖いんだ……」


 サンディを救えて誇らしかったこの力も、今は日常を一気に遠ざけた忌々しいものだった。

 今ではサンディが、自分の心が、いつ爆ぜるかわからない爆弾のようにも思えるのだ。好きと言う感情はいつまで続くのだろう。

 今自分が好きな物もいつか、嫌いになってしまう時が来るのかもしれない。それを思うと、恐怖と寂しさが入り混じる。


「嫌だ……嫌いになんてなりたくない……だけど、自分も、サンディも信じられなくて、どうしていいのか……こわいよ……」


 どれだけ話しても、ずきずき、じわじわした気持ち悪い感覚までは吐き出せない。いっその事この力で胸を断ち割って、心を取り出してしまいたくなる。

 そんな悲痛な告白をオルガは最後まで何も言わず、耳を傾けてくれた。


「苦しいよ……わたしを、助けて……オルガ……」


「……昔話しかできませんが、お聞きください。私も人を信じていたことがありました」


「オルガも?」


「ええ。もっとも、私の場合は少し特殊でして……恋を、していたのです」


「……コイ?」


「恋は不思議な気持ちの一つです。相手がたまらなく愛おしくなり、その一方でどこか突き放したいような、心配になるような。そんな揺れ動く、矛盾したものです」


 自分は今サンディを恐れているのに、会いたいと思っている。恋は自分の今の気持ちに似ているのかもしれない。


「そんな気持ちを持ち続け、相手もそれに応えてくれた。やがて、その男性と私は結婚をするまでに至りました。しかし彼は、私を愛し続けてはくれなかった」


「結婚って、好きな人同士でするものじゃないの?好きじゃなくなるのなら、どうして結婚なんか」


「人というのは、変わってしまうものなのです。好きという気持ちも、いつなくなってしまうかわからない。結局私は夫に裏切られ、それに気づいた時、私は笑うことができなくなりました。今や、ご覧の通りです。しばらく、生きがいを失くしてしまいましたよ」


 オルガは固まった顔を指さした。レイシーははっと息をのんだ。彼女にはそんな過去があったのか。


「しかしお嬢様はそんな私に、生きる意味をくれました。失意のどん底にいた時は、浴びるように酒を飲んでいました。ずっと続けていた刺繍もやめて、そのまま酒に溺れてしまおうと思っていました。そんな私に、お嬢様は手を差し伸べてくれた。最初は彼女もまた私を捨てると、そう思いました。しかし、お嬢様は何度も頭を下げて、言ったのです。お願いします、と。綺麗な眼でした」


 その時の様子を思い出すかのように、オルガはしみじみと目を閉じた。


「どうせ当てもない人生でしたから、私も言われるがままについていきました。ここに来てからは毎日が楽しいです。優しいサンディお嬢様、難はありますが尊敬に値する爺や、そして愛すべきレイシーお嬢様。今はもう一度くらい誰かを信じてみるのもいいかなと、私の気持ちも変わってきています。まだ笑うことはできませんが」


 オルガは空を見上げた。雲の切れ目から月明かりが差し込み、彼女を照らし出した。


「感情は揺れ動くものですよ。好きも嫌いも、永遠に続くものなどございません。そうして色々な感情を積み上げて、人と人は繋がっていくのだと思います。そして変わるからこそ、尊いのではないのでしょうか。一瞬一瞬の、あなたの抱く気持ちが」


「わたしの……きもち……」


 レイシーは胸に手を当てて、じっくり考えた。

 自分はサンディに、どんな気持ちを積み上げてきただろう?

 沢山の嬉しさ。安心。温もり。笑顔。どくん、どくんという力強い鼓動と共に、それらが胸にかえってくる。

 確かに、今は怖さもある。

 しかし積み重ねてきたそれらは間違いなく、幸福だった。もう一度、取り戻したい。その気持ちがレイシーを奮い立たせた。


「今も過去も、あなた様の抱く気持ちは全て、かけがえのないものです。どうか、その気持ちを大切にしていただきたいのです」


 彼女の真顔が、少しだけ和らいだように見えた。


「オルガ。わたし、帰りたい。サンディに、会いたい」


「わかりました。屋敷までご案内します」

前話にナンバーをつけ忘れていたので修正しました。

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