家族 Ⅰ
「ゲヒ……」
一度叩きつけられただけで、モンスターはぼろぼろになっていた。それほどまでに、レイシーの膂力は凄まじかったのだ。
狩人の座を追われた怪物は文字通り、尻尾を巻いて逃げだした。
「……ふぅ」
身体にはまだ力が満ち満ちていたが、怪我をしたサンディが心配だった。
「サンディ!」
腕を押さえ、顔をしかめている彼女に駆け寄る。
彼女は固まっていた。最初は、噛まれた痛みで動けなくなっているのだろうと思った。
「……だいじょうぶ?」
レイシーは痛みが引くまで傍にいてあげようと、彼女の隣に並んだ。
そこで、目を疑った。
サンディは後ずさりしたのだ。まるで、レイシーという炎から逃れるかのように。
「サンディ……?どうしたの……?」
彼女は今までレイシーに一度も向けたことのない、恐ろしい目でこちらを見ていた。
怒りと恐怖がない交ぜになったような視線が、吹雪よりも冷たくレイシーの心を撫でる。しかし、何故自分がこんな目を向けられるのかはわからなかった。
「……帰りましょう」
かすれ声でそれだけを告げると、サンディは逃げるように歩き始めた。
「サンディ……?待って!」
「……」
サンディは屋敷に帰るまで、言葉を忘れたかのように沈黙を貫いた。
「ねぇ、サ」
「……」
「……」
少しでも口を開くと、サンディはまたあの冷たい目でこちらを見る。すると背筋がぞくりとして、口をつぐんでしまうのだった。まして行きのように手をつなぐなどもっての外だった。
気まずい空気が二人の間に流れ、吹雪の音だけが耳に響く。サンディと一緒にいる時間はいつも楽しかったのに、どうしてこんなことになったのだろう。やっぱり傷が痛むのだろうか。レイシーは考え続けた。
屋敷に戻ると爺やも丁度帰ってきたところであった。
「丁度良い所に……なんと、お怪我をされているのですか!?」
「……平気ですわ。手当は自分でする」
「……オーネ様は迅速に回収、応急手当をしてからお父様に預けました。彼は急いで市場の医者の下へ行きました。命に別状はなさそうです」
「……そう」
興味なさげにサンディはあしらうと、爺やに居間から退出するように命じた。その後レイシーの方に向き直り、ぎろり、とこちらを睨みつけた。部屋まで雪が入ってきたように、レイシーは内臓が冷える感覚がした。
「さぁ言いなさい。どこであんな力を身につけたの!?」
「し、知らない……」
「嘘をおっしゃい!あんなこと、できるはずないじゃない!」
そこで初めて、彼女はモンスターさえも退けた、自分の力を恐れているのだと気付いた。
しかし、レイシーは嘘をついてはいない。本当にそんな力を得た記憶はないのだから。
「わからない!ほんとうにわからないよ!」
「わたくしに嘘をつくの!? 今までの恩も忘れて! あんなの、有り得ないのよ! なんで正直に話そうって気にならないの!?」
今まで見たことのないほど恐ろしい形相のサンディが、傷だらけの腕でレイシーの胸ぐらを掴んだ。
怪我をしているというのに、呼吸が止まりそうになるほど強い力だった。間近に迫った彼女の目はぎらぎらした光を増していく。その目つきは冷や汗が噴き出るほど鋭かった。
「ひ、ひぃっ!」
「きゃっ」
レイシーは思わずサンディを突き飛ばしてしまった。加減したつもりだったが、サンディはよろめいてソファの上に倒れ込んだ。
「あ……あ……」
「レイシー……あなた……」
倒れたサンディがぎょっとした顔で見つめてくる。
後悔がじわりと滲み出した。彼女にこんな乱暴をしてしまうなんて。
「……っ!」
居たたまれなくなり、レイシーは逃げ出した。
「待ちなさい!」
ドアを開けて雪の中へ飛び出すと、彼女から離れることだけ考えて走り続けた。
「ヒッ、ヒッ」
風のように速く、モンスターは走っていた。
怪物の身体にも疲れが溜まり、息が徐々に荒くなってくる。しかしレイシーに負わされた傷は深く、時々血も一緒に吐きだしていた。
「グウゥ……」
やがて、手負いの獣は森の奥までたどり着いた。木々が多いここなら、モンスターの巨体も隠しやすいに違いない。体力を回復させるべくモンスターは身体を雪の上に置こうとした。
「いたぞ!」
「……グ?」
無数の矢が、モンスターに降り注いだ。
多くは鱗に弾かれるが、それでも大半は隙間から突き刺さり、肉を抉る。
「グアアアアアァァァァァァ……」
「きたぞ、やれ!」
「おらっ!」
「大人しくしろ!」
苦痛に呻くモンスターに、槍や大剣で武装した3人の男たちが次々飛びかかっていく。
真っ赤な血が迸った。男たちの容赦ない攻撃は、すぐにモンスターの命を絶った。
「……終わったか?」
「そのようだな。ほら見ろ、もう崩れ出した」
「やれやれ……新種だと聞いてすげえ準備してきたんだが。ハンターになってから、一番楽だったんじゃないか?これ」
ハンターは常に命がけだ。モンスターの中には火を吐くものもいれば、雷を発するものもいる。かすり傷だけで死に至らせる毒を持っているものもいる。すでに確認された型でも油断は禁物、新種のモンスターとくれば、徹底的に装備するのは当たり前だった。飛び出したハンターたちは全員、仰々しい鎧や巨大な剣、鋭い槍を身に着けている。また飛びかかった3人の後ろにも、5人の弓使いが控えていた。
「よくやってくれました。依頼した甲斐がありましたぜ」
ハンターたちの後ろから、小男が姿を現した。
「おうおう。報酬は弾んでもらうからな。王都製の写真機なんて持ってるくらいだから、金持ちなんだろ?」
「ええ、ええ。報酬も期待してくれていいですぜ、旦那」
小男はハンターに媚びるようにもみ手をした。
「吹雪の中来たのにこれだけとは、まったく拍子抜けだ。記念写真でも撮ってもらうか?」
「さっさと帰って寒さしのぎに一杯ひっかけるか」
「宴会だ宴会」
報酬と美味い酒を想いながら、ハンターたちは帰路につく。
しかし小男はその中でも、一際大きい笑みをこぼしていた。
「『剛拳』の兄貴、あっしはついに見つけましたぜ……奴らが危険という証拠を……」