未知なるもの Ⅲ
もはや二人に逃げ場はなかった。
サンディは歯を食いしばるとモンスターに向かい、雷を撃ちだした。
「レイシー、奴の狙いはわたくしですわ! 奴を何とか退かすから、そこを通って逃げて!」
「サンディを置いて逃げるの!? いやだよ! わたしにだって、きっと」
「お黙りなさい!いいから、行って!」
今まで聞いたことのない、強い口調だった。
話をしている隙も見逃さず、モンスターはサンディに襲いかかる。
これ以上迷惑はかけられないとレイシーは言われた通りに走った。モンスターは自分を追っては来ない。しかし坂を一気に駆け上がろうとしたレイシーは、そこで足を止めてしまった。
「サンディ……!」
胸がむずむずして嫌な予感を告げる。このままサンディから離れたら、二度と彼女に会えないような気がする。
背後から聞こえる唸り声と雷の混ざり合った音を我慢できず、レイシーは振り向いた。
「くっ……」
それはもはや、戦いではなかった。怪物が少女を追い詰める、狩りだった。
彼女は攻撃を横っ飛びに回避したが、そもそもが狭い谷の底だ。すぐに壁まで追いやられてしまった。
「ゲゲゲゲゲ」
「まずい……」
怪物は低く不快な唸り声をあげ、サンディに向かって腕を振り上げた。
迎撃しようと、素早く彼女も腕を高くかざす。しかしそれもまた狩人の、狡猾な罠だった。
モンスターは大口を開け、腕に気を取られているサンディのかざした手に噛み付いた。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「あ、あ……サンディ……」
がりごりっ、という音とともに、サンディは苦痛に叫ぶ。牙が肉を裂き、骨まで達した音だった。口の隙間から鮮血が雨漏りのように、ぼたぼたと落ちた。モンスターは細腕をそのまま一気に喰いちぎろうとした。
「あ、あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「グガアアァァァァ!」
サンディは噛まれた腕から、とっさに雷を発射した。口内に電撃を受けたモンスターは腕を放して飛び退く。
しかし、赤く染まったその腕はだらりと垂れさがり、動かなくなった。これでサンディの唯一の武器だった両腕が潰れてしまったのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
魔法を使いすぎたせいだろう、すっかり息も上がっており、頭からは湯気が立っている。
さらに、彼女の金髪は顔に張り付き、美しい顔を苦痛で歪めている。立ち方もゆらゆら揺れており、やっとのことで体重を支えているようにも見えた。限界が来ているのは明らかだった。
「グゲゲゲゲゲゲゲゲ……」
「行かせない……レイシーは、わたくしが守る……」
嘲笑うようにモンスターは唸り声を上げる。しかしそれでもなお、彼女は前を向くことをやめない。
彼女は鋭い視線でモンスターを睨みつける。
そして、後ろで立ち止まっているレイシーには、優しく微笑むような表情を見せた。
「行って。生きて」
レイシーの心に何かが突き刺さった。
彼女は自分のために命を捨てるつもりだ。
だがこのまま彼女の望みどおり逃げても、自分の恩人であり大好きな人を置いていったということを、ずっと一緒だという約束を反故にしたことを、これからずっと背負わなくてはならない。
だからといって彼女を助ける力があるわけでもなく。
やがて失う恐怖は、絶望へと変わった。
「……なんで」
ただ、こう叫ぶ事しかできなかった。
「なんで、こんなことになったの……! なんで、なんでぇ……!」
その時、レイシーの感覚に異変が起きた。
サンディも、モンスターも静止する。まるで時間が止まったような感覚だ。
そして頭の中に、またあの声が聞こえてきた。
「自分の力を思い出せ」
どこからか、またあの声が聞こえた。
力?
そんなことはどうでもいい。
サンディを救えない力なんて、役に立たない。
どうしても思い出せと言うのなら、今すぐ彼女と自分を救ってみせろ。
その思考に応えるかのように、どくん、どくんと心臓が激しく脈打ち始める。
痛いほどに、暴れるように脈動する心臓が、全身に熱を持った血液を送り出す。霧が晴れるように感覚が冴えていく。全身に力が満ちていく。
腕も足も疼きはじめた。こいつに勝てる。サンディを守れる。細胞の一つ一つが話しかけてくるようだ。
本当に?
だが、他に選択肢はないのだ。
レイシーは怪物に向かって駆けだした。
時間は動いていた。
ちょうど飛びかかり、とどめを刺そうとするモンスターの間に入る形となった。
「レイシー!? あなた、だめ—」
サンディの悲鳴にも似た声。
「やああああっ!!!!」
レイシーは雄たけびをあげ、両腕でがっちりと振り降ろされるモンスターの腕を受け止めた。
「え!?」
「グ、グァ!?」
モンスターとサンディが同時に驚きの声を上げる。
怪物の棘だらけの丸太のような腕を、少女の細腕が受け止めているのだ。無理はなかった。
しかし、レイシーは動じない。自らの身体から湧き出る力に、完全にすがっていた。
「このっ!」
モンスターの腕を掴むと、めりめりと指が食い込んだ。鋭い鱗で手が切れ、生暖かい感覚が手を滑るが、そんな痛みは気にも留めない。
「りゃああああああああっ!」
モンスターの身体が宙に浮いた。
レイシーは大きくモンスターを振り回すと、岩肌に投げ飛ばし叩きつけた。
「グガアアアアァァァアァッァァッ!?!?!?」
谷底が揺れた。
砕けた鱗や岩に混じり、モンスターの真っ赤な血が飛び散る。
これならいける。彼女を助けられる。
この時レイシーは谷に飛び込んだ時のように、ただサンディを救う事だけを考えていた。
自分の異常さには、微塵も気づかずに。