日暮れのおたのしみ Ⅰ
「中へどうぞ」
食堂のドアはオルガが開けてくれた。
食堂には4人ほどで使うのにちょうどいい大きさの丸いテーブルが真ん中にあり、そこには既に大量の料理が並べられていた。
スープに蒸した魚、彩り豊かな野菜のマリネ、食べやすいよう切り分けられたステーキなどが上げる、良い香りの湯気が少女たちの鼻を楽しませる。
人数分置かれたグラスには橙色の果実のジュースが満たされていた。
奥の厨房から爺やが顔を見せた。これらの晩餐は今日の夕食当番だった彼の手によるものだ。
「ようこそ、お嬢様がた。お食事の準備はできておりますよ」
そこでサンディは爺やを少女に紹介する。それに応えるように爺やは上品にお辞儀をした。
この屋敷に住んでいるのはサンディ、オルガ、爺やの3人だけらしい。
「お綺麗になられましたね……特に、お客人のうなじの辺り。幼いながらも魅惑的で素敵でございます」
「まあ、今日の晩餐は豪華ですのね。とってもおいしそうですわ。あとこの子をそういった目で見るのはやめてくださる?」
「お褒めにあずかり光栄でございます。今日はご客人もおられる故、奮発してみました。それと、失礼をいたしました。結婚したいくらいにそこのご客人が可愛らしくなられておられたので、つい目を奪われてしまいまして……よければ今夜空いていたりは」
「爺や! その目、わたくしが物理的に奪う必要がありそうですわね!?」
「おっと、失礼しました」
サンディはにやける爺やを一喝した。
彼は経験豊富で有能な執事だったが、老人でありながら小さな子どもへの恋心が暴走してしまいがちという癖があるのをサンディは熟知している。
夕食当番という枷に繋がれていなければ、入浴を覗きに来ていたのも明らかだ。
少しだけ片付けをしてきます、と爺やは逃げるように厨房へ戻っていった。
「まったく、爺やはいつもいつも……わたくしとずっと暮らしているくせに目移りばかりして……」
「仕方ありませんわ。サンディお嬢様はもう立派なレディですから。彼の守備範囲には入らないのでしょう」
二人が入ったドアを閉めたオルガが無表情で反応する。
彼女はたまにこのように世辞を言ったりはするが、真顔を崩さず淡々と仕事をこなす故に家事をするために生まれた生き物のような印象があった。
「レディだなんて……おだてがお上手ですのね。それにしてもオルガ、先ほどこの子も怖がってましたし、その真顔は何とかなりませんかしら?」
「努力いたします」
そんなやり取りを横目に、少女ははじめて目にしたご馳走に完全に目を奪われていた。
少女はあれが食べるものだと感覚で理解する。口に入れて、その風味を味わったらいい気分になれるだろうと本能が語りかけている。
熱心に料理を見つめる少女の目線に気付いたサンディは一つ一つ、料理の名前を教えていった。
目を輝かせる少女の興奮はサンディにもひしひしと伝わってくる。
「さて、そろそろいただきましょうか。爺や、片付けは後にしてみんなで食べましょう。お料理が冷めてしまいますわ」
少ない使用人を家族同然と考えるサンディの屋敷では、夕食時は主人と使用人が共にテーブルにつくことになっていた。
まるで本当の家族団欒のように4人はテーブルを囲む。サンディは少女のすぐ隣に座ってくれた。
「それでは、いただきます」
言い終わるなりサンディが少女の方を向き、並べられたフォークとナイフを持って料理を食べるジェスチャーをする。召し上がれ、の合図だ。
それを見て、少女は目の前の御馳走の事しか考えられなくなった。
なるほど、手ではなくこれを使って食べるのか。フォークを握ると、豪快に目の前にあった茶色いソースのかかったステーキに突き刺し、口へと運んだ。
「……~っ!」
口に入った瞬間、口内が香ばしい香りで一杯になった。加えてソースに含まれる甘辛さがステーキ肉の旨みと舌の上で絡み合い、少女を一瞬で籠絡する。
体験したことのない素晴らしい味に少女はうっとりした。そして、すぐに次のステーキを一口で食べた。
「んぁ~……」
またしても味の奔流が少女の口内を蹂躙する。ほおばったステーキ肉の大きさと美味さで頬が落ちてしまいそうだった。
「爺や、あの子はあれが気に入ったようですわね?」
「はい、野菜と果実から作ったソースをミディアムに焼いたステーキに合わせてみました。お嬢様もいかがですか?」
「私よりもあの子に望むだけ食べさせてやってほしいですわ。あの子、すっごく痩せていましたの。爺やの料理で健康になってほしいですわ」
「ほほう……痩せすぎの女子もまた、可愛らしいでしょうなあ……っと、失敬」
「爺や!」
そして、少女は用意されていたステーキをたった一人で平らげてしまった。
サンディや爺や、オルガたちもそれぞれ料理を取り分けて味わう。
スープは塩味がよく引き出された、身体の芯から温まるシンプルな味。ハーブの香りが漂う魚の蒸し焼きは舌の上でまろやかに広がる。野菜のマリネはほくほくした温かい食感で、あっさりした漬け汁はパンとよく合った。
控えめな味の果物ジュースは料理を味わいすぎた舌を元に戻し、バラエティ豊かなメニューを味わい尽くす手助けをしてくれる。
しばらくするとすっかり食卓の料理は姿を消し、空っぽになった白い皿と満腹感が残った。