吹雪の日 Ⅱ
「とにかく、谷へ行ってみましょう」
とサンディは提案した。
闇雲に歩いてもだいたいは大きく森を割る谷にぶつかるため、それに沿って歩けば早く見つけられるかもしれないと彼女は説明する。
「大丈夫。二人とも守ってみせますわ」
「そうだね……きっと、見つけられるよ」
すがるようにレイシーは言った。
吹き付ける寒風と霧の中のような視界のせいで森が森ではないように思えた。前に彼女を探した時より探索の難易度が高いのは明らかだ。
大切な人を失ってしまうかもしれないというこの不安にはやはり慣れなかった。
痛いほど強く握りしめてくるサンディの感触だけを心の支えに、レイシーは歩みを進めた。
彼女に会えたら何と言おうか。次は自分からも、もう危ないことはやめてほしいと言わなければならない。
足を進めるしかない現状を、脳裏を過る最悪の想定を、そんなことを考えてごまかした。
オーネは大きな断崖を見つけた。
そこはまさに二人が向かっている谷であったが、彼女はそれを知る由もない。
オーネもまた、ここに見覚えがあった。前にここで岩に捕えられた際、この谷の近くを通っていたのだ。
「……さて、ここからどう帰ってたっけ?」
谷から離れすぎないよう歩きながら、当時の記憶を想い起こしてみる。
確か自分がいたのは岩場だったはずだ。とにかく岩を探してみることにオーネは決めた。
すると、白い雪の中に鎮座する、大きな黒い塊が見えた。
「あ! 岩かなー?」
近づくと、それは熊の死骸だった。
「……!」
吹雪の中から現れた全貌を見て、オーネは言葉を失った。
激しい戦いがあったのか、赤黒い血が絨毯のように屍骸の周りには広がっている。その中に浮かぶ飛び出た内臓は、まるで血沼を泳ぐ蛇のようだった。また、半開きになった獣の目は炭のように黒ずんでいた。
ごっそり無くなった熊の前足も目についた。それも切り取られたのではなく、強い力で引きちぎったように見えた。
そして何よりもオーネの息を詰まらせたのは、この死骸がまだほんのりと熱を発していることだった。
「ま、まさか……これをやったやつが……近くに……?」
寒さとは違う震えがオーネの背筋を駆け巡る。
そのせいか、視界の端で何かが蠢いたことに気付かなかった。
「こんなに大きな熊を殺すなんて……まさか、モンス」
次の瞬間、オーネは強い引く力を感じたと思うと、腕の感覚が無くなった。
「……あ?」
見れば、腕の感覚が無くなったのではなかった。腕そのものが無くなっていた。
「あ、あああああああああああああああああああああ!!!!!」
「……!?」
レイシーの耳は、吹雪に混ざる悲鳴を確かに感じ取った。
「サンディ……」
「聞こえましたわ。急ぎましょう!」
雪の中、二人は悲鳴の方向へ走った。
すぐに谷へたどり着くと、二人は吹雪の中に横たわっている無残な熊の死骸を見つけて息をのむ。しかしすぐにその傍らに倒れたオーネを見つけ、駆け寄った。
彼女が持っていた籠は打ち捨てられたように地に転がり、中身を地面に散乱させていた。
「オーネ! ……えっ」
「な、なんて酷い……」
オーネの肘の先が喰いちぎられたようにごっそり消えている。
折れた骨がむき出しになり、先端からは真っ赤なインクをこぼしたように鮮血が広がっていた。
彼女はぴくりとも動かない。既に死んでしまったのかもしれない。
「そんな……オーネ……」
親友の無惨な姿は神経が凍るような衝撃をレイシーに与えた。
心臓を鷲掴みにされるような悲しみに、レイシーの息が詰まる。サンディも横で舌打ちしていた。
その時だった。
背後から何者かの気配を感じた。
サンディではない。もっと大きな何かの視線が突き刺さる。
この視線には覚えがある。前にオーネを探した際、こちらを見ていたものだ。
「……あぶない!」
「わっ」
突然サンディに突き飛ばされ、硬直していたレイシーは雪の上に倒れ込んだ。
その時、さっきまで自分の居た所を、何かが高速で通過した。
「い、いったいなに……」
「モ、モンスター……!」
悲鳴にも似た声で、サンディはその名を呼んだ。
吹雪の中、赤黒い塊が徐々に浮かび上がる。
やがて少女たちの前に現れたのは、巨大なトカゲに似た怪物だった。
形こそトカゲに似ているものの、その外見は異形と言ってよかった。全身は鋭く刺々しい鱗で覆われており、触れただけで肉を切り裂かれそうだった。頭には妖しい光を放つ目玉が4つ、こちらを品定めするように睨んでいる。
こちらを一飲みにできそうなほど大きな口からは、鋭い牙が何本ものぞいていた。その凶悪な口の中に残る何本か指の残ったそれは、噛みちぎられたオーネの片腕だった。
腕が咀嚼されるたび、ぼりぼりと枝を折る時のような音が聞こえた。
「あ、あ……」
「こいつ、図鑑に無かった……成程、噂の新種ですわね。どうすれば……」
上から押さえつけられているかのような威圧感が二人を襲った。
新たな獲物を見つけたモンスターは口から肉片をこぼしながら、歓喜の雄叫びをあげた。