男の戦い Ⅲ
「スシ? サンディ、スシってなに?」
「スシ……? なんですの、それは……?」
「私も、聞いたこと無いなー……」
少女たちは首を傾げたが、さすがに料理人のオーネの父は何か知っているようだった。
「極東の民族料理、ですね?」
「ご名答ですぞ」
「いえいえ、私も聞きかじっただけで、まだいただいたことはございません。どのようなものか、ここで見せてもらいましょう」
「いいですとも。それでは、行きますぞ!」
開けられた蓋の中身を見て、レイシーは目を丸くした。
白米の上に、ピンク色をした生魚の切り身が乗せてあるだけなのだ。
これは本当に料理なのか?
横を見てみると、オーネの父以外全員がレイシー同様、更なる驚きの色を隠せていなかった。いつも真顔のオルガすら少し焦っているように見える。
「ねえ爺や……まさか、これを食べろと言うのではないでしょうね?」
「お客人にこのような粗末な物を……爺や、あなた……」
「な、ナマモノじゃないかー! お腹痛くなるんじゃないのー……?」
「いいえ、これが私の料理でございます。スシは酢飯に魚の切り身を乗せた料理なのですぞ。そこで私は水槽で持ち帰った新鮮なサーモンで、それを作ってみようと思いました。本来はこれを食べる際にオハシ、というものを使うそうなのですが、今回は手でお召し上がりください」
口々に文句を言う審査員たちに、爺やは悪びれる様子は一切ない。
むしろ、スシを作った事を誇っているようにも見えた。
「……爺やのことだよ、きっと考えがあるんだよね」
爺やは無言でこちらにウインクした。
とにかく食べてみないと始まらない。爺やの事であるから、まさかお腹を壊すことはないだろう。レイシーは意を決して、スシを掴んで口に運んだ。
「あ……!? お、おいしい……」
新鮮なサーモンは舌の上でとろけ、脂の乗った旨みで味覚を包んでくる。
そこに酢飯の味も加わり、美味な異国の世界が口内に造られたようだった。生の食材を食べているようには思えず、まさにこれは料理だと舌が、神経が、脳が教えてくるようだ。
他の審査員たちも同じことを思ったらしく、衝撃を受けたように固まっていた。
「ここに豆のソースもご用意しました。ショーユ、と言うものらしいですぞ。魚につけてご賞味ください」
「ん!」
ショーユはステーキのソースよりも黒く、さらさらしていた。
切り身によく染みこませて食べると、魚によく合う塩辛さが追加され、更に舌を楽しませてくれた。
「んっ……はむっ……」
その小ささからくる食べやすさもあり、手が止まらない。気付けば自分の皿は空っぽになっていた。
その様子を見て、爺やは満足げに頷いた。
「私は、料理は挑戦だと思います。調理をしているときの些細な思い付きを活かすことや、新しいメニューに挑戦してみたいと思う挑戦の心こそ、私の大切にするものですぞ」
確かに爺やの料理はバリエーションが豊富で飽きさせない。
仮に同じメニューが出て来ても、微妙に味が違う事も、言われてみればあったような気がする。
「挑戦……」
爺やの言葉を、オーネの父も黙々とスシを味わいながら聞いていた。
「どちらもも美味しかったですけど。やっぱり、生ものには抵抗がありますわ。ごめんなさいね」
「私も同感です。それに、あの職人技とも言うべきアクアパッツァには、参考にしたい点もたくさんございました」
オーネの父に投票したのはサンディとオルガの二人だった。
「味も食材も新鮮だったし、新しい世界が拓けた気がするよー! とと様の料理もとっても良かったけど、その新鮮さに今回は一票! ごちそうさまー!」
「わたしも、決めるのは難しかったけど。挑戦してみようっていう爺やの考え方、わたしは応援してみたいなって思ったんだ」
対する爺やはレイシーとオーネの二票を得ていた。
結果、対決は引き分けだった。
「挑戦……それが、あなたの流儀ですか。もしかすると、それを知らず私はあなたを批判してしまったのかもしれません。お詫びします。素晴らしいスシでした」
「いえいえ。こちらこそまだまだ至らぬと改めて自覚出来ました。プロの味、ご披露いただき感謝申し上げますぞ」
二人の料理人は健闘をたたえ合った。
場の全員が拍手を送った。
「それでは、本日はお世話になり本当にありがとうございました。またいつか、お礼をさせていただきます」
「ありがとうー! また市場にも来てねー!」
「オーネもお父さんも、またね!」
「屋敷にもまた、いらしてくださいね」
オーネ親子は、何度も礼を言ってから帰った。
皿や食堂の後片付けを手伝うレイシーは、サンディに話しかけた。
「サンディ」
「レイシー、なに?」
「爺やを見て思ったんだ。やってみるっていう挑戦の心が、夢に繋がるのかもしれないって。だからわたしも今日から、何かやってみようと思う。わたしの夢は、本を書くことだから。だけど、何を書けばいいか思いつかなくて……何がいいかな?」
「それなら、日記をつけてみるのはいかがかしら?」
「にっき?」
「その日の出来事を書き留めていくのですわ。それで練習していつか望んだとおりの本がかけるといいですわね」
レイシーはねだるような目でサンディを見つめた。
「やってみる。文字の書き方を、教えて。わたし、まだ少しだけわからないから」
「……ええ」
その夜、サンディに文字を教えられながら、机に向かって書き続けた。
寝室の明かりは煌々と、二人の少女を照らし続けていた。