男の戦い Ⅰ
「お待たせしましたお嬢様、遅くなってしまい申し訳ございません。さっそく朝食にいたしましょう」
沢山の袋や箱を乗せた小さな荷車を引き、爺やが玄関に到着した。
「おかえりなさい、爺や」
「今日はわたしたちがお出迎えだね」
「ええ、その可憐さはとてもとても目に余ります。朝には刺激が強すぎますぞ……妖精が二人、この先の短い老いぼれに祝福を与えてくれているようで、一瞬意識を失いました。いつもいつもお二人は可愛らしい、私の生きる理由であり喜びです。まったく、どんな疲れも悩みも些末事のように感じますぞ」
「……そういえば爺やって、たまにオーネのお父さんみたいな喋り方するよね。焦ってる時の」
「こら爺や、お客様が来ていますのよ。にやにやするのはお止しなさい」
「なんと、それはいかんいかん。この爺や、腕を振るわせていただきますぞ」
口元の上がった顔をばしばしと叩いて正すと、爺やは買った食材を厨房へと運び始める。
その様子を察したオルガも、居間からこちらへとやって来た。
「おや、お帰りなさい。運搬は私にお任せください」
「お嬢様方は料理ができるまで、居間でお待ちいただいて結構ですぞ」
「爺や、オルガ、お願いね。わたくしたちはオーネ達のお相手をしてきますわ」
やって来たオルガにあとを任せ、二人は居間へ戻った。
親子の腰かける机に対面すると、オーネは身を乗り出してきた。
「本当に悪いねー、助けてもらった上にご馳走になっちゃってー……その代わりになるかわからないけど、私の事、いっぱい話しちゃうよー!」
「ほんと!?聞かせて!」
レイシーも身を乗り出した。
「本当にうちの子は話し好きなんです。どうか、聞いてくださいませんか」
それからオーネは彼女の父と共に、彼女のこれまでの事について語ってくれた。
料理をする親を見て育ったこと。市場の人たちと関わりながら育ったこと。母が死んで辛かったこと。父と支え合いながら生きてきたこと。客の笑顔に救われたこと。いつか自分も彼らを笑顔にしたいと思ったこと。
快活に話す彼女の声は、耳を通って、心に直接体験を伝えてくるようだった。
「ありがとう、オーネ。とっても楽しいお話だったよ」
話が終わった時、レイシーはとても満足していた。
まるで彼女の過去を、自分も体験できたような気がした。
「一人一人がそれぞれの人生を持って、色んな事や経験をしているんだね。わたし、もっといろんな人ともお話ししてみたくなったよ」
「なんか、言い方が壮大だねー。だけどお話がしたいなら、また市場においでよ! 私の友だち、いっぱい紹介しちゃうよー!」
「私も、その時は精一杯おもてなしさせていただきます」
「そうですわね。また行きましょうね、レイシー」
「うん!」
そこでレイシーははっと思い出した。
そもそも市場に行ったのは、王都に行くことの練習としてだったはずだ。
「そうそう、わたしたち、王都に行こうと思ってるんだ。オーネも一緒に行こうよ!」
「いいねー! とと様もそこで料理の修業したんだってー! 私もいつかとと様みたいな料理人になりたいからー、是非誘ってよー!」
「うう……私は、なんと孝行者の娘を持ったのでしょう……」
「もー、とと様、また泣いてる! 私が夢の話をすると、いっつも泣いちゃうんだー! それだけじゃなくてね、気持ちが全部顔に出ちゃうんだよー! しょうがないなー!」
オーネはぽろぽろ涙を流し始めた父親の背中を、慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「サンディとレイシーは、何か夢はある―?」
「わたくしは……まあ、家内安全が守れれば、それでいいかしら」
「あっ、無難な答えで逃げた―。じゃあ、レイシーは?」
「夢、かぁ……」
レイシーは戸惑った。自分が何の職業に就きたいか、と言われてもイメージが湧かない。
「うーん、難しいなあ……やってみたいことならあるけど。本を書くこと」
「へー。レイシーは本が好きなんだ?」
「うん、本は知らないことをいっぱい教えてくれるんだ。書いた人とお話してる気分になれるから、いつかわたしも書いてみたいなって思ったことはあるんだ。だけど……お仕事にできるのかなって言われると……」
作家という職業も重宝されるとサンディは話してくれたことはある。自分もそれになりたいと思っていたこともある。
しかし今、自分が働いているところを想像しようとすると、心の中の曖昧なもやがその映像を曇らせてしまうのだった。
それは、「自分がやっても成功できないかもしれない」という不安だったのかもしれない。オーネの夢への情熱に気圧されて、無意識に委縮してしまっていたのかもしれない。
そこで、オーネは話しかけてきた。
「私ね、レイシーが教えてくれた、それをしたら何が起こるか考えるっていうのも大事だと思うんだ」
「……うん」
「だけどね、何がしたいのかっていう気持ちも、同じくらい大事だと思うんだー! 大丈夫だよ、きっとレイシーは本を書く人になれるよ! こんなに小さいのに、とっても賢いんだもの!」
「わっ」
彼女はこちらの頭をくしゃくしゃ、と撫でてきた。いきなり撫でられてくすぐったかったが、少しだけ心地良かった。
「ええ、レイシー。わたくしも応援しますわ」
サンディも、肩に手を置いてくれた。温かく、優しい手だった。
「サンディ、オーネ……わかった。わたし、考えてみる」
過去の話に未来の話。少女たちの楽しい会話は、レイシーに確かな決意をもたらした。
しかし、この時は思いもしなかった。
隣で話を聞いていたオーネの父がこの日、爺やと戦うことになろうとは。