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レイシーのぼうけん  作者: 偶像兎
第一章 少女と森のやしき
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姫と人形 Ⅱ

 浴室の戸が開くと温かい湯気が二人を迎えた。

 地面に穴をあけるように作られた温泉のような浴槽は、大人が5人は入れそうなほど広かった。壁の蝋燭は仄かな光でこの部屋を照らし、薄暗く落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 サンディはさっそく少女の手を引き、浴室の奥を示す。

 その先には椅子と鏡。サンディの屋敷の人々が、体を洗う際に使用している物だった。

 それらの名前も少女に教えると、彼女の肩を持って椅子にすわらせた。

 前にかけられた鏡に映る自分を見て、何かがいると少女は驚いた。思わず後ずさりしそうになるが、鏡の中には青白い肌の見知らぬ人物と微笑むサンディが映っている。

 どうしてサンディがあちらにいるのか、その前の人物はいったい誰なのか。鏡を知らない少女は困惑する。

 後ろを見ると、自分の後ろにもサンディがおり、微笑んでいた。

「鏡」と自分の後ろのサンディは前を指さして教えてくれた。

 どちらの彼女も、連動して同時に動いている。もう一人の謎の人物も、自分が手を上げると手を上げていた。

 そこで少女は鏡がこちらを映す道具であることに気付く。ということはこの見知らぬ人物は自分であるのだろう。自分の姿を見るのははじめてのことだった。

 別の人には自分はこう見えているのだろうか。無造作に伸びた長い黒髪に、薄汚れ、肋骨まで浮き出た細い身体。

 僅かな光にもきらめく華やかな金髪、張りのある瑞々しい肌を持つサンディと並ぶとその貧相さが際立ってしまう。


「……う」


 彼女に比べて自分はあまりに醜い、と少女は感じた。思わず鏡から目をそらそうとすると、サンディが肩をつついてくる。手に白い石のようなものを持ち、指さして「石鹸」と言った。

 サンディが石鹸をこすりあわせると、見る見るうちにさわやかな香りの白い泡がもこもこと彼女の手を包む。サンディは少女の髪にその手を伸ばした。

 ぼさぼさだった、くすんだ髪に泡をなじませると、黒く美しい艶が現れた。少女は自分の汚れが落とされ、綺麗にされていくのを鏡越しに呆然として眺めていた。

 サンディは髪ではなく、身体にも手入れをしてくれた。タオルにも石鹸で泡を付けると、全身を磨くように、丁寧に汚れを落としてくれる。


「あ……」


 タオル越しに感じる身体を揉み解すようなサンディの手は、思わず自分の全てを委ねてしまいそうな心地よさを少女に与える。

 少女の全身が泡で包まれたところで、サンディは置かれていた桶を持ってきた。

 浴槽からお湯を汲むと、その名前もしっかりと教える。ありふれたものでも、少女にとっては未知の物体であることをサンディは理解していた。


「桶。お湯」


 彼女は手で桶のお湯を少し掬い、少女の前に差し出した。

 少女は指を彼女の手の中のお湯に入れる。温かい感触に指がつつまれた。

 お湯の感触に慣れたところで、サンディは顔を指さし目を閉じるジェスチャーを見せた。真似しろ、という事だろうか?

 目を閉じるとざばっ、と頭から先ほどのお湯がかけられる。温かい感触が体の表面を流れて行った。


「ひっ」


 頭から液体をかぶったことに驚いて目を開けると、自分の身体の泡がすべて洗い流されていた。

 濡れた自分の身体からは泥や汚れがすっかり消えているばかりか、石鹸の良い香りまで備わっていた。

 更にサンディは手に「鋏」というものを持ってきた。彼女はそれを使って、少女の髪に手を加えはじめる。

 チョキチョキという耳に残る音とともに、伸びすぎた髪は短く整えられていった。

 そして今、鏡に映るのは見違えるようになった自分。


「ああ……!」


 少女は驚いた。腰のあたりまで短く整えられたつやつやの黒髪、汚れ一つない、綺麗になった身体。今や痩せぎすの体型もほとんど気にならない。

 サンディには人を美しくする不思議な力でもあるのだろうか?


「ふふふっ」


 彼女も鏡越しに笑顔を見せる。少女も笑顔で感謝を伝えた。

 言葉のわからない今は笑顔がただ一つの、互いに通じ合う会話だった。


 少女に続き、サンディも身体の汚れを落とし終える。綺麗になったサンディの髪はきらめきをさらに増し、光そのものを集めて作った糸のようだった。

 サンディは立ち上がり、自分と少女の頭にタオルを巻いて長い髪をまとめる。それから優しくエスコートするように、大きな浴槽の中へと少女を導いた。

 浴槽に足を踏み入れると、たまったお湯が足から自分の身体を温めてくれた。

 そのままサンディと共に、少女は肩までお湯につかった。


「ふぅー……」


 思わず長い息をつく。心地いい温かさは、自分のすべてを包み込んでくれるかのようだった。

 サンディも湯の中で、力を抜いてゆったりと浮かぶようにくつろいでいる。少女が風呂を気に入ってくれたのを見て、また微笑みを向ける。

 笑顔を交えながら思う存分、二人は湯の中で穏やかな時間を過ごした。


 入浴を終えた二人が脱衣所に戻ってくると、オルガが控えていた。


「ドレスの着付けをお手伝いします」


「ありがとう、オルガ。先にこの子に着せてあげてね」


「かしこまりました」


 こちらへ近寄ってくるオルガの顔を見て、少女は居間での紅茶の一件を思い出した。

 あの口が焼けるほど熱い飲み物を持ってきたのは確かこの人物ではなかったか。


「ひぃっ……」


 自分にまた何かする気なのか。裸の少女の胃袋がきゅっと縮んだ。思わず後ずさりしてしまう。

 彼女の表情は石でできたように固まったままで、何を考えているかはうかがい知れない。言葉もわからない少女にとっては、かなりの恐怖だ。


「オルガ、あの子はあなたを怖がっているようですわよ? わたくしが紹介して差し上げますわ」


 サンディは彼女を指さして「オルガ」と名前を教えた。

 少女は先ほどからサンディがこの人物と話していた時に発していた「オルガ」は、この人物の事であると理解できた。

 しかし、名前がわかっても彼女への恐怖は完全には消えない。少女はとうとう壁まで逃げてしまった。


「……どうしましょう?お嬢様」


「オルガの表情が固いのがいけないのかしら? 笑顔にしていれば、あの子も笑顔になりますのに……

仕方ありません、わたくしから先にお願いしますわ」


 サンディは大きめのタオルを一つ棚から取ると、身体が冷えないように少女の肩にかけた。

 彼女はオルガの前へ行くと両腕を広げる。オルガは畳まれていたドレスを拾い、手慣れた様子で彼女の体につけていった。

 さらに、オルガは小さな小箱を取りだした。彼女はそこから透明なジェルを掬うと、丁寧にサンディの顔に塗っていく。

 そして少女の目の前に現れたのは落ち着いた赤い衣装に身を包んだ、見とれるほど美しいサンディの姿だった。

 湯上りの火照ったサンディの肌は、ジェルでつやつやと眩しいほど輝いている。

 ドレスは真紅の花を敷き詰めた絨毯のような、燃える赤。

 彼女の光を放つ肌とよくマッチし、えも言われぬ艶やかさだ。

 その様子は、まるで美しさと可憐さを併せ持つ、名画の姫君のようだった。

 うっとりと見つめることしかできない少女にサンディが微笑みかけた。そのあまりの優美さに、心臓が胸から飛び出そうになる。

 オルガがドレスを手に、少女の方へとやって来る。しかし今や紅茶の一件やオルガの仮面をかぶったような真顔への恐怖よりも、自分も綺麗になってみたいという気持ちの方が強かった。

 少女はサンディのジェスチャー通り腕を広げる。その身体にオルガが同じように、素早くドレスを着せていった。

 オルガがすべてを着せ終えると、少女をサンディが手招きした。鏡台の方を指さしている。

 そこには精巧で可愛らしい人形が映っていた。それが自分の姿だと気づくまでに、少女は数秒を要した。

 着せられた長袖の黒いドレスは少女の青白い肌色と合わさって、儚げで繊細な美しさを演出している。

 あちこちについたフリルやスカート下から僅かに見えるふわふわのドロワ-ズ、リボンのついた小さな靴は少女の持つあどけなさも引き立てていた。


「わ……!」


 自分の精神がこの体にあることが信じられないくらいの愛くるしさだ。もう少女は自分が醜いなどとは微塵も思わなくなっていた。


「お嬢様もお客人も、よくお似合いですよ」


 真顔を崩さずオルガが褒める。感情の読めない彼女はやはり怖かったが、自分に綺麗な衣装を着せてくれたのもこの人物だ。その恐怖はいくらか薄れていた。


「ありがとう、オルガ。さあ、夕食ですわ。食堂へ向かいましょう」


 差し伸べられたサンディの手を、少女はとった。

 きれいなサンディのきれいな笑顔に、見合う姿になれただろうか?


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