クエスト・フォー・オーネ Ⅰ
その朝、紅葉の森の上に日が昇って間もない時だった。
まどろみの中にいた二人に、目覚めをもたらしたのはオルガだった。
「お嬢様がた、ご来客でございます」
「……え?」
「こんな時間から……どなたかしら?」
レイシーとサンディは寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドから身体を起こした。
オルガは朝早いというのにきっちりとエプロンと給仕服を身に着け、寝室のドアの前に控えていた。
「オルガ、来客と言うのはいったいどなた? もしかして……」
「ご安心ください、王都ではなく市場から来られた方です。レハンド、と名乗っておられました」
レハンド。その名前は聞いたことがあった。記憶の糸を手繰り寄せるレイシーの頭は、徐々にはっきりしてくる。
「市場の食堂だったっけ……オーネかな?」
「ええ。一度話を聞いてみましょう。オルガ、来客用のドレスに着替えを手伝ってくださる?それが済んだらお客様はわたくしが応対しますわ」
オルガの手を借り、二人は迅速に着替えを済ませた。
たくさんフリルのついた、豪奢な紫色のドレスに身を包んだ二人が居間に降りようとすると、壮年の男性がソファに座っているのが見えた。
男性は全速力で走ってきたのだろう。息を切らしながら、肌寒い時期にもかかわらず滝のような汗をかいている。
また、コートを羽織ってはいたが、ズボンは部屋着のようなものだった。いかにも慌てて出てきたという格好だ。
しかしその口ひげを蓄えたその顔を見ると、ぼんやりしていた記憶が一気に鮮明になった。
「……ねえ、サンディ……あの人、『とと様』じゃないかな?」
「そう見えますわね。やっぱり、オーネに関係がありましたわね……」
彼は市場の食堂で見た、あの料理人に間違いなかった。
しかし二人がソファに座るや否や、彼はいきなり身を乗り出して、叫ぶように話しはじめた。
「どうか、助けてくれ!俺の娘が、いなくなったんだ!書置きを残して……」
「わかりましたわ。それはいつ……」
「ああ、森なんかに行くなんて……あの子は昔からそうなんだ、優しすぎるんだ……一緒に食堂をやっていた俺の妻がお産で死んだのを知った時も、自分のせいで死んでしまったと自分を責めて、俺に妻の代わりに美味しいものを作ると言ってくれて……今では俺の跡を継いで料理人になるって言ってくれたんだ!」
「だから、いつごろあなたの娘は……」
「あの子を失ったら、俺はどうしたらいいか! もう死ぬしかないな、いや、それでも化けて出るだろう! それほど無念でならないに違いない、ああ、考えただけでも恐ろしい!」
完全に落ち着きを失っていた彼は、怒涛の勢いでまくし立てるように話した。
まるで自分が責められているような気さえして、レイシーは早く戻りたくなった。
対応しているサンディはどうだろう。ちら、と彼女の方を見てみると、真顔のまま、ふるふると震えていた。
「何で俺はこんな目に遭うんだ! いつもそうだ、大事な物ばかり俺の手から零れ落ちていく! ああ、どうして、どうしてだ!」
「もう……静かにしなさい!」
興奮しながらしゃべり続ける男性を、耐えかねたサンディは凛とした声で一喝した。
きん、と空気が冴えわたった気がした。
「それは今、関係のある事ですの!? その子がいなくなった時のことを詳しく話しなさいな! 今必要なのは思い出ではなく情報ですわ!」
年上相手でも屈しない、濁流のような言葉の乱れ撃ちに切り込んだサンディの堂々とした態度は、まさに屋敷の主にふさわしいものだった。
彼は冷水を浴びせられたようにぴしっと固まり、我に返ったようだった。そのままばつが悪そうにソファに座り直した。
「大変失礼しました。どうも、娘の事になると熱くなってしまうのです……申し訳ない」
「あなた、市場で食堂をやっているレハンドさんでよろしいですわね? わたくしはサンディ。この屋敷の主ですわ」
「わたしはレイシーです。宜しくお願いします」
レイシーも礼儀正しく、ぺこりと頭を下げた。
「はい。私の事を知っているという事は、店に来てくれたことがあるのでしょうか?」
「ええ、この前行きましたわ。マリネ、美味しかったですわよ」
「わたしも、ステーキ頼みました。美味しかったです」
すかさずレイシーも感想を述べた。
あのステーキは、確かに絶品だった。少しでも感謝を伝えたかった
「気に入っていただけたのなら幸いです。ありがとうございました」
「さて、本題に入りますわ。一体何の用でここにいらしたの?」
「私の娘がいなくなってしまったのです。朝起きるともう既に姿は無く、こんな書置きを残していました」
レハンドはコートのポケットから、一枚の紙片を取り出した。
その紙には殴り書きしたような文字で、こんなことが書かれていた。
とと様へ
市場のはずれの森に行って食材を取ってきます この時期はとても美味しい食材が取れるそうです
昼までには戻ります
「昼までには戻ると書いてはいるのですが、どうも心配で……何せ市場の者がこの森に近寄ることは滅多に有りませんから、危険かどうかも分からないのです」
彼の心配は当たっていると思った。モンスターがいないとしても危険な動物や植物もきっとあるだろう。オーネの身を案じ、レイシーは不安になった。
サンディも同じことを思っているらしく、困ったように顔をしかめていた。
「それはまずいですわね。知らない者が一人で森に入るのは、危険ですわ」
「そ、そんな……じゃあ、俺はどうすれば!」
再び熱くなりかけたレハンドを、サンディが制止した。
「落ち着きなさい。わたくしが探しに行きますわ。あなたはここで待っていてくださいな」
「わたしも行きます! わたしもオーネが心配です。きっと見つけ出します」
「ありがたい……それでは、ここでお待ちしています……」
サンディがその言葉に頷いてオルガを呼ぶと、彼女はすぐに現れた。
「まず、この方にお茶を出してあげて下さる? それから、わたくしとレイシーは今から外に出るから、また外行きの服に着替えを手伝ってくださいな」
「かしこまりました」
「爺やがいないから、色々申し付けて悪いですわね。宜しくお願いね」
爺やは朝早くから食材の買い出しに市場に出かけると昨夜言っていた。ちょうど彼とは入れ違いになったのだろう。
「それにしても森の中に屋敷があると噂には聞いていたのですが、まさか人が住んでいるとは思いませんでした……」
呟くレハンドに、サンディはにっこり笑いかけた。
「だけど、そのおかげで助かったでしょう? さあレイシー、着替えたら森に行きましょう」
「うん」