友だちの気持ち Ⅱ
「『剛拳』の兄貴!」
レイシーが彼の手を取ることを渋っていると突然、小柄な男が走ってきた。
彼は近くにあった樽に飛び乗って大男に背丈を合わせると、興奮した様子で耳打ちした。
「いい儲け話がありましたぜ、あの昔逃げたヴィルヘルムのヤツがこの近くに潜伏してるらしいですぜ!」
「ほう……よく知らせてくれたな。しかしまあ、しばらくは放っておけ」
「ひっ捕らえて持ってかねえんです?」
「奴は表だって悪事を働いたわけでもない。それにヴィルヘルム家は今忙しく、依頼すら張り出してこねえ。持って行ったところで勝手にやったで安い金で追っ払われるだけだ」
小男は耳打ちしているつもりだったのかもしれないが、レイシーの耳にはその内容が良く聞こえた。
「せめて、反乱の兆しでもあれば別なんだがな……っと、すまんな嬢ちゃん。放っておいちまって」
「い、いえ……気に、しないで……」
彼は小男から目を離し、こちらを向いて申し訳なさそうな顔をした。
何の話をしていたのかよくわからない。ヴィルヘルム、という人がどうかしたのだろうか。
「おい!」
「はいはい」
大男はカウンター奥の、胸元の開いた女性を呼びつけた。
丁度愚痴を聞き終わったのか手の空いていたその女性は面倒くさそうな顔をしながらも、こちらへ近寄ってきた。
「頼みたいことがある。この嬢ちゃんを表通りまで送り返してやってくれ、俺じゃあ怯えてだめらしい。ここはこんな子どもの居場所じゃねえ」
「仕方ないわねえ。あんただから聞いてあげるけど、次は流石にしないからね?あと、店の真ん中で『やかましい!』なんて、むやみに叫ぶのは止めて。『剛拳』さん?」
「叫んだのは仕方ねえだろ、酔っぱらいどもが悪い。それに、店を空にするのを心配してるのか?俺が見張っててやるんだぞ?」
「あんたじゃ心配なんだよ」
「何言ってんだ、俺は『剛拳』だぞ?そんじょそこらのやつに負けやしねえ」
「じゃあ、あんたがお酌しておしゃべりするかい?胸の大きさならあたしといい勝負じゃあないか、きっとエロオヤジも大満足だよ」
「それは冗談キツイな……とと、すまねえ嬢ちゃん」
またも会話に置いてけぼりになっていたレイシーに、ようやく視線が向けられた。
「さあ、このおばさんについて帰りな。このおばさんはここの女将さんでな、裏通りで迷うことはねえから頼りにするといい」
「お姉さんだっつーの。さあ、行きましょう。大丈夫よ、怖くないわ」
「……うん。ありがとう、ございます」
女性は優しく語りかけてきた。
傭兵ではなく女将さんという事もあり、この人物からは特に威圧感は感じられなかった。
彼女の手を取り、レイシーは何とか立ち上がった。
「それじゃあ店番を頼むよ。勝手に酒開けたりするんじゃないよ」
「あーい」
二人が出て行ったのを確認すると、「剛拳」はすぐに酒のボトルを一つ開けた。
グラスに並々と中身を注ぐ。黒く濁った、泡立つ液体が零れそうなほど満たされた。
「そういえばちょうどあれくらいの年だな。ヴィルヘルムの小娘は」
杯をあおりながら、「剛拳」は呟いた。
裏通りのならず者達は、連れの女性を見るとそそくさと逃げて行った。
その様子はまるで、女性という炎を怖がる動物のようだった。
「こんな所に女が二人して歩いてるぞ……やっちまうか……?」
「馬鹿言え。あれに手を出したら、『剛拳』にシメられちまうぞ」
そんなひそひそ声も周りから聞こえてきたが、近寄ってくる者は一人としていなかった。
そうしているうちに二人は薄暗い通りを抜け、石造りの家が並ぶ通りを抜け、夕暮れの市場の目前へとやってきた。
「さ、表通りだ。もう裏通りなんて来るんじゃないよ」
「あ、ありがとうございました」
レイシーはぺこり、とお辞儀をした。
女性は軽く手を振ってそれに応えると、背を向けて戻って行った。
「……親切な人たちで、よかったな」
遠く離れた異世界に行っていたような、不思議な感覚が全身を包んでいたが、自分はようやく元の世界に戻ってこれた。
聞き慣れた声が聞こえたのは、そう思ったレイシーが表通りに出てすぐのことだった。
「レイシー!探しましたわ!」
「サンディ……!」
サンディがこちらを見つけて走ってきた。
聞きなれた声が耳に入り、レイシーの中に張りつめていた緊張がすっと解れる。
「もう、どこに行っていましたの!?迷子にならないよう気を付けてって、最初に言いましたわよ!」
「そ、それは……その、極東のナイフを見つけて、あと一本しかなかったから……」
「それはそれとして、あなたのやった事は迷惑をかけましたのよ!?」
サンディは怒ったような、焦ったような口調で言った。
このような話し方をされたのは初めてだった。自分は彼女を怒らせてしまったのだろうか。
「ごめん、なさい……」
申し訳なさに耐えかね、レイシーは頭を下げた。
安心も束の間、再び心が落ち込んでもやもやしてきたその時。ぽん、と肩に手が置かれた。
「……とはいえ、わたくしの監督の不行き届きもありますわ。わたくしからも、謝らせてくださいな」
とても優しい声色だった。
それを聞いて、サンディも自分を見つけられて安心していることがわかった。
「サンディ……本当に、許してくれる……?」
「許さないなら、こんなふうに怒ったりもしませんわよ。無視して帰りますもの。こんな風に言うのも、全部あなたが心配だからですわ。みんなを喜ばせたいというあなたの気持ちはよくわかっていますわ。だけど、それでもはぐれてしまったらとっても心配ですのよ」
レイシーは顔を上げる。サンディは笑顔だった。
「ですから、黙っていなくなったらわたくしも心配する、というように、これからはそれをするとどうなるかをしっかり考えてから動いてくださいな。大丈夫、レイシーはやさしくてかしこい、わたくしの自慢の家族なのだから」
「わかった……気を付ける」
サンディは自分の気持ちをわかってくれた。
きっと、目先の物に向かって走ってしまったのがいけなかったのだろう。
しっかり自分を省みて、教訓にしようと心に誓った。
「よかった。見つかったんだね」
「よかったです……」
「よかった、よかったー、だね!」
「ええ。協力していただきありがとうございました」
後ろから声が聞こえ、レイシーは振り返った。
するとそこには、夕日に照らされる4つの人影があった。
「あれ、ヤーコブ? アリエッタ? オーネに爺やまで。来てくれたの?」
「サンディに頼まれて君を探していたんだ」
「そーそー! あの後、慌てて食堂に彼女が来てねー。私達も一緒に探そうかなって、お手伝いしてたんだー!」
「お待たせして申し訳ございませんでした。オルガの作品を安く買い叩こうとする不届き者がおりましてね……ようやく取引が終わったと思ったらお嬢様に出会いまして、レイシー様が迷子になったとお聞きしたのです。それで、探しておりました。久々に走りましたぞ」
「そう、だったんだ……みんなにも迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
レイシーは4人に向かって頭を下げる。
自分の行いのせいでこれだけ多くの人を振り回してしまった。サンディは許してくれたが、この4人は怒っていたりはしないだろうか?
「いいんだ。僕とレイシーはもう友だちだろう?」
「そうよ。友だちなら当たり前でしょう」
「私も、友だちだよー!」
「この爺やもお友だちにして……いや、お友だちから始めさせてくだされ!」
「もう、爺や! ……ともかくみなさん、ありがとうね。おかげで何とかレイシーを見つけられましたわ」
レイシーが顔を上げると、全員が笑顔でこちらを見つめてくれていた。
それを見ると、見守られているような、嬉しさと安心が入り混じった感覚がして、胸がほんのりと温かくなった。
「……ありがとう」
もしかするとこれが友だちになるという事なのかもしれない。
もう、会ってすぐ親しくなるなどおかしいなどとは思わなかった。
この心地よい感情を、レイシーは信じてみたくなった。
「サンディ、わたし、友だちができたよ!」
友と別れを告げ、ようやく買えた極東のナイフの包みを手に、レイシーたち3人は屋敷への帰路についた。
こうして、初めての買い物は終わった。
買えるものも、買えないものも。
すべて大切なたからものとなって、レイシーの心に刻まれたのだった。