雑踏に迷う Ⅱ
「極東のナイフ? うちにはないなあ」
「ごめんなあリボンの嬢ちゃん、さっき売切れちまった」
「およよ、そのナイフもう出回ってるのか? 教えてくれてありがとうな、今度仕入れてみるよ。ところで、この短剣とか買っていかないかな?」
「さっきまとめて買っていった人がいてさ、もう無くなってしまったぜ! すまん!」
二人は再び手をつなぎ、いろいろな露店を根気よく回った。
しかしどの店を回っても、ナイフは見つからなかった。
やがて高く上っていた太陽も傾き始め、賑わい続ける市場も日暮れの橙色に染まり始めた。
「……ありませんわね」
「……ないね。でも、市場のお店は全部回ってないよね?」
「ええ、ここは広いからこれでも全体の半分くらいですわ」
「まだ行っていないお店があるなら、諦めずに行ってみようよ。爺やもまだみたいだし」
「そうしましょうか。だけど日が落ちたら、流石に帰りますわよ」
「うん!」
残された時間はあと少し。きっとどこかにあるはず。
気合を入れ直したレイシーが、ぐるりと周りを見回した、その時だった。
雑踏の隙間から、ぎらりとした刃の光が見えた。
ぎらぎらした、物を切るために研ぎ澄まされた鋭い光。食堂で見覚えのある光だった。
例の極東のナイフに違いない。
しかし店頭にはほとんど商品はなく、ナイフももう一本しか残っていない。
そしてちょうど、客らしい男性がナイフに手を伸ばそうとしていた。
「あっ、いけない!」
レイシーは思わず、人ごみをかき分けて駆け寄った。
小さな身体を活かして行き交う人の河を次々にくぐり抜けていく。
何とか露店の前に到着したレイシーは、慌ててその客の間に滑り込んだ。
「おっと、なんだいお嬢ちゃん?」
「それを買わないで! わたし、それが欲しい!」
これがあれば、みんなが喜んでくれる。
全力疾走で息が上がりそうになりながらも、レイシーは声を張り上げていた。
「はははっ、そうお願いされちゃあ仕方ないな。譲るよ」
「よかった……ありがとう」
「あとそのリボン、よく似合ってるよ」
客の男は笑うと去って行った。レイシーは改めて店主の方へ向き直った。
店主は黒髪をさっぱりと短く切った男性だったが、生地が重なった、見たことのない灰色の服を着ていた。
おそらく、この服がオーネの言っていたキモノなのだろう。とすると、この男は探していた極東の商人で間違いない。
「これ、ください!」
最後の一本となったナイフを、レイシーは手に取った。
「お嬢ちゃん、ついてるね。発注が遅れて、一本だけ今届いたんだ。我々の商品は珍しいのか、すぐ売れてしまうからね」
「それはよかった! ねえサンディ、お金を……」
そこまで言って、レイシーははっとした。
走るのに夢中で、手をつないでいたはずのサンディを置いてきてしまったのだ。
「あれ」
サンディはどこに行ったのだろう?
きょろきょろあたりを見回してみたが、ただ人ごみが目に入るばかりでそれらしき姿はどこにもない。
自分がどちらから来たのかもわからず、彼女がこちらを見つけるのも難しいかもしれない。
「リボンのお嬢ちゃん、お金がないなら売れないよ。あー、誰か代わりに払ってくれる人がいるのかい?」
「うん」
「さっきの人ももう行っちゃったからな。じゃあこれは売れたことにしておくから、探してきて払ってもらってくれ」
来たはずの道を戻って探したがサンディは見つからなかった。
人ごみをかき分けるたび、知らない脚が立ちふさがる。
見上げても見上げても、見たことのない顔ばかりが目に映る。
せめて一声かけてから走るべきだったと、レイシーは自分の行いを悔いた。
このまま彼女にもう会えなくなって、帰れなくなったらどうしよう。
そう考えると腸の中をじわじわした感覚が流れるような、嫌な不安が襲ってくる。
「……いけないいけない。ここで諦めたら本当に駄目になる。サンディを探さないと」
呟いて自らを励ますと、レイシーは考えながら歩きはじめた。
そもそも自分の姿が見えなければ、サンディはどうするだろうか。
自分を探しているのかもしれない。もしくは自分を待って先ほどの食堂まで戻っているかもしれない。
どちらにしろ市場を知らない自分が下手に動き回るよりは、知っている場所で待っていた方がいいだろう。
「食堂に戻ろう。それがいい」
レイシーは市場の通りから再び横路に入り、まずは先ほどまでいた食堂を探した。
「ここじゃないのかな?」
似たような外見を持つ石の家を一つ一つ見て歩いたが、あの看板は見当たらない。
「もう少し奥だったのかな。行ってみよう」
レイシーは市場の通りから離れて歩き、突き当りの角を曲がった。
直後、一気に辺りが暗くなった。
「……あれ?」
そこは出っ張った屋根と路の狭さで殆ど光が届いていない通りだった。
賑やかな市場とは対照的に陰鬱な陰りが通りを支配しており、夕方を追い越して一気に夜になってしまったような薄暗さがそこにはあった。
酒瓶を持ち、うずくまっている集団がいる。
彼らは全身が泥だらけで、掃除の後の雑巾のようなにおいがこちらまで漂ってきていた。
いまだ蠢く両生類の干物や標本を並べた小さな屋台もあり、黒いフードで顔を隠した店主が身動きひとつせず座っていた。
「あ、あれ……おかしいな……?」
不気味さと心細さが、ぞわりと背中を撫でる。明らかにこんなところに食堂はなかったはずだ。
帰ろうとしたが、すぐ後ろではいつの間にか現れた男が壁に寄りかかり、鈍く輝く短剣を眺めていた。
その幽霊のような男がちらり、とこちらを見る。無表情な眼だったが、隣を通りたくはなかった。
「こわい……! サンディ、どこ……!?」
レイシーは救いを求めるように、近くの建物に逃げ込んだ。