姫と人形 Ⅰ
そこで扉が開き、湯気の立つカップを二つ、トレイに乗せたオルガが入ってきた。
「お嬢様、お茶をお持ちしました。どうぞごゆっくりお過ごしくださ……」
これはまずい、とサンディは素早くオルガの隣まで行くと台詞を遮って耳打ちする。
「オルガ! ちょっと静かにしてくださる!? この子がまた変な言葉を覚えてしまいますわ!」
それを聞いたオルガは紅茶を机に配置して一礼すると黙ったまま部屋を後にした。
しかしそんなサンディの心配も無駄なことで、少女はオルガの言葉をさほど気にも留めなかった。
こちらを見てはいなかったので自分には話しかけていないのだろう、と思ったのだ。
サンディも聡く、その様子を見逃さなかった。加えて初めて出会った時や玄関での爺やとのやり取りも彼女は気にしてはいなかった事から、少女は何でもおうむ返しにしているのではない、と気づく。
一度試してみるため、サンディは壁に向かって話しかける。
「カップ」
突然何もないところに向かって話し始めた、と少女は思ったが他のところで誰かが聞いているんだろうと決着する。
その後、オルガが持ってきた湯気の立つ紅茶のカップを指さして、サンディは
「紅茶」
と名前を教えた。
サンディは少女の方を向いて話している。他のところの誰かと話すのはやめにし、こちらに話しかけることにしたらしい。
「コウチャ」
と少女は答えた。
サンディの考えは当たっていた。少女はカップではなく、紅茶と答えた。少女は言葉こそ知らないものの、対話の相手を判断することはできると確信する。
この発見で少し調子に乗ったサンディは紅茶の飲み方も教えることにした。サンディはカップを右手で持つと、少女の前でゆっくりと上品に一口飲んだ。これはこうやって楽しむものだ、と手本を見せているのだ。
その後、少女の方を向きやってごらん、と微笑む。もう一つのカップは少女の目の前に置かれていた。
どうやらこれは、あのようにして口から飲むものであるらしい。カップを顔に近づけると、湯気に含まれる香ばしい香りが鼻を刺激する。ゆっくりとカップを傾け、一口飲んだ。
「……!!!!!!」
口に含むとあまりの熱さに口の中が痛んだ。噴出してしまいそうになるが、この熱い液体がサンディにかかってしまう。
少女は必死に、涙を流してこらえる。
「んんんん、んんんん……」
「だ、大丈夫ですの!?」
サンディが慌てて駆け寄ってくる。こちらを心配してくれているようだ。
少女はその気遣いにどのように応えればよいのかまだわからなかったが、我慢して茶を飲みこんでからサンディがしていたように微笑みを返した。
この悪い印象の無い表情なら自分は大丈夫だ、と伝えられるように思えたからである。
焦っていたサンディもそれを見てこちらを見守るような、優しい笑顔を見せた。笑顔を通じてサンディとの間に、はじめて何かがつながったように感じた。
その時、扉が開いて爺やが入ってきた。
爺やはオルガから少女の前では黙るよう指示されたことを聞いていたのか、無言で会釈するとサンディに小さな紙片を渡す。
紙片には「お風呂の準備が整いました」とあった。
「爺や、オルガから余計な事を言うなと聞いたのでしょうけど……もう気を遣わなくていいですわ、ありがとう。この子、誰が誰と喋っているかは判断できるようですの」
「かしこまりました。オルガにもそう伝えておきますね。それでは、私は夕食の準備をして参ります。その可愛らしいお客様のためにも、腕によりをかけますよ」
爺やが退出すると、浴室に連れていくためサンディは少女の手を優しく引く。
少女は家に招かれて間もないが、サンディは色々な物を見せてくれた。いつの間にか少女は彼女を期待の眼差しで見るようになっていた。
次はいったい何を見せてくれるのだろう。はやる気持ちを抑えながら、少女は従ってついていった。
サンディと少女は浴室の手前の部屋、脱衣所へとやってきた。
脱衣所には洗濯物を入れるカゴと鏡台があり、横の棚には几帳面に畳まれたタオルが積まれている。
サンディはそれらの名前も一つ一つ教えてくれた。少女の頭の中にまた、新しい単語が増える。
まずはサンディ自らがドレスを脱ぎ、下着まで外して裸になった。そのまま積まれていたタオルを頭に巻いて流れるような長い金髪をまとめていく。
いっぽうの少女は下着もない、この破れた服一枚だった。彼女の纏うボロ布のような服は、サンディが引っ張ると簡単に解けて落ちた。
少女は自らの身体が完全に外気に晒されたのを感じる。今から行う事に、身につけているものは邪魔になるらしい。
露わになった少女の身体は血色が悪く貧弱で、骨もところどころ浮き出ていた。
サンディはそれを見て一瞬顔をしかめたが、すぐに表情を戻すと少女を奥の浴室まで連れていった。