市場にて Ⅲ
「楽しみだなあ、ここのステーキ。どんな味がするんだろう」
レイシーは脚をぶらぶらさせながら、料理が運ばれてくるのを今か今かと待った。
そんなレイシーの様子を、サンディは温かい目で見守っていた。
「わたくしはこの食堂に来るのは初めてですけれど、店を出すくらいなのだからきっとおいしいに違いありませんわ」
「オルガや爺やの料理とどっちがおいしいかな?わたし、あの人たち以外が作った料理を食べるのは初めてだし、とっても楽しみだよ」
「どうかしら。爺やは言うまでもありませんけど、オルガも最近はとっても頑張って料理をしているみたいですわよ。今度また作ってもらいましょう」
「そうだね、クッキーもおいしかったし。……あ、いい匂いがしてきた」
「音も聞こえますわ」
厨房へのドアは閉じていたが、それでもわかるほどの肉を焼く匂いがこちらまで漂ってきた。
じゅー、じゅーという音も同時に漏れてきており、未知なる味への期待がどんどん高まっていく。
それから間もなくして厨房のドアが開き、トレイに料理を乗せた店員の少女が戻ってきた。
「お待たせー! マリネはキャベツとジャガイモとニンジンがメインで、ステーキは赤ワインソースにしてみたって! さあ、召し上がれー!」
「ワインって?」
「葡萄で作ったお酒だよー! あ、あくまでソースだけだから、子どもでも食べられるよー!安心してね!」
注文した料理が、少女によって目の前に置かれる。
「……」
見て、言葉を失った。
目の前に自分の頭ほどもあろう巨大で分厚いステーキが、どすんと現れたのだ。
存在感たっぷりの大きな肉塊は鉄板に乗せられたままであり、添えられた野菜とともにじゅうじゅうと豪快な音を立てている。
香ばしく焼けた肉とたっぷりかけられたソース、乗せられたにんにくの香りが鼻をくすぐり、それだけでレイシーの胃袋は満たされてしまいそうだった。
「……じゅるり」
「すごい大きさですわね……」
サンディもその圧巻のステーキに、目を丸くしている。
「ふっふーん、びっくりしてるねー? 切り分けてあげる! 新しく仕入れた、極東のナイフをお披露目してあげよう」
誇らしげに笑みを浮かべる少女はナイフを取り出すとステーキを切り分ける。
ナイフは抜群の切れ味で、分厚い肉は彼女の手の動きに従ってさくさく細かくなっていった。
刃が肉に触れる度に、じゅわ、と鉄板に肉汁が広がり、こんがりと焼けた断面が見えた。
「できたよー。じゃ、ごゆっくり」
いよいよこの時が来た。よだれをすすり、期待と興奮に震える手でフォークを手に持つ。
食べやすい大きさになったそれを取り、意を決して口に入れた。
「……」
レイシーは再び絶句した。
ほどよく火の通ったボリュームある肉は硬過ぎず柔らかすぎず、絶妙な食感。
それでいてまさに肉を食べているのだ、という現実を突き付けてくるかのような、肉の中の肉と呼ぶにふさわしい質感だった。
ソースはステーキのコクと旨みと深みを際立たせるような味で、にんにくの香ばしさと共に後味をまろやか且つさっぱり調律する。
期待を大きく上回る味の圧倒的な力は、レイシーに雷に打たれたかのような衝撃を与えた。
「シャキシャキで、ホクホクで……おいしいマリネですわね」
レイシーはサンディの声もよく聞こえないほど味覚を揺さぶられていた。
そのまま夢中になってステーキを口に放り込み、味わい続けた。
「お客さん、いい食べっぷりだねー!」
ただひたすら、がつがつ、むしゃむしゃと肉にかぶりつく。
ソースは添えた野菜にもぴったり合い、旨みのあるドレッシングをかけたような味になった。
そして至福の時間の後には、空っぽの鉄板だけが残った。
「ふぅ、まんぷく。おいしかった」
レイシーは腹を幸せそうに撫でた。
サンディも同時に食事を終えたようで、フォークを空になった皿の横に置いていた。
「とてもおいしかったですわ。これはあなたが作りましたの?」
「ううん、とと様だよ! うちのとと様の料理は王国一なんだよ! 肉も、野菜もきのこも、何でもおいしくしちゃうんだー! 私、とと様みたいな料理人になるのが夢なんだよ!」
彼女はえへん、と胸を張る。
厨房の方を見てみると、開け放されたドアの向こうに口ひげを生やした背の高い男性がいた。
あれが彼女の「とと様」、父親なのだろう。
頭にバンダナを巻き真っ白な料理人服に身を包んだ彼は、いかにも熟練といった風格を漂わせながら後片付けをしている。
「すごい人なんだね。だけど、うちの爺やの料理もおいしいよ。それに、オルガだって」
先ほどはステーキに衝撃を受けたが、毎日食べている爺やの料理も驚きを提供してくれる。
オルガだって、前に作ってくれたクッキーは良いものだった。きっと負けてはいないだろう。
「なるほどーそんな人がいるんだ。それはどっちがおいしいか、いつか勝負してみたいもんだね! あ、私はオーネ! オーネ・レハンドっていうんだ! よろしく!」
「わたしはレイシー。よろしく、オーネ」
「サンディ・ヴァレリオンですわ。よろしくね」
「うんうん、よろしく! えへへー、お客さんとお友だちになっちゃた!」
「……友だち、かぁ」
友だちと言う言葉を聞くのは本日二度目だった。
確かにここの料理の味は本物だったが、その感覚だけはいまいち腑に落ちない。
彼女は一体何を以てこちらを友達と認定したのだろうか? レイシーは聞いてみることにした。
「ねぇ、オーネ。友だちって何?」
「難しく考えなくていーよ! 友だちは友だちだもん!」
「うーん……そういうものなの?」
「そうだよー! そういうもの!」
長く絆を深めたわけでもないのに、どうして親しいと言い切れるのだろう?
結局、友だちになるという事の正体は掴めずに終わった。