市場にて Ⅰ
晴れたこの日、天幕のつけられた荷車の荷台にレイシーは座っていた。
荷車の行先は市場である。盗賊騒動の事後処理が終わり、ようやく商品を売りに行けるようになったのだ。
周りに所狭しと並べられた商品を揺らさないように、牽引する馬はゆっくりと歩いていた。
借りてきた馬を操るのは馬術を心得ている爺やの仕事だった。一方でオルガは屋敷に残り、留守番をしていた。
「絶好のお出かけ日和ですわね」
話しかけてくるのは、隣に並んで座るサンディだった。
サンディの服装は踝まであるブーツに腰のベルトで締めた草色のチュニック、同色のスカートという簡素な物だった。
当然屋敷の中で着るドレスに比べれば地味であるが、豪奢な衣装はその装飾故に汚れると洗濯が大変であるという。
サンディとともに積み荷の間に座っているレイシーも、ほとんど同じ服装だった。
「そうだね。風が気持ちいいなあ」
「雨が降らなくてよかったですわ」
周りの景色に目をやると、一面にみずみずしい緑色の草原が広がっていた。
時折吹くそよ風に撫でられて野草がさわさわと囁くような音を立てている。
荷車は草の合間に作られた、土の路を通って進んでいた。
そして太陽の高く上る真っ青な空には一つかみの綿のような雲がぽっかり浮かび、二羽の小さな鳥が仲睦まじそうに飛んでいた。
こののどかな景色の中を自分は走ってこの森の中に来たのだな、とレイシーはしみじみ思う。
あの時はうさぎを追うのに夢中で、気が付けば森に入っていたという感覚だった。
しかし今は穏やかでありながらも新鮮な草原を眺めていると、心が落ち着いていくようだった。
「見えてきましたわよ」
サンディがこちらの肩をたたき、前を指さした。
緑色の丘を越えた先に灰色の、石造りの門が姿を現した。
門の前まで来ると、二人の衛兵が荷車を呼び止めた。
前に座る爺やは彼らと何か話をしていたが、衛兵はすぐに門の脇へ戻っていく。
「荷車で通るには、許可が必要ですの。市場の自治のため、勝手に商売をしてはいけないルールもありますのよ」
許可が下りたため、衛兵たちは道をあけてくれたのだろう。
レイシーたちと商品が乗る荷車は馬とともに、門をくぐっていった。
「さあ、着きましたわよ。レイシーは以前、ここに来たことがあるのでしたっけ?」
「うん。サンディに会う前に、ここを歩いてた。それ以外は何にも覚えてない」
「うーん、やはり覚えてないというのは謎ですわね……それはさておき、今日はここで買い物をしますわよ。迷子にならないよう気を付けてね」
「それでは、私はこの商品を先に業者へと売ってきますね。お嬢様、レイシー様、ここでお降り下さい」
荷車から降りると、ブーツが石畳に当たってこつん、と音を立てた。
2人が荷車から降りたのを確認してから爺やは馬を鞭打ち、市場の奥へと去って行った。
「そこのお姉さん、今日の夕食にどうだい?」
「3割引きで、210イン! 特売だ!」
「とれたての野菜だよ! どれでも2つセットで50インだよ!」
「魔除けのアクセサリーさ! 王都の魔法使いのお墨付き!」
「そこのお嬢さん、このブレスレットはいかが?」
市場は相変わらずの賑わいを見せていた。
赤、青、黄色、緑といったたくさんのテントや屋台が呼び込みの声を張り上げている。
それに群がるのは、買い物に勤しむたくさんの客たちだった。
大体の客は簡素な服装だが、稀に屋敷で着るようなきれいなドレスを身に着けた人、爺やのような従者服姿の者もいた。
「この市場は活気がある事で有名ですからね。遠くからやってくる貴族もおりますのよ」
「あの人たちはドレスなんだね。汚れたら洗うのが大変なんじゃないかなあ」
「偉い貴族は従者もいっぱいいますから、手分けして洗濯してもらっているのだと思いますわ。さあレイシー、欲しいものはあるかしら?」
「う~ん、いっぱいあって迷うなあ。見て回ってもいい?」
「いいですわよ。人がすごく多いですから迷子にならないように、手をつなぎましょう」
多種多様なテントの商品はどれも興味深いものだった。
また、あの時と違い、レイシーは人々の発する言葉の意味が理解できた。
人々がどんな話をしているのか、少し聞いて回りたくもあったのだった。
「いい豆あるよ! スープにいかが?」
「買う! けど、もうちょいまけてくれよ」
「きれいな光沢の陶器ねえ。お高いんじゃない?」
「さあさあ、農場の新鮮な肉だよー!」
賑やかな会話の中、二人の少女は屋台とテントの街を歩いた。
美味しそうな食材に、きれいなアクセサリー。よく切れそうなナイフや鍋などもあり、どれも魅力的な輝きを放って二人を迎えた。
「わたし、これがほしい」
レイシーはその中からアクセサリーを扱う屋台で見つけた、淡い水色のリボンを選んだ。
「わかりましたわ。では、これをいただきましょうか」
屋台の店主は気前の良さそうな口ひげを生やした中年の男性だった。
やってきた小さな客たちに、彼は優しい笑顔を向けた。
「よし! 上等のリボンだから1500インだけど、お嬢ちゃんたち可愛いから1300インで売ってあげよう」
「あら、いいですの?助かりますわ」
サンディはお金の詰まった袋を取り出すと、硬貨を金額分取り出して彼に渡した。
「うちの女房は若いうちにいっぱいお洒落しときゃよかったってよく言ってるんだ。お嬢ちゃんたちは悔いの無いよう頑張れよ!」
「ありがとう。わたし、がんばる」
気さくな店主の応援に、レイシーはお辞儀をして応えた。
人が少ない道の端に寄ると、サンディは早速リボンを結んでくれた。
頭に手を入れられると共に一体どのようになるのだろう、という期待が高まる。
胸のどきどきを感じながら、レイシーは結び終わりを待った。
「できましたわ。とってもかわいくなりましたわよ」
サンディは手鏡で自分の後頭部を見せてくれた。
見ると、腰まであった黒髪がリボンによって一本にまとめられている。
まるで水色のちいさな蝶が自分の髪に止まっているかのようだった。
「ほんとだ……かわいい」
「ポニーテール、という髪型ですのよ。動きやすくもなりますしちょうどいいと思いますわ。どうしてこれが欲しいと思いましたの?」
「やさしい色合いが気に入ったんだ。あと、せっかくのサンディとのはじめての買い物だから、形に残るものがいいなって思ったんだ」
「それもいいですわね。大事にしてくれるなら、買ってあげた甲斐がありますわ。……そうだ!」
サンディは何か閃いたように、先ほどの屋台まで向かっていく。
レイシーも連れられて行くと、彼女は全く同じリボンを再び指さした。
「あれ、サンディも同じ物を買うの?」
「わたくしもレイシーとのはじめての買い物ですから、残るものが良かったのですわ」
「へぇ、お嬢ちゃんたちは仲良しなんだな。じゃあ、これはもっと安い1600インで売るよ!」
店主はわざとらしく言った。
「……高くなってますわよ?」
「あっ、いっけねぇ。じゃあ間違えたお詫びに大サービスの900インだ!」
「ふふ、ありがとうね」
そうして買ったリボンを、サンディも自らの髪に結び付けた。
「ほら、これでお揃いですわよ」
「わあ……」
彼女の後頭部にも可愛らしい、水色の蝶が止まっていた。
それはサンディの流れるような金髪と合わさり、まるで蝶が木漏れ日の中を飛んでいるような印象を与えた。
「きれいだなあ、サンディのリボン。サンディもとってもきれい」
「あなたこそ。レイシー」
「サンディの方が、きれいでかわいいよ」
「じゃあ、きっと二人ともかわいいのですわ」
顔を見合わせて二人は笑った。
レイシーはリボンを通して、心のつながりがより強く結び付けられたような気がした。