二人の出会い Ⅱ
二人の少女は葉の間から漏れる斜陽に彩られた、金色の森の中を進んでいった。
一体どこへ連れて行かれるのだろう?自分はそれを尋ねる言葉を持ってはいない。
そんな疑問をよそに、ドレスの少女はどんどんこちらの手を引いて森の中を進んでいく。
やがて三階建ての、市場の民家より二回りほど大きな建物が森の空けた場所に見えてきた。
それは大きいながらひっそりと、森に溶け込むように建っている。
「ここがわたくしの屋敷ですわ」
ドレスの少女は屋敷の大きな両開きドアの前に立ち、大声で呼びかける。
「爺や! 今帰りましてよ!」
すぐに扉が開き、黒い正装に身を包んだ背の高い老人が現れた。
「おかえりなさいませ、サンディお嬢様」
爺やと呼ばれた老人は帰宅した自らの主、サンディにうやうやしく頭を下げる。彼は主の隣に立っている、見慣れぬ人物に目を留めた。
粗末な身なりの少女はその視線を感じ、少し身を小さくした。
「おや、その方はお客人ですかな?」
「ええ。森の中ですし、行先も無いようでしたから、ひとまずわたくしの屋敷にいらしてもらおうと思って」
「左様でございますか。でしたらまずはお風呂などいかがでしょう?」
汚れにまみれ、髪も伸び放題な少女の身なりを見た爺やはサンディに提案する。
「そうね、あとわたくしの余ったドレスも用意できる? 綺麗になったらこの子に着せてあげたいの」
「かしこまりました。さぞかし可愛らしい事でしょう。楽しみにしておりますよ」
「……あと、覗きに来ては駄目ですわよ?」
「まさかそんな、私は今日の夕食当番ゆえ身が二つ無いと不可能ですよ」
言葉がわからずぽかんとこちらを見つめる少女にも一礼すると老人は屋敷の中に引き返していった。
サンディはそれを見届けると、こちらを見て微笑む。
握った手を優しく引き、少女を屋敷の中へ招き入れてくれるのであった。
サンディは兎を抱えたまま、自分の客となった少女を居間へと通した。
居間の真ん中には机を挟んで向かい合う二つのソファがある。小さいがシャンデリアのかかった、落ち着いた印象の部屋だ。
「オルガ!」
サンディが大声で呼ぶと、白いエプロンのついた給仕服姿の、やや年増の女性が現れる。
その女性、オルガは生真面目な顔をしたまま、主人に頭を下げた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。そちらはご客人でしょうか? すぐにお茶をお持ちいたします」
「ありがとう、オルガ。それと、マリーを戻してきてくれる?」
「かしこまりました」
サンディは抱えた兎をオルガに手渡す。マリーを抱いたオルガは素早く部屋を去って行った。
「さて、と。爺やがお風呂の準備をするまで、少しこの子に公用語を教えて差し上げるとしますか」
サンディは少女に向き直る。
少女は緊張していた。招かれたはいいものの、言葉も知らない少女を取り囲むのは見慣れない壁と天井。
一体ここで何をするんだろう?そわそわしていると、サンディが微笑みかける。
「まずはわたくしの名前から。わたくしは、サンディ。サンディ・ヴァレリオンですわ」
彼女の微笑みはこちらに敵意は無い、ということを語りかけているようにも思えたが、言葉の意味はまったく伝わらない。
結局、少女はよくわからない、といった困惑した表情でそれに応じた。
それを見たサンディは黙りこみ、少し下を向いてどう彼女と接するか考えはじめる。
このまま少女に普通に話しかけ続けても混乱するだけだろうということは彼女にもわかる。ならばいきなり文章で話しかけるのではなく、言葉を一つずつ教えていけばよいのではないか。
サンディは顔を上げると、自らに指を向ける。そして改めて少女に名前を教えた。
「サンディ。サ・ン・デ・ィ」
サンディは何度も、指さしたまま繰り返す。
その様子を見た少女は目の前の人物が自らを指さして同じ音を繰り返し言い始めた、と思った。
先ほどの老人とこの人物も、何やら互いに音を発しあっていた。音に意味を持たせて意志の疎通ができるのかもしれない。
やがて、少女の口がゆっくりと開いた。
「……サンディ」
「……やった! 通じましたわ!」
サンディは手を叩き、目を輝かせた。
どうやらこれを自分に教えたかったらしい。目の前の人物はこういった音で表されるのだろうか?
「……ヤッタ、ツウジマシタワ。サンディ・ヤッタ・ツウジマシタワ?」
「げ」
サンディ・ヤッタ・ツウジマシタワ。これが彼女を表す音のようだ。
そう考える少女はサンディが固まっていることには気づいてはいなかった。
サンディはオホン、と大きな咳払いをしてその場の空気を切り替える。
そして部屋にある物を一つ一つ指さし、名前を言い聞かせていった。
「ソファ。机。シャンデリア。壁。暖炉。天井」
少女はそれに合わせてサンディの言葉を真似る。
「ソファ。ツクエ。シャンデリア。カベ。ダンロ。テンジョウ」
これらの物はこういう音で呼ばれているらしい。
やはり彼女は自分に、音で行う意思疎通を教えようとしているのだろう。
居間にあるものを一通り紹介し終え、サンディは少女に向き直る。
先ほどは名前と共に指差していたソファを、今度は無言のまま指差す。
どうやらきちんと話せるか、自分を試しているようだ。
「ソファ」
少女ははっきりと答えた。
少女の呑み込みは早く、部屋の物は一度名前を聞いただけで完全に記憶していた。
「ツクエ。シャンデリア。カベ。ダンロ。テンジョウ」
正解するたびにサンディから優しい微笑みが贈られる。
少女は徐々にうきうきしてきた。笑顔を向けられるのは、自分が認められている気がして悪くない。
最後の問題、と言わんばかりにサンディは自分を指さした。彼女を表す言葉は、
「サンディ・ヤッタ・ツウジマシタワ」
「えええええ!?」
サンディはあわてた様子だ。自分は何か間違えたのだろうか?
彼女はもう一度自分を指さす。
「サンディ! ヤッタ・ツウジマシタワはいりません!」
焦ったような表情と違う音の発音。どうやら名前を訂正しているらしい。本当の名前は、
「サンディ・ヤッタ・ツウジマシタワハイリマセン」
「だから……」
言いかけたサンディははっと止まる。少女はまだ単語を覚えている段階であり、会話ができる段階に達していないことに気付いたのだ。
このまま訂正を続けると名前がどんどん長くなってしまいそうであるので、名前に触れることはいったん置いておくサンディ。
少女の前で余計なことは言うなと肝に銘じるのだった。