マリーの埋葬 Ⅰ
「そうだわ、市場に行くための準備をしましょう。王都に行く練習ですわ」
サンディが提案してきたのは暑さの薄れてきた、とある日の昼下がりだった。
「イチバ?」
「市場はこの森を出たところにある、買い物のできる小さな街ですわ。モンスターの調査もあらかた終わったそうですし、もうすぐお出かけ解禁でしょうね。そうなれば一緒に行きますわよ」
小さな街といえば、サンディと出会う前にそれらしき場所を通った記憶がぼんやりとある。きっとあれの事だろう。
「そこではお金と服や食材などを交換できますのよ。その事を、買うと言いますの。お金には価値があって、その価値に応じた物を買えるのですわ」
「カチ?」
「価値とはお金の持つどれくらい役に立つか、という能力の事ですわ。勿論役に立てば立つほど、良い服や食材が買えますの」
彼女は紐で縛った小さな袋を取り出した。
紐を解き、中の物を机の上に出す。じゃらじゃらという音とともに金、銀、銅の円形の板がたくさん出てきた。
金には旗、銀には盾、銅には剣の彫り物が施されている。
「これがお金ですわ。この国では『イン』という単位……価値の数え方を使っていますの。
銅が1イン、銀が100イン、金が10000インですわ」
確かに価値の低い銅のお金はたくさんあるが、銀は少なく、金に至っては片手で数えるほどしかない。
しかしサンディはさっき、服や食材もこのお金で買うと言った。
きれいな服や美味しい料理がお金からはじまるのなら自分も何か手伝いたい。
「おかね、どうやればもらえる?」
「レイシー、お金を手に入れるには仕事をしなくてはいけないのですわ。わたくしたちは色々な物を作って収入を得ているのですけど……そうだ、オルガが今刺繍をしているはずですわ。見学しに行きましょうか?」
「うん!」
彼女の仕事部屋は二階の突き当たりにあった。
窓から外の見えるやや狭めの部屋で、ドアを空けると布のふんわりした匂いが感じられた。
常に真顔のオルガは窓の横に置いた机で、大量の色とりどりの布や糸巻きに囲まれて作業していた。
「おや、お嬢様方。ご見学でしょうか?」
「ええ。この子にどうやったらお金を稼げるのか見せてあげてくださいな」
「かしこまりました。ちょうど今仕上げに取り掛かっています。もうすぐ出来上がりますのでお待ちください」
オルガの手には大きな布がある。色とりどりの糸が何かの絵を描いているのはわかるが、大きいので全体像は把握できない。
彼女は針に糸を通すと素早く手を動かし始めた。的確に色が縫い合わせられ、瞬く間に布の上でまとめ上げられていく。
その動きはまるで座りながら行う舞踊のようで、素人目に見ても熟練の技であることがわかった。
「ご覧なさい。刺繍はあのように、布に糸を縫って絵や模様を作るものですのよ。オルガはすごく手際がいいのですわ。小さいものなら半日、大きいものでも2、3日で作ってしまいますの」
オルガの見事な手さばきを見ているうちに、刺繍は完成した。
「仕上がりました。では、ご覧ください」
「あ……」
オルがが壁に架けた作品を目にしたレイシーはしばらく言葉を失った。身長ほど大きな布に、色彩鮮やかな花園が描かれている。
赤、青、紫、黄色と繊細な色遣いで描かれた花畑は、布を小さな窓と錯覚させてしまいそうなほどの美麗な迫力を備えていた。
見ていても飽きない。ずっと見つめていたい。自分の心が花畑に吸い寄せられるような気がした。
「レイシーったら、見とれていますわね。オルガの刺繍は本当にきれいで、高く買ってもらえるのですわ」
彼女はサンディの称賛の声にも表情を崩さなかった。
レイシーはこの見事な花畑を売ってしまうのは少し勿体ないように思ったが、生活のためとあっては仕方のない気もした。
「大切な売り物ですから、いつも手を抜かずに製作させていただいております」
「そうですわね。やはり売れるくらい綺麗に刺繍を仕上げようと思ったら、相当努力しないといけませんわ。お金は頑張った先でようやくもらえるものですの。大切にするのですわよ」
「うん……」
いずれは自分も働かなければならないだろう。
しかし、お金を稼げるだけの優秀な働きが何か自分にできるのだろうか?レイシーは少し不安になった。
「お嬢様!」
突然爺やが作業場に駆け込んでくる。
「あら、どうしたの?」
「マリー様が……!」
「うそ……!? ごめんなさいレイシー、先に行きますわ!」
二人はどたどたと慌ただしく部屋を出ていく。
ぽつんとレイシーは取り残されてしまった。
「あ、あー……オルガ、ありがとう」
「こちらこそ。お越しいただきありがとうございました」
どうすればいいかわからなくなってしまったので、とりあえず自分も部屋を出ることにした。
オルガに会釈し、背を向けた。
「……マリー様、いよいよでございますね。まったく、別れとはいつも勝手なものです」
部屋に一人残されたオルガは自ら描いた花畑を横目に、ため息をつくようにつぶやいた。