決着と報酬 Ⅰ
現実は甘くはない。レイシーはすごろくの中でそれを思い知ることになった。
「おや、4ですか。たまには慎ましいのも良いものですね」
「むむむむむむぅ」
1回休みマスの手前で緑色の駒は止まる。
オルガは憎いほど華麗に、ひょいひょいと妨害のマスを避けていた。
「いや……かちたい……!」
レイシーのサイコロを振る手にも力が入る。それに応えてか、あまり悪い出目は出なかった。
結果として海に出ることには成功したがオルガがわずかに前を走っているという状況が生み出される。
一方、サンディと爺やは完全に取り残された。
「がんばってー」
「ファイトですぞー」
諦めの滲む声色に後押しされたレイシーとオルガはトップを争い続け、ゴールは間近に迫っていた。
「わたし、まけない!」
「やる気ですね、レイシーお嬢様。ここまで来たからには、全力でお相手仕ります」
戦況は近道をうまく利用できたオルガがゴールまであと一歩のところまでやってきていた。
4以上が出ればあがりだが、3を出してしまえばゴール手前の罠にかかり一回休みになってしまう位置だ。
そして逆に一回休みとなれば、追い上げるレイシーは十分ゴールにたどり着ける。
この一投で、ほぼ決着がつく。レイシーは息をのんだ。
彼女も表情こそ変えていないが、手には力がこもってきていた。
そして、オルガの振ったサイコロが止まる。
「出目は3ですね……おっと、蔓にかかりました。一回休みです」
「あははははははっ!」
ついつい高笑いしてしまった。
オルガの災難がこんなにも嬉しいなんて。
「な、なんて悪い顔……! わたくし、レイシーのそんな顔は始めて見ましたわ……!」
爺や、サンディの番が回ってきたが今更どうにもならない。
そしてレイシーの番が来る。とうとう自分もゴールまであと4マスの位置までやって来た。
さらに2マス先にはサイコロをもう一度振れる港マスがある。次の手番、オルガが足止めされているうちに1と3以外を出せば確実にゴールできるだろう。
「わたし、ショウシャ!」
早くも口の中におやつの甘い味が込み上げてくる。うきうきしながら、サイコロを投げた。
しかし、人の不幸を笑った罰が下ったのか。
サイコロは今日何度目かの1を出した。
「あ」
「おっと」
「あら」
「ほほう」
追い風マスにも乗れず、灰色の駒は海の上で空しく立ち往生してしまった。
その後、蔓から抜け出したオルガはあっさりとゴールに到着した。
「あがりですね。お疲れ様でした」
「……いじわる。ひどいいじわる。ものすごいいじわる。すさまじいいじわる。めちゃくちゃいじわる。いちじるしいいじわる」
思いつく限りの言葉をオルガにぶつけた。
サンディ達ほど圧倒的に負けていればまだ踏ん切りがついたものの、下手に進んでいたせいでもやっとする。
「勝ってしまい申し訳ございません。せめて、本日のおやつは私がお作りしましょう」
「ほほう? お嬢様の手作りでないのは少し残念ですが、お手並み拝見ですな」
「見ていなさい爺や。私も修行をいたしました。勝者に恥じない味を作ってみせましょう」
料理の達人である爺やが反応する。
レイシーもオルガのおやつを食べるのははじめてだったが、今は期待よりも敗北の落胆の方が大きい。
「そんなに落ち込まないでくださいな。楽しむための遊びですのよ?」
「でも……」
「やり直しがきかないことなんてそうありませんのよ。またやって、次に勝てばいいのですわ」
サンディは肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「さて、どんなおやつにしましょうか……そうだオルガ、わたくしの案も参考にして下さらない?」
「はい。何なりとお申し付けください」
「厨房でお話ししてから取りかかりましょう。二人はそこで待っていてくれるかしら」
「……遅いですなあ」
数十分待ったが、サンディとオルガは厨房から出てこない。
「手の込んだものを作れば、確かにこれだけの時間はかかるのですが……本当にオルガの修行の成果は出ているのですかな?」
「んー……」
「仕方ありません、この爺やと遊びますか!」
「うん!」
最初はしょんぼりしていたが、その気持ちは待っている間に徐々に薄れてきていた。
今はとにかく何かをやって退屈を紛らわせたいと思っていた。そこに爺やの申し出があったのは僥倖だ。
「すぐできるものがよいですね……では、ダンスをしましょう」
「だんす?」
「踊るのです。身体を動かす遊びですぞ。今回は簡単なものにいたしましょう」
爺やは例を見せるように腕を拡げ、ぱたぱたしながら回り始める。
「たのしそう!」
「やりたいのですな!私もその小さい身体をいっぱいに使って舞うところを見た……いえ、やりたいでしょう?」
「やりたいやりたい!」
「いきますぞ~!」
二人は腕を広げ、ぱたぱたさせながら回り始めた。
何も考えず、ぱたぱたしながらただぐるぐるする。
居間の景色が巡って筒状になったように感じる。
同じく回る爺や、ソファやテーブルに火の消えた暖炉、壁のろうそくや窓からの光が視界から出たり入ったりを繰り返す。
手足を動かし自分の周りを走り回る風景に溶け込んでいると、次第に気分がうきうきしてきた。
「たーのしー!」
「そうですか!爺やもたのし……うっ酔いました、ちょっと休憩を……レイシー様も、まわり過ぎには注意ですぞ……」
「くるくるくるくる~!」
そうしているうちに甘い香りが漂ってきた。サンディとオルガが厨房から戻ってきたのだ。
「こら!爺や、いったい何を教えているんですの!?レイシー、ストップ!」
「あ、サンディ!これたのしウッ……」
回転を止めたレイシーの視界はぐらり、とふらついた。
ちゃんと立っていられなくなり、よろめいてソファに倒れる。
「ふにゃ~…」
倒れ込んでも体の軸と一緒に脳が揺れるような、奇妙な感覚がしていた。回りすぎるとこのようになってしまうらしい。
「もう! 爺や!」
「すみません、おやつが待ちきれませんでしたので彼女の姿をおやつに……いや、なんでもないですぞ」
「なんでもないはずがないでしょう。何故か部屋の真ん中で回っているのを見れば、お嬢様が焦るのも無理はございません」
「オルガ……そ、それはそうですな…申し訳ございません……」
爺やは弱々しく頭を下げた。