あめふりと約束 Ⅰ
まだ夜が明けて間もないころ。
ぱたぱた、ぱたぱたという音で眠っていた少女は目を覚ました。
この奇妙な音は一体何なのだろう?隣にいるサンディはまだ寝息を立てている。彼女の立てる音ではないようだ。
起こさないようにしながらそっと窓の外をうかがうと、そこにはいつも森を照らす太陽は見当たらなかった。
代わりに灰色の薄暗い空が広がり、そこから降る水が窓を叩いていた。ぱたぱた、という音の正体はこれであった。
「……!!」
いつもと違う空の様子を目にした少女の脳裏に、いやな想像が浮かぶ。
このまま水は降り続いて屋敷を飲み込み、隣で眠っているサンディまでも溺れさせてしまうのではないか。
「っ!」
「……なんですの?」
必死に揺り動かすと、サンディはしぶしぶと言った様子で瞼を開けた。
少女は震える指で窓の外を指さし、外で起きている異変を伝える。
しかし、サンディは別段気に留める様子もない。怖がる少女を安心させるような微笑みを浮かべながら、説明してくれた。
「ああ、雨を初めて見たのですわね。あれは雨と言って、天気の一つなのですわ。空には天気というものがあって、時によってころころ変わりますの」
サンディは身体を起こし、少女の隣へ寄り添う。彼女の温かさが伝わってきた。
「この前みたいに晴れて太陽が見える時もあれば雲がかかるときもありますし、このように雨が降ることもありますの」
サンディの声色は落ち着いていたが、少女はまだ少し内心穏やかでなかった。
彼女の言うことが本当だとして、どうしてこのように水が降ってくるのだろう?
「……ぁ」
質問したいが、話しかけられた内容を理解するのが精いっぱいの少女はまだ自ら話すことはできない。言葉の代わりに少女の口からため息のようなか細い声が漏れた。
「さあ、もう一眠りしましょう。まだまだ早い時間ですわ。しっかり眠らないと、大きくなれませんわよ。そんなに怖いのなら、わたくしの腕の中へいらっしゃい」
少女が言葉を話せずとも、彼女の恐怖をサンディは理解してくれていた。
彼女は迎えるように腕を広げた。サンディの優しい香りがふわっと広がり、少女の鼻孔をくすぐる。少女は思わずその中へ飛び込んだ。
温かい腕と柔らかい布団がまるで外の雨音を遮るように少女を包んでくれた。彼女の胸に耳を当てると子守唄のような、気持ちが落ち着く心音が聞こえた。
「こわくないわ、こわくない」
囁きながら背中を優しくさすられるたびに、少しずつ恐怖は退いていった。
彼女の胸の中で眠ることで、少女は無事に平静を取り戻すことができた。
起床の時間になり、朝食を済ませても雨は上がらなかった。
それどころかより激しさを増した雨粒が、屋敷全体をバタバタと叩き続けている。
「……これは今日の散歩は諦めるしかないですわね」
居間の窓から外を眺めるサンディが嘆息し、呟く。
しかし少女は楽しい散策をあきらめられなかった。
「んん!」
「ちょっと、どこへ行きますの!? 外は雨ですわよ!」
少女は構わず玄関へと走っていき、扉を開けて外に出た。
雨はずっと降り続いているが、屋敷はおろか玄関にさえ溢れることはなかった。
加えて、落ち着いた少女は調子に乗ってもいた。
雨、恐るるに足らず。
浸水しないならこんな水くらい、なんてことはない。そう思ったはずなのだが…
「ひえええぇっ」
冷たい礫が少女の全身を打った。
少女は一瞬にしてずぶ濡れになってしまい、慌てて屋敷の中へ逃げ帰った。
「もう、何をしているんですの!? はやくこっちへ! さっきまではあんなに雨を怖がっていましたのに……」
サンディは少女の手をひったくるように掴むと、居間にある暖炉まで連れて行った。
そのまま濡れた服を脱がせて肩に毛布をかけ、暖炉の炎で身体を温めさせる。
「水は身体から体温、あたたかさを奪いますの。体が冷えると、風邪をひいてしまいますわ。とっても苦しくなりますのよ?」
「うぅん……」
「もうあんなことはしてはいけませんわよ?あなたが苦しいと、わたくしも苦しくなるのですから」
少女に向けるサンディの眼差しは真剣だ。
軽率な行動をしたという自覚が湧き、少女は小さくなる。外出もあきらめがついた。
「反省しましたわね。……そう気を落とさないでくださいな。外に出られなくても、楽しい事はありますのよ。そうだ、久しぶりに爺やに人形劇をしてもらいましょう」
「ニンギョウゲキ!」
なるほど、確かにそれは外に出なくても楽しい。
少女はかつて爺やが見せてくれた不思議な世界の事を鮮明に覚えていた。
散歩に行けない残念さも、人形劇へのわくわくに比べれば微々たるものだ。今日はどんなものが見られるだろう?
「ふふ、嬉しそうですわね。そんなに楽しみにしてくださるなら、爺やもきっと喜びますわ」
「なんと……あのような、天使のような幼子が私を求めて下さるとは! この爺や、感謝感激感涙の極み! まったく、このために何十年も生きて辛酸をなめ続けたようなもので、いや~もう本当に」
「いちいち長いですわよ爺や!」
少女が人形劇を見たがっている、と聞いた爺やは二つ返事で承諾した。
彼が人形の準備をする間、濡れた服を着替えた少女はサンディとともに居間のソファに並んで座っていた。
「ほんとうに、気に入っていましたのね。人形劇が」
「ん!」
脚をぶらぶらさせながら、今か今かと開演を待つ。
やがて、爺やは戻ってきた。その手には4つの人形を抱えている。
威厳ある精悍な顔立ちの少年にサンディのように着飾った少女、背の高い、髭面の鎧の男。そして、いかにも悪そうなローブの老人の人形だった。
「お待たせしました。さぁて今日もお話を一つ。これは若くして謀略と戦った英雄、この国の第二王子のお話でございます」
あけましておめでとうございます。できる限りの力を尽くして書いていこうと思いますので、今年もお付き合いいただければ幸いです。よろしくおねがいします。