決戦をする Ⅰ
「今……王子と王女って言ってた……」
レイシーは去っていった兵士たちの会話を思い返すとつぶやいた。
間違いない、ヘンデルとグレイルが名を名乗ったのだ。
「二人が危ない!」
レイシーは慌てて戻ろうとしたが、足を止めた。「なぜ彼らがそんなことをしたのか」がまだわからなかったからであった。
兵士はさんざん奴隷を虐待したが、突き詰めると奴隷はコルベスの所有物であるため、殺してしまうようなことはないだろう、というのがこの作戦のはずだ。それなのに自らの身分を明かしては、そこに攻撃が集中してしまう。せっかく檻に閉じ込めた猛獣に飛び込んでいくようなものだ。
そうであるのに、わざわざ名を名乗った理由とは。様々な考えがレイシーの脳内を駆け巡る。この事態は想定外だ。他に想定外の事は、何か起きてはいないか。
そこでレイシーははっとした。
「……きっと、わたしが合流できなかったから。二人は囮になろうとしてるんだ」
その隙に逃げるなどという選択肢は、レイシーの頭には全くなかった。
「二人を助ける。そのためにも、コルベスを早くやっつけないと!」
レイシーは決意を新たにすると、まずは深呼吸した。
コルベスの屋敷にたどり着けはしたものの、ここからが問題だ。兵士に見つかっては数で抑え込まれてしまうし、アクロが来たら自分では敵わない。誰にも見つからずにたどり着くには、まずは状況把握が必要だ。
屋敷の壁は灰色で、屋根は黒い。窓は小さめ、レンガの外壁がぐるりと屋敷の周りを囲っている。まるで要塞のようだ。
しかし巨大な屋敷の周りをよく観察したところ、恐ろしいほど静まりかえっていた。兵士たちは各々持ち場に行ってしまったらしく、門番が二人、だるそうに立っているだけだった。
レイシーは裏手に回ろうと、茂みで身体を隠したままゆっくりと歩き始めた。
屋敷の裏側に回り込んだレイシーは、レンガを静かに押した。泥で接着されていた部分がぱきぱきと剥がれ、レンガを無事に外すことができた。レイシーはそれを静かに繰り返し、自分がようやく通れるだけの穴を作るとそこに身体をねじ込んだ。
「進め! 進め! 抗え! 戦え!」
ヘンデルの号令に合わせ、奴隷たちが激流のように兵士たちをなぎ倒していく。
「くそっ、やられっぱなしにされてたまるか!」
兵士の一人が剣を抜き、近くにいた奴隷を狙って振り上げた。
「兄上、あれ!」
「危ない!」
ヘンデルは突剣を抜くとすぐに割り込もうとしたが、体勢を崩してしまう。
「う……ごほっ、ごほっ」
「私が行く!」
グレイルがすぐに飛び出すと、剣で兵士の腕を叩き切った。
「うぎゃああああああああああ!!!」
「今だ!」
「やっちまえ!」
奴隷たちは剣が地面に落ちるより早く、片腕を失い絶叫する兵士に襲い掛かり、地面に叩き伏せた。
「兄上、大丈夫ですか!? 病気が……」
「……すまない。これでは、いけないね……民を戦わせているんだ、僕も戦わないといけないのに……」
「兄上、無理はしないで。兄上には兄上の、戦う場面があるはずよ。それまでは私に任せて、ゆっくりお休みになって」
「……本当に、すまない……」
ヘンデルは人任せが嫌いだった。セコロに偵察を頼んだ時ですら気持ちが落ち着かなかったのに、戦いを人任せにしてしまうことがいかに精神に響いてしまうか、グレイルには痛いほどわかった。
「だけど、兄上。アクロに対抗できるのは私たちだけなのよ」
「ほう。誰が誰に対抗すると?」
獲物を狙う狩人のような低い声。決して大きな声ではなかったが、恐ろしいほど二人の耳に届いた。
「……え!?」
「そんな……もう来たのか」
背筋が凍り付いたのはヘンデルとグレイルだけではない。攻勢の勢いに乗っていた奴隷たちも、受け身に苛立ちを募らせ始めていた兵士たちも、まるで打ち合わせをしていたかのように黙りこくっていた。
「どうした? せっかくの死合いだぞ、もっと楽しまぬのか?」
「アクロ……!」
「ほう、いつかの王子。また手合わせできるとはな。よくぞここまで生き延びた」
飢えた蛇のような鋭い眼光がヘンデルを見据える。あまりの迫力に奴隷も兵士もひっ叫び声をあげて後ずさるが、ヘンデルとグレイルは一歩も退かず、その目を見据え続けた。