思い切ったことをする Ⅰ
荷台付きの馬車がガラガラと、コルベスの屋敷へ向かっている。その中にはぎっしりと兵士たちが詰まっていた。
その中の一人が退屈を抑えられないといった様子で、大きなあくびをした。奴隷が暴動を起こしているらしいが、彼らは無視するように指示されている。兵士が足りない区域の増員が、彼らに与えられている任務だった。
そのために一度、本部に戻る必要があった。多くの馬車の中継点になっているそこで馬車を乗り継ぎ、担当の場所に向かうのである。
「やれやれ。ひょろひょろの奴隷がいくら暴れたところで意味がないってのになあ。面倒ごとを増やさないでほしいもんだ」
とうとう退屈に堪えきれず、兵士の一人が呟くように言った。
「違いねえ、立ってるだけってのも暇だよな。いっそのこと、戦わせてほしいんだけどなあ。奴隷なんかに負けるはずはねえし、楽しめそうなのになあ」
「よしなよ、うっかり殺しちまったらコルベス様に何されるかわからないぞ。お前まで面倒ごとに首を突っ込むな」
「おっと、そうだったそうだった。生活は悪くないし、おもちゃも多いし、コルベス様のあの性格さえ何とかなりゃあここだって……」
「よせよ。まったくお前さんはいつも軽率だな」
兵士たちの退屈とは対照的に、馬車はすごいスピードで進んでいく。コルベスの逆鱗に触れればどうなるかはわからない。どれだけ些末な事でも、この地域では兵士の入れ替えは迅速に行われるのだ。この馬車の御者は、兵士よりもそのことを熟知していた。
「……ん?こんな所に穴なんてあったか?」
雑談の傍ら、兵士は馬車の床の隅に穴が開いていることに気づいた。彼の小指すらも入らないほど小さい穴だ。よく見てみると、もう片方の隅にも同じような穴があった。
「なんじゃこりゃ?」
「さあな。ねずみか何かが食ったんじゃねえのか?」
「……そうかもなあ。まあ、大したことじゃなさそうだし、いいか。面倒はごめんだ」
頭の後ろでは地面が激流のように流れていく。
レイシーは今、馬車の下にいた。馬車に下の階があるわけではない。まるでとかげや蜘蛛のように、馬車の床板の裏に張り付いているのだ。
レイシーは敵の本拠地に潜入するために、屋敷へ向かう馬車を利用することを考えた。しかし奴隷の反乱が起きているのに自分を乗せてもらえるような口実が思い浮かぶはずもない。そこで怪力を用いて「ただ乗り」を行うことにした。
馬車の床裏に指を曲げてフックの形にし、それを床板に食い込ませてバランスを取っている。床板を突き抜けてつかんだ方がバランスを保ちやすかったのだが乗っている兵士に気づかれるかもしれないと考えたので、今は床の中で指を曲げている状態だ。足は床下の小さなでっぱりに何とか引っかけている。体重はすべて、指と引っかけた足で支えている状態だ。レイシーの怪力があって初めてできる、力任せの荒業だった。
これを思いついたとき、自分はどうかしていると思った。だが、これくらい突飛な策のほうが敵の虚を付けるかもしれない。そう思っておいた。
ふと、横目に地面を見る。泥が飛沫のようにはね、小石や草が置き去りにされていく。今まで見たどんな川の流れよりも速い。もし、馬車が激しく揺れて地面に落とされでもしたら。野菜のようにすりおろされるだろう。
「よかった……」
レイシーはほっと胸をなでおろしていた。馬車の会話はよく聞こえた。不審に思われたときは心臓が止まるかと思ったが、気にしないでいてくれるようだ。
レイシーの指が痛み始めてきたころ、馬車は止まった。どうやら屋敷の前に到着したらしい。
「早くしろ!」
床からどかどかと衝撃が伝わってくる。何人もの兵士が、新しく馬車に乗り込んだらしい。
「わわっ、お前ら反乱の鎮圧部隊か? そんなに急がなくてもいいのに……そもそも増員の指令なんて出てたのか?」
「たった今出たんだよ。急がずにいられるか! 王子と王女が直々に来たんだとよ! ヘンデルと、グレイルだそうだ!」
「……えっ」
レイシーは驚き、声を上げてしまいそうな自分を必死に抑えた。
「な、なに!? 本当か!?」
「ああ、コルベス様はあの王子どもを疎ましく思っていた。仕留めれば褒章は間違いねえ!」
「本当かよ!くそっ、担当が警備でさえなければなあ……」
しぶしぶ、元乗っていた兵士たちが下りていく。
「ああ、一生警備してな。俺は褒章を頂いてくるとするか! おい、出せ!」
慌ただしく乗り込んだ兵士たちを乗せ、御者は再び馬車を走らせた。馬車がUターンし、来た道を走り始める。
「まずい!」
乗っていた兵士が全員降りてからこっそり下車する予定だったが、増員が乗り込んだせいでレイシーは馬車から離れるタイミングを逃してしまっていた。このまま馬車に張り付いていては、元来た道を戻ってしまう。
何か使えそうなものはないか。見える範囲で見回すと、馬車の外の道に茂みがある。おそらく屋敷の庭の植物だろう。もうすぐ横を通過しそうだ。
「やるしか……ない!」
レイシーはなんとか体勢を変えると、指に力を込めて新たな穴をあけ、そこに指をかけて走る馬車の横に芋虫のように這い出る。
そして庭の横を通過した瞬間、自分の体を茂みの中に投げ入れるように飛び込んだ。
「うぐっ……がっ」
それでも速さを殺すことができず、レイシーは茂みをごろごろ転がった。枝が折れ、葉が纏わりつく。しかしそんな植物のクッションのおかげで、軽い擦り傷だけで済んだ。
「ああん?」
「音がしたような……?」
馬車から兵士の訝しむ声が聞こえたが、幸い今回も気づかれなかったらしい。馬車は猛スピードで走り去り、見えなくなった。