根城への潜入を試みる Ⅲ
「それじゃあこちらの掴んだ情報を話すわ。この一件の首謀者について、噂を拾ったの」
「具体的にどこに居るのかまではわからないけれど、名前がわかった。奴の名はコルベス」
「コルベス……そいつがここの領地を治めているの?」
「ああ。コルベスは元々ラムラの下で管轄を任されていたが、向こうが忙しくなったのにつけこんでよそと貴族同盟を結び、ほぼ直轄地のようにしてしまったようだ。この国は基本的に貴族の地方自治を認めているから外から手出しがしにくいんだよ」
レイシーの脳裏に、ラムラの屋敷で見た赤塗りの地図が思い起こされる。
「私達はそもそも狙われていたからこっそり領地に入ったけど、普通の旅人の出入りも制限されていたわ。外から入ってきにくいのも奴隷を好き勝手働かせているこの実情を隠すためでしょうね……」
「それと、コルベスはいくつも領内に屋敷を構えているが一際大きい建物があるという噂だ。残念ながら具体的な場所まではわからないが」
「そのコルベスをやっつければ、王都に行けるんだね?」
「そうだね、きっと部下は混乱するだろう。そうなれば警備も手薄になるから、王都に入り込む隙を作ることができる。問題はそのための策だ。どうする?」
「しばらくは私達も奴隷のふりをした方がいいかもしれないわ。混ざって生活して、もっと詳しい情報を得るのよ。そして黒幕の居場所が分かり次第、潜入して倒すの」
「なるほど。僕たちは少ないから、奇襲が一番有効だろう。レイシーもそれでいいかい?」
「うん! 奴隷になるってことは、セコロと一緒に働けるの?」
奴隷の過酷な仕事をまだ知らない故だろうか、レイシーは少し嬉しかった。
「そうなるけど、市場の仕事とは勝手が違うよ。覚悟しておいた方がいいだろう」
「セコロ、わたしたちも仕事を手伝うよ」
「訳合ってしばらくこの領土にいなくちゃならないのです。僕達は事故でここにやってきたようなものですから、隙を見て逃げ出すつもりです。それまでご一緒します」
「どうぞ、よろしくお願いしますね」
セコロは少し驚いたように見えたが、おどけ半分、心配半分と言った様子で眉をひそめる。
「大丈夫か? 俺達の仕事はきついぞ?」
やめておけ、とその声色が語っていた。
「大丈夫。わたし、腕力には自信があるんだ。いつだってセコロを助けるから、わたしが危なかったら助けてほしいな」
「その細腕で腕力か……はいはい、わかったよ。当てにせず期待しておくさ」
「ふふっ」
「……お前の目を見てるだけで、俺にとっては助けになるんだが……」
そのセコロの言葉は彼に似合わずぼそぼそしていて、レイシーの耳には上手く届かなかった。
「ん? 何か言った?」
「何でもないよ。じゃあ、仕事が始まったらよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いしますね。さあ兄上、野宿の準備をいたしましょう」
「まあ待て。こんなボロ屋だが、お前ら三人くらいなら泊めてやれる」
その晩、セコロは夜空を見上げていた。
数掴みの雲がぽつぽつ浮かんでいる以外には視界を遮るものは無い。鉛のような暗闇の中、欠けた月と星が浮かぶ。
すやすや、小さな少女の寝息が夜風に混じって聞こえる。二人のきょうだいはセコロが大丈夫だと言うのも聞かず、今兵士に見つかったら面倒だと言って交代で見張りに立っていた。
「……割り切ったはずなのに、どうもあいつを見てると思い出すな」
彼は月明かりに照らされながら、ぐっすりと丸まって眠るレイシーに目を落とした。
「あいつ、王都で勉強して本を書くのが夢なんだってな。お前も夢、あったよな。きらきらの王都に行きたいって、いつも言ってたよな」
ため息を一つ着くと、身を投げ出すようにどっかり壁にもたれかかる。もう一度天を仰ぎ、輝く瞳のように彼を見下ろす月を見据えた。
「……なあ。こんな兄ちゃんは女々しいか? お前を失った日から戦うって決めたのに、前に進むって決めたのに。何もできてない兄ちゃんは惨めか?」
セコロは徐に拳を握ると力いっぱい壁に叩きつけた。夜の野に響いた乾いた音に、微睡みの中のレイシーは気づかなかった。
薄暗い部屋だったが、アクロの目は適応していた。
通いすぎて慣れたのではない。最初にこの男に雇われた時からである。世闇に紛れ、敵と戦った事は数知れず。その度に闇を赤い血潮で染め上げてきた。それに比べればこの部屋の暗闇など、光に満ち満ちている場所だった。
「よぉ、戻ったか。先生」
蝋燭に照らされたローブの男はコルベス。今回の彼の雇い主であり、逸楽を提供する者だ。
彼はフードを外していた。骨ばった輪郭にくすんだ金髪。彫りの深い顔には剃り跡が残る。成熟した美形と言えなくはない、整った容姿だ。
「勝手に出て行ったそうじゃあないか。自分の領地で始末しろって言われていたのを忘れたか?」
「忘れてなど居らぬよ。その証拠に、死合いの決着は預けておいた。……少しばかり失望したがね」
「俺の部下が止めてなかったら斬り殺していた、と聞いたんだがね……まあいいや。いい子だ。王都の魔法学院みたく、花丸あげようかね」
コルベスはにやりと口角を歪ませる。
「だがそんな近所の村まで来ているっていう事は。やっぱり奴ら、3人で俺達とやりあう気だろうな」
「あやつ、来るだろうな。いや、来てもらわねば困る。あんなもので終わっては、まだ死合い足りぬわ。兵士や奴隷どもを差し向けるなど、下らぬことをするなよ?」
「そうか。俺もそう思っていたところだったが……兵士はともかく、奴隷を差し向けやしないよ。大事な財産だしな」
聞くや否やアクロは高笑いした。薄暗い部屋で笑う彼の姿は、まるで獲物を見つけた死神のようだった。
「あんな扱いをしておいてよく言う。内心如夜叉、とはこの事かな?」
「キツイ物言いだな。なあに、殺しちゃいないさ。交代で働かせてるし、過去にふざけて殺した部下は同じようにしてやった。お前も寝ぼけて死合おうとするなよ? 痛めつけて楽しむならともかく、殺したら代わりをしてもらうからな」
アクロは答える代わりに鼻でふん、と笑った。
「ま、来るにしろ来ないにしろ、戦う準備だけはしておいた方がいいよな? な? アクロ」
薄暗い部屋を雷光が青白く照らす。
コルベスの手が雷に包まれ、ばちばちと唸るように鳴ったのであった。