反撃の糸口を探す Ⅱ
しばらくするとヘンデルは無事に戻ってきたので、ほっと安堵のため息が漏れた。
「すぐそこに小さめの屋敷があった。位置からして奴らの別荘だろう」
「そこに侵入できるルートがあるの?」
「残飯を積んだ荷車が奴らの領地の中に出てるんだ。その中に入って忍び込むのがいいかもしれない」
「残飯に入って……きっと臭くなるわね」
「おや、嫌かい? だったら他の道も探そうか」
「まさか。こんな時に選り好みはしていられないわ。レイシーもそれでいいかしら?」
「うん、大丈夫だよ」
食べ物を残すなど勿体無いとは思ったが、そのおかげで攻略の糸口が見つかったとなると複雑な気分だった。
ヘンデルが見つけたという屋敷は古ぼけていた。ぼろぼろの塀にほとんど人通りのなさそうな門が、頼りなく建物を守っている。
しかし、そんな屋敷も今は慌ただしかった。物々しい鎧を着た屈強な男たちが、門の辺りをうろついている。ぴかぴかに磨かれたその鎧は、朽ちかけた門とは釣り合わないほどに白く輝いていた。
「奴ら、領地の近くの屋敷に見張りを派遣したんだと思う。流石に抜かりないな」
「兄上、どうするの?」
「そうだね……荷車は屋敷の裏手から出ている。ついてきて」
そう言われてたどり着いたのは、屋敷の裏手の塀の後ろだった。
「ここ……?」
レイシーは周りを見渡してみたが、入れそうな扉などは見当たらない。ただレンガ造りの高い壁がそびえ立っているばかりである。
「レイシー、お願いできるかい? この奥が厨房、荷車の出ているところだ」
「え? お願いって?」
「君の力で、この塀に穴を空けて欲しいんだ。扉と言う扉は見張られているからね、こっちから道を作るまでだよ。静かにお願いできるかい?」
「できなくはないけど……」
彼はにっこり笑っている。ヘンデルは王子らしく品行方正ながらも、力押しを好むようだ。もっとも、グリムと二人で王都に切り込んだりしている次点で薄々思ってはいた。
それよりも、やっと自分が役立てる時が来た。レイシーは嬉しさで力が入ってしまうのを堪えながら、慎重に作業した。
「じゃあ、いくよ」
壁に手を置き、ゆっくりと指に力を入れてめり込ませる。堅いレンガも自分の力にかかれば粘土のようだった。
そして加減に気を付けながら力を入れ、ずぼりとレンガを引っこ抜いた。
「いいぞ、レイシー。その調子で、僕たちが通れるくらいの穴を空けてくれるかい? 肩が通せるならそれで大丈夫だよ」
「見張りはまだ気が付いていないようね。その調子よ」
「うん、がんばる」
レイシーはどうにかレンガを引っこ抜いて、壁に小さな穴を作り上げた。
「古くなって壊れたように見せかけておこう。元々ぼろぼろだったから、この辺は簡単かな」
「そうだね。足が付きにくくなるかな」
穴をある程度壊すと、勝手に崩れたようにも見えなくもない。準備完了、と三人は穴を潜り抜けた。
その先はヘンデルの情報通り、屋敷の裏手の厨房の近くの裏庭だった。雑草がびっしり生え、いかにも無視されていたと言わんばかりの荒れた様子だ。
しかし、今は厨房の中で誰かが働いているようだ。薄らと香ばしい香りも漂っている。まだ夕暮れ前でご飯時ではないはずだが、派遣されてきた見張りの為に何かしらの料理を拵えているのかもしれない。
「ごらん、レイシー。あれだよ」
汚れた木製の荷車に、生ゴミがうず高く積まれている。
リンゴの芯、かびのはえたパン、汚れた何かの根っこ、蠅のたかる肉。食いしん坊のレイシーでさえもこれは食べたいとは思えなかった。
「いいね、レイシー」
「……うん、いけるよ」
レイシーは覚悟を決めると、鼻が曲がりそうな程の臭気の中に飛び込んだ。
変色したチーズとどす黒い何かのジャムがべったりと頬に張り付く。レイシーはその中で三人と共に息を殺して待ち続けた。
やがて、扉の開く音がした。
「それでは、行ってきます」
「おう。手早く戻ってこいよ。そいで、戻ってきたらまた見張りを続けるんだぞ」
「かしこまりました」
短い会話の後、がらがらと車の転がる音がして、荷車が動き始めた。
移動している間、周りの様子に耳を澄ませた。
気を止むほどの臭いを必死に堪えながら、何とか降りるタイミングを探る。どこにこの生ゴミが運び込まれているかはわからないが、敵の領内で感づかれてしまってはそれこそ命は無いだろう。
「……くれ」
ふと、呻くようなしわがれ声が外から聞こえた。
「早くくれ……」
「はいはい、焦るな。ほら、飯だぞ」
その声が合図であったように、無数の手が生ゴミの山に突っ込まれてきた。
「飯だ……」
「飯だ!」
「飯だ! 飯だ!」
「まずい! グレイル、レイシー! 脱出するぞ!」
「ええ!」
「わかった!」
慌てて身を引き抜き荷車から飛び降りると、周りは人でいっぱいだった。
「俺のだ……」
「よこせ……」
ぼろぼろの服を着た人々が荷車に群がり、三人には目もくれず生臭い残飯を奪い合っている。
そして、周りには荒れ果てた街が広がっていた。
民家の屋根は傾き、市場で見かけたようなまともな家は何一つなく、壊れた壁に屋根を乗せただけのようなものまである。
人々は皆、げっそりと飢えていた。けが人も多いようで、彼らは汚れた包帯を腕や手に巻いている。
「なに、これ……」
「……」
「ひどい……こんなことになっているなんて」
ヘンデルも自分と同じように絶句していた。グレイルはあまりの惨状に、唇をぐっとくいしばっていた。
小さな子どもを連れた女性が荷車に来たときには、もう中は空っぽだった。この二人も他の住民たちのように、骸骨のようにげっそりと痩せている。
「さて、帰るか」
「お待ちください……」
荷車を引いて戻ろうとした兵士の前に彼女はよろめきながら立った。
「兵隊様、お願いします、私はどうなってもいいんです、この子にどうかお恵みを」
「邪魔だ」
兵士は女性を強く突き飛ばした。
女性は悲鳴もなく倒れる。打ち所が悪かったのか、そのまま動かなくなった。
「ママ……? ママ……」
何が起こったか理解できない幼い子どもはぽかんとして、動かない母の手を握ったまま彼女を見下ろしている。
「っ!」
グレイルは走り出した。跪いて、彼女の様子を診る。
「……ダメ、死んでる……元々ひどく衰弱してたんだわ……」