ピクニック Ⅰ
ある日の朝。よく晴れた森を窓から眺めながら身支度を終え、お揃いの白いワンピースに身を包んだ少女とサンディは玄関に立っていた。
サンディの手にはこの前と同じバスケットが提げられている。今回は野草摘みの時のように空っぽではなく、オルガの用意してくれたサンドイッチの重みがあった。
サンディは様々な場所へ少女を連れていこうと考えていた。単に自分がピクニックを楽しみたいからという理由もあったが、屋敷の外にあるものについても少女に教えるというのが一番の目的だ。
今日は二人でピクニックに出かけようとしていた。
「それじゃあオルガ、いってきますわ」
「いつ頃お帰りでしょうか?」
「そうね、日が落ちるころには」
「わかりました、ではそのように。いってらっしゃいませ」
玄関まで見送りに来てくれたオルガがドアを開けてくれた。
サンディは笑顔を浮かべる。この口の端を上げて作る表情は、それだけで少女を安心させる。
「さあ、行きますわよ」
「……ん!」
二人は手をつなぎ、朝日で白く輝く森の中へと出て行った。
少女はサンディに手を引かれ、どんどん森の奥へと進んでいく。一体どこへ連れて行ってくれるんだろう。一歩一歩と歩みを進めるたびに、少女の胸は期待で高鳴った。
どれだけ木々をかき分けても葉の間から差し込む光が絶えることはなく、周りから聞こえる小鳥のさえずりが止まることもない。今日は絶好の行楽日和だった。
「今から、わたくしのお気に入りの場所へ連れて行きますわ。そこでサンドイッチをいただきましょう」
サンディは少女に提案した。
彼女の指導によって、少女は既にある程度の単語を習得している。
これからは積極的に話しかけて会話に慣れさせるのがサンディのねらいだった。
少女もまだ自分から話すことこそ満足にできないものの、大抵の言葉や文意は理解できた。今の発言はサンドイッチをどこかで食べようと言っていることがわかる。
「ん!」
少女は笑顔で返答する。それを見たサンディもまた、笑顔を返した。
しばらく進むと突然森が消え、開けた場所に出た。
木々と葉ではなく青い空に覆われたそこには黄緑色の草の生えた、やや高い丘があった。丘の上には木が一本、森からはぐれたような様子で立っている。
「あそこの木陰に行きましょう」
二人はなだらかな坂をゆっくりと登っていく。頂上までたどり着くまでには少女が思ったより時間がかかった。
やがて、丘の上の木の陰に入った二人はそこに腰を落ち着けた。
頂上に来ると青空がより近くに来たように思える。
「ここから見る景色、素敵でしょう? わたくし、気分が乗らない時にはよくここに来ますのよ」
「おおー」
まるで緑の海に浮かぶ孤島のようなここからは、周りを囲む森を見渡すことができた。
遠くに目を凝らすと森の木々が途切れた先に建物の群れが見える。それは少女が最初に歩いていた、森の外にある市場であった。
「わたくしたちの屋敷は、あの辺にありますわ」
「ん…?」
サンディが指す今しがたやって来た方向には森が広がるばかり、正確な位置はよくわからない。
しかし、確かにあの緑に囲まれて自分たちはいつも生活しているのだろう。住家を見下ろせるところまで来たと思うと、とても遠い場所まで旅をしてきたような気持ちになる。
「ここなら思いっきり声を出しても大丈夫ですわね」
サンディはオホン、と咳払いを一つする。
「歌を教えてあげますわ」
「ウタヲ、オシエテ……?」
「そう、歌」
ウタ、なるものを彼女は教えてくれるらしい。いったいどんな物なのだろう?
少女の期待の視線を浴びながらサンディは大きく息を吸い込むと、リズムに合わせて言葉を紡ぎ始めた。
さあ歌おう、友よ さあ踊ろう、手をつなごう
富に権力、やな憂き世 離れて逃げろ、ええいままよ
安住の地へ、いざ移動 さあさあゆっくり、行きましょう
さあ歌おう、友よ さあ踊ろう、手をつなごう
ごちそう作る、料理長 従者は働く、その真横
君と一緒に、喜びを 過ごした夜を、数えよう
さあ歌おう、友よ さあ踊ろう、手をつなごう
されど来たるよ、悲しみも 払いのけよう、いけるだろ
いつか全部、済んだ頃 もいちど見せて、その笑顔
鈴のような澄んだ声が丘の上から周囲に響く。歌い終えると、サンディは少女に微笑みかけた。
「これが歌ですわよ」
「おー!」
少女は目を輝かせた。
歌詞の意味は知らない語が多くまだ完全に理解できていないが、サンディの歌を聴いていると気持ちが高ぶって身体が不思議な力で引っ張られ、勝手に動き出してしまうような感覚がする。
是非ともサンディと一緒に、この丘の上から歌声を響かせてみたい。
「さぁて、言った通りあなたにも教えて差し上げますわ。わたくしの真似をして声を出してみてくださいな」
「ん!」
「さあ歌おう、友よ」
「サアウタオウ、トモヨ」
「さあ踊ろう、手をつなごう」
「サアオドロウ、テヲツナゴウ」
少女はサンディの音をまねながら、たどたどしくも自ら歌い始めた。
二人は丘の上から空に向かって、心ゆくまで歌い続けた。
それは魂を青空に解放するかのような、すがすがしい体験だった。