貴族の暮らしに触れる Ⅲ
「特に大変なお仕事ってあるの?」
何とか口を動かして、羊皮紙の砦の中に鎮座する彼に質問を飛ばしてみた。
「ううむ、どれも大変でおじゃるが……強いて言うならばこのモンスター騒ぎと北の領土問題でおじゃろうか」
ラムラは自分に笑顔を向けたが、やりきれない、という気持ちを目が語っていた。
「いやあ、こんな周りを森に囲まれた辺境の市場だからこそ、活気のあるところにしたかったのでおじゃる。安心・安全を謳って馬車の道を整備したり商売の規制を緩めたりしてきたのでおじゃるが、モンスターの出現で台無しでおじゃる……一度失った信頼は簡単には取り戻せないのでおじゃるよ」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫でおじゃるよ、そんな沈んだ顔をするでない。君が無事で本当に良かったでおじゃる。で、もう一つの問題なのでおじゃるが」
彼は一枚の小さな地図を取り出した。
「あ、すごろくで見たことある。この王国の地図だよね」
「そうでおじゃる。北の領土問題と言うのは、ここの領土を治めている貴族の事でおじゃるよ」
見れば、地図が一部分だけ細長く青い色に塗られており、ここがラムラの領地らしい。そして青く塗られている部分の中の北側に、小さい染みの様な赤い部分がある。
「ここはとある貴族同盟の所領なのでおじゃるよ……向こうはこちらで統治すると言っておきながら、厄介な政務ばかりこちらに押し付けて来て困っているのでおじゃる。残念ながら領内が精一杯で、使いを送る程度しか手が回せていないでおじゃる」
彼は座ったまま天井を仰ぎ、ふーっと大きく息を吐いた。
「申し訳ないが、好きに屋敷の中を見まわって来てくれないでおじゃるか?少し仕事から手が離せなさそうでおじゃる。この屋敷にいる者ならきっと、仕事の間に説明してくれるでおじゃるよ」
「わかりました」
「さ、レイシー。行きましょう」
ここまでは厚意で見せてもらっていたが、やはり素人の自分が見ていてはやりにくいことがあるのかもしれない。レイシーはラムラと秘書に一礼し、大人しく去る事にした。
広い屋敷だけあって多くの人々が忙しそうに働いていた。
彼等の全員が一人一人貴族と見間違えるような、清潔で整った衣装を着ていた。ただ、胸に付けられたバッジの色は人によって違うらしく、緑と青の二種類あるようだ。彼らが仕事で行ったり来たりする様子は、自分がサンディの屋敷にいたころを想い起こさせる。
「ねえ、あの人たちが使用人?」
「ええ。彼らは使用人と奴隷よ」
「奴隷? そういえば使用人と奴隷ってどう違うの?爺やとオルガは使用人だって、サンディが言ってた」
「使用人は国民が就く職業の一つだけど、奴隷は身分の一つよ……基本的に雇い主の所有物になって働く身分ね」
「人が物に……!? それって、かわいそうじゃない?」
「ええ……昔は酷い扱いを受けていた身分だったけど、今の王様が即位してからは待遇は改善されたわ。今のアイルーン王国は世襲制の貴族を除いて基本的に身分に差を作っていないのよ」
アリエッタは目を閉じ、記憶を思い返すように話した。その姿は自分と少ししか年が違わないはずなのに、どこか大人びていた。
「確かこの屋敷には奴隷と使用人併せて30人くらいの人が雇われていたと思うわ」
この屋敷で働く人々は身分など関係なく、楽しそうに働いているように見える。彼女の言う事はきっと本当なのだろう。
話ながら、二人は沢山の部屋をまわった。屋敷は広く、歩くだけで二人の少女にとっては格好の探検の舞台だった。
働き者たちが洗濯をしている部屋は、干された服やシーツが森のようにかけられていた。寝室には温かそうな毛布の掛けられた、たくさんのベッドが規則正しく大量に並べられている。何十人も入ることができそうな、とても大きな広間が居間だと聞かされた時はとても驚いた。一つ一つの部屋が、自分の屋敷にあった部屋をさらに大きくしたような構造だったのだ。更に、遊戯用のボードや駒の沢山並べられた娯楽室や宴会に使うイベントホールなど、無かった部屋まで存在した。
図書室には今まで見たことがないほどたくさんの本があった。分厚い革表紙に金字で題が書かれた本はまるで芸術品のようで、手にするのが少し躊躇われるほどだった。
「いつかここに自分の本を並べて、来る人に自分の言葉を伝えたいな。……こんなに豪華じゃなくてもいいけど」
そこで、くたびれたラムラの忙しそうな姿が脳裏に浮かぶ。
「疲れた人たちの癒しになれるような。そんな本も書いてみたいなあ」
「応援してるわ。王都についたらいっぱい勉強してね。さあ、次に行きましょう!」
次は二階と階段を上る。
「……!?」
レイシーの鼻がひくひくっと反応した。この匂いは。出てきた涎をじゅるりとしまうと、レイシーはいきなり匂いの方へ歩き出した。
「あっ、レイシー!……もう、しょうがないんだから」
レイシーが足を踏み入れたのは、ぴかぴかの調理器具が吊るされた部屋。美味しそうな煙が充満する中、沢山の料理人たちが所狭しと働いていた。彼らが丸々入れそうなくらい大きな鍋に演奏会の楽器のようにジュージューと音を奏でるフライパン。見るだけでお腹が膨れそうだ。