貴族の暮らしに触れる Ⅱ
「レイシーは本を書くのが夢なんだっけ?本は高級品だから、必然的に貴族を相手にすることになるね。いい機会だ、彼からいろいろ話を聞いてみるといいよ」
「そうなの? でもせっかくだからいろんな人に読んでもらいたいなあ」
「うーん、どうかなあ……みんなが本を買えるだけのお金を持っていればいいけれど、この国では基本的に職業は世襲制なんだ。急にお金持ちが増えるなんてことは……」
「だったら、どうしようかな。人形劇にしてみんなに見てもらうっていうのも……でも、それも楽しそうだけど、それだと本を書くってことと何か違うような……」
「……安く本を作ることができたらいいのにね」
二人の横でアリエッタが歎息するように呟いた。
「そうだね……ありがとう。無い物をねだっても仕方ないから、わたしはできるだけのことを精いっぱいやることにするよ」
そうしているうちに四人は屋敷の門をくぐり、ぴかぴかのテーブルとふかふかのソファが用意された応接間へと通された。
間もなく、温かい紅茶と甘い香りのクッキーが運ばれてくる。それを頂きながら少し待つと、ドアが勢いよく開かれた。
「ヤーコブ殿、アリエッタ殿、カール殿! ようこそでおじゃる! 待たせて申し訳ないでおじゃる!」
現れたのはぷくぷく太った、実体そうな男だった。豪奢な服から覗く胸元にはもしゃもしゃの胸毛。大樹の幹のような茶色をした長い髪には、黄色い花のような髪飾りが添えられている。
「私がこの地域の領主、ラムラ・テッロでおじゃる。そこの小さい御嬢さんはどなたでおじゃるか?」
「彼女はレイシー。もとは森の屋敷に住んでいて、今は僕達と王都を目指しているんだ」
「レイシーです。よろしくお願いします」
「ほほう、君が……こちらこそよろしくでおじゃる」
ぺこりと頭を下げたレイシーを見て、ラムラは太った猫のようににやりと笑った。
「旅の方は順調でおじゃるか?」
「ああ、明日には王都に着けるだろう。そっちは何か困っていることはないかい?」
「明日の朝に出れば、問題無く王都にはたどり着きます。私達でよければお手伝いいたしますぞ」
「そうでおじゃるなあ……手伝ってほしい事は山とあるのでおじゃるが……」
ラムラは考え込む様子を見せてから言った。
その時、ラムラが一瞬、ヤーコブと視線を合わせているように見えた。いったい何だろうか? レイシーにはわからなかったが、気にしないことにした。
「ならば、この近辺の耕作地の見回りを頼んでもよいでおじゃるか? 最近はモンスター騒ぎもあったから、少し不安なのでおじゃる」
「わかった、任せてくれ。レイシーはこの屋敷に残って、彼から貴族の話をいろいろ聞くといい。将来の夢の助けになるかもしれない」
「兄上、私も残っていいかしら? レイシーと一緒に貴族のお勉強がしたいわ」
「うん、いいだろう。それじゃ、僕とカールは見回りに行くよ」
「それでは、失礼します」
「いってらっしゃい」
「お兄様、カール、気を付けてね」
彼らが去ると、ラムラは踵を返し部屋を出て行こうとした。
「ささ、レイシー殿にアリエッタ殿。ついてくるでおじゃる。まずは私の仕事を紹介するでおじゃる」
案内されたのは彼の執務室だった。
羊皮紙の束が山脈となって、彼の机を囲んでいた。
「ラムラ様、ようこそお戻りになられました」
「うむ、ご苦労でおじゃる」
補佐らしき男に話しかけられた瞬間、にやにやしていた笑顔が鳴りを潜め、遠くの物を見定めようとするときのような、真面目な顔つきへと変わった。
「では、緊急の問題から参りましょう。先日のモンスター騒動の事後処理と対策について、市場の商会から説明が求められています。ざっくりで良いと思います」
「まずはどこから現れたかを特定することが最優先でおじゃる。あれだけの翼を持ったモンスターが今まで森の中にずっと隠れていたとは考えにくいでおじゃる。市場や白の教団のハンターとも協力して防備を強化してから調査を進めていく予定でおじゃる」
「では次に、モンスターによって壊された馬車の修理費と犠牲者への見舞いについてです」
「まだ騒ぎが収まってないでおじゃるから、予算を多めに使って装甲を強化するでおじゃる。今使われている馬車にも同じ処置をするように。犠牲者の遺族への見舞いはお金に加えて後で礼状をしたためるでおじゃる。この村に住んでいないなら移ってもらうもよかろう」
「では次です。市場で営業する雑貨商から、もっと税を引き下げろと要求が来ています」
「それは飲めないでおじゃる。雑貨は食品に比べ、輸送費や保存の手間がかかりにくいでおじゃる。同じように扱う事は出来ぬと伝えてくれでおじゃる」
「次です。失業者への仕事の斡旋と直営店で販売する商品の試食会についてですが」
補佐の男が問題を伝え、ラムラが話す言葉を、補佐の男が素早く書きとめる。凄い速さで彼らは問題を処理していったが、一向に終わる気配がなかった。
レイシーは何も言えず、呆気にとられてその様子を見つめていた。初めて目にする貴族の仕事ぶりに気圧されてしまったのかもしれない。
「相変わらずすごいわね、ラムラは」
アリエッタがどこか嬉しそうに、隣でつぶやくのが聞こえた。