貴族の暮らしに触れる Ⅰ
「馬車は順調だ。このままいけば、明日には王都に到着できるね」
村を出立してから三日が過ぎた。馬車のスピードは依然として速く、紙芝居を早回ししたように景色が流れていく。それでいて小屋がほとんど揺れていない所は、この御者の技術ゆえだろう。
「レイシー、長い間馬車に乗ってご苦労だったね。次の村に寄ったらもうすぐ王都だ」
「……うえぇ」
「レイシー様、どうしましたか? 酔いましたか?」
「そうじゃなくて……この前のスープがまだ効いてる……アリエッタの……」
レイシーは呻きながら舌を出し、口直しのため水を一口飲む。
もうずいぶん経つというのにアリエッタ謹製スープのすっぱ臭い味がねっとり染みついて離れない。まるで舌に不気味な味のする蔓がまとわりついているかのようだ。この舌を支配する暴君はいかなるほかの食料でもこの刺激を上書きすることはできず、長い馬車に退屈する時間も与えられなかった。
「あらレイシー、私の料理はそんなに美味しかった? また作ってあげてもいいのよ!」
「それはいらないよ……ごめん、アリエッタ。せっかく作ってくれてなんだけど、正直に言うよ。あのスープ、駄目だよ」
レイシーはアリエッタを傷つけまいとここまで必死に無言を貫いていたが、とうとう本心を漏らしてしまった。彼女はわざとらしく口に手を当て、酷く驚いた様子を見せた。
「ええ……!? 兄上やカールだけじゃなくて、レイシーまでそんなことを!」
「すっごい臭いしたし、味も刺激が強すぎるし、見た目もぐしゃぐしゃで残飯みたいだったし……あと、魚の骨とかニンジンの頭とか虫の抜け殻とか、普通は食べたりするんだっけ……?」
「ひどい! ひどいわ! 隠し味を一杯入れれば、美味しくなると思ったのに!」
あの謎の食材群は隠し味のつもりだったのか。それに隠し味をいっぱい、というのは言葉としてどうだろうか。もうそれは隠していないと思うのだが。
「……だけど」
アリエッタは頬を膨らませ最初こそ怒ったような表情を見せていたが、次第に落ち着いて話した。
「……わかってるのよ。私、料理は下手だって。レイシーみたいにお魚を焼くこともきっちりできないわ。だけど、だからこそ、自分は下手だって決めつけられると腹が立つのよ。見てなさい、私はもっと練習するわ。絶対に兄上もカールもレイシーも、私の料理の前に跪かせてみせるわ!」
「わかった。待ってるから、がんばってね。 ……まずは隠し味をやめて、教えられたとおりに作る所から始めたらいいと思うなあ」
「見込みはほとんどないと言っていいけど……まあ、レイシーがそう言うなら僕も期待してみようかな」
「なるほどーできるできる、きっとお嬢様ならできるのではないですかなーははは」
「……カール…酷い棒読みね……馬鹿にしてる?」
「いえいえそんな……っと、皆さん。最後の目的地が見えてきましたよ」
カールの指さす方を見てみると、草原を分断するように続く馬車道の先に何かがある。立派で巨大な石の壁が、何かを囲うように立っていた。
「あれ、何?」
「あれは領主の村です。この地域を治めている貴族の御膝元ゆえ、厳重に守られています」
「政務やお触れを管理している人の近くだからね。自然と人が集まってくるんだよ」
入口の門は大きく、高い櫓と今まで見てきたモンスターでも突破できないほど分厚い金属の扉が村を守っていた。
その前には門番が三人立っている。いずれもぴかぴかに磨かれた鎧と槍を装備した屈強そうな男たちだ。旅人達を認めた彼らは扉を開き、道を譲ってくれた。
「ようこそ、テッロ村へ。ごゆっくりおくつろぎください」
この村はこれまで通ってきた二つの村とは雰囲気が全く違った。
舗装された道の端には石造りの建物が多く建ち、村というより市場のような印象を受けた。しかし市場のように露店のテントがたくさん出ているわけでもない。
「おや、旅のお方かい?」
「今日は領主様のお家で卵が余ったんですってよ!」
「まあ奥さん、貰いに行きましょうよ! 今夜は卵焼きね!」
「この荷物は倉庫まで……この荷物は……」
「王都からの交易馬車だよ! 今日の目玉商品はアクセサリーだ!」
ただ変わらないのは、人々が活気に満ちているという事だった。
「ヤーコブ、ここでどうするの? お買いもの?」
「いや、ここには世話になった人に挨拶をしにきたんだ。ついてきて」
行き交う人波を四人でかき分けていくと、徐々に道に傾斜ができ始める。それを登って進んでいくと、丘の上にすごく大きな建物が見えてきた。
どこか自分の住んでいた屋敷を思わせる外観で、初めて見る建物のはずなのに懐かしさを感じてしまう。
「もしかして……あそこに住んでる人にあいさつしに行くの!?」
「そうだよ、この地域の領主……ラムラ・テッロ様には世話になったからね」
「へぇー……」
貴族の知り合いがいるなんて、彼はどういう人脈を持っているのだろうか。旅をしていれば、自然と多くの人とつながりができたりするのだろうか。