ひと時の平穏を味わう Ⅱ
次は魚を串に刺して、塩をつけ、全体に火が行き渡るように焼いていく。カールによればこれは串打ち、と言うらしい。
「串に刺す時は、口から尾の方へ突き通すように刺します。その時なのですが、骨を絡めるように串をくぐらせて刺すと良いですよ」
「背骨に引っかけるみたいにしろってこと?」
「そうです。そうすることでずり落ちたり回ったりすることがなくなって、火を通しやすくなるのですよ。試しに私が一つ、見本を見せましょう」
カールは魚を手に取ると、魚を曲げながら、慣れた手つきで串を突き通した。なるほど、背骨の上から通した串を次は下から通す、と言うように、「W」に近い形になるようにすればいいらしい。
レイシーも恐る恐るやってみる。魚の身体を指先で調整しながら、ゆっくりと串を進めていく。彼よりも少し時間をかけて、尾まで串が通りきった。
「その調子ですよ。あなたは料理の見込みがありますね。将来、あなたに料理をしてもらえる者は幸せでしょうな」
「ありがとう。さあ、次は……」
串打ちが済んだところで、まだ終わりではない。一番の工程、魚に味付けをして焼く部分が残っている。ここで失敗しては全てが台無しになってしまう。レイシーの手にも、自然と力がこもった。
「おや、緊張しているのですか?」
「……うん。ここで失敗したら、魚がもったいないから」
「大丈夫です。私もついておりますから、自信を持ってやってみてください」
強張った表情の彼のゆっくりした喋り方を聞いていると、急いていた心がだんだんと落ち着いていく。
「……ねぇ。カールはどうして、いつもそんなしかめ面をしているの? とっても優しい人なのに」
カールは一瞬ぴたりと動きを止めたが、すぐに答えを返してくれた。
「おや、これまた急な質問ですね……そうですね。強いて言うならヤーコブ様、アリエッタ様のお供を真剣にしているから、でしょうか」
「真剣……?」
「いついかなる時も全力で、手を抜かない。私はあの方々を旅の危険からお守りするため、いつも周囲に気を付けているのですよ。そのせいで自然とこういう顔になっている、とでも説明しておきましょうか。まあ、単純に笑顔を浮かべることに慣れていない、というのもありますがね……大丈夫です、私はレイシー様に怒っているわけではありません」
「わたしも、それはわかっているよ。だけど、ちょっと気になったんだ」
「そうですか。ささ、料理に戻りますよ。まず、塩を付けましょう。焼いているうちに落ちますので、思い切って振るくらいがちょうどいいと思いますよ」
「んー、こうかなあ?」
瓶に入った塩を、がばっとかけてみる。魚の黒い身体が、雪が降ったように白くなった。
「そうそう、いい感じです。では、これを焼いて行きますよ。ポイントは、まず皮から焼くことです。まずは火に近づけて、一気に焼いてください」
彼が用意してくれた炭火に、レイシーとカールは魚の串を近づけていく。
赤い炎が食材を料理へと変えていく。次第に焼き目が付き、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「よし、そろそろかな?」
「いいでしょう。次は火から離して、じっくりと熱を通してください。これは中まで火を通すためにやりますので、身がもっと美味しくなりますよ」
レイシーはすぐに魚の串を火から遠ざけて並べた。これまたカールが串を並べやすいように、焼く前から火の近くにブロックを用意してくれていた。
「レイシー、お昼ご飯はまだかしら?お腹が空いたから、早く戻ってきたわ!」
焼き上がるころ、ほどよく膨れた背嚢を背負ったヤーコブとアリエッタが元気よく戻ってきた。
「最低限の物は買えたし、後で一緒に見に行こう。……お、良い匂いだね。焼き魚かな?」
「うん。美味しくできたかな。食べてみてよ。カールも、教えてくれてありがとう」
「いえいえ、私もご馳走になります故、お礼をするのはこちらの方ですよ」
綺麗にこんがりと焼けた魚を串に通し全員が手に持つ。
「それじゃあ、いただこう!」
「よーし! いただきまーす!」
レイシーは腹にかぶりついた。
「おいしい!」
狐色の皮の中から現れた真っ白な身は口に入れるとすぐにほぐれて塩味を広がらせる。
魚の旨みと塩辛さが素朴ながらも、ふっくらした身の中で絡み合い、口の中でほくほくとほぐれた。あっという間にレイシーは一匹を食べきってしまい、後には骨が残るのみとなった。
「美味しいね。レイシーは本当に食べることが大好きなんだね」
「うん! それと最近はね、料理をするのも好きになってきたんだ。市場でオーネに教えてもらって、豆のスープを作ったりしたんだよ。焼き魚ははじめてだったけど、うまくできてよかった」
「そうだね。始めて焼いたにしては、よくできているよ」
アリエッタもカールもうなずきながら舌鼓を打っている。その様子を見ると、レイシーは腹だけでなく胸まで幸福感でいっぱいになるように思えた。
豆のスープに焼き魚。自分が出来る料理が増えていくのは新しい世界が広がっていくような気分になる。
ふと、それはなんとなく、新しい景色を求める旅と似ている気がした。果てしない料理の世界の旅を、レイシーは味わい尽くしたくなってきた。
「うーん、美味しかった! 私もレイシーにお返しがしたいわ。お兄様、スープを作らせて下さる?」
「え……あ……」
ヤーコブの顔が固まった。カールもいつも以上に顔をしかめている。
「アリエッタ、無理しちゃダメだよ。食材ももったいないし、料理なら他の人もやってくれるから」
「お兄様、私は自分の料理で、レイシーに恩返しがしたいのよ。だから他の人がやっては無意味になってしまうわ。」
「レ、レイシーは……?」
猛獣に追い詰められたような声で、ヤーコブは聞いてきた。
「アリエッタのごはん、食べてみたいな!まだまだ食べられるから、いっぱい作っていいよ!」
物知りでしっかり者のアリエッタなら、きっと美味しいものを作ってくれるだろう。その割にはヤーコブ達の様子が気になるが……焼き魚だけでお腹がいっぱいになったのだろうか。
とにかく、些細な事は気にしなくていい。料理もまた旅であり、冒険なのだから。