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5. 運命との攻防

 昨日感じた不安は的中し、千歳は放課後、新聞部の部室で机に突っ伏していた。


「どうしたの。まだ具合悪い?」


 熱を測るように千歳のおでこに当てられた湊の手が冷たくて少し気持ちいい。でも、今日は平気だ。

 結局、強い抑制剤を飲むのは昨日一日でやめてしまった。まともに歩けないほどに体調が悪くなるのは困るし、何より飲んでいても累にはフェロモンをかぎ取られてしまった。

 二次性のことも話してしまったし、昨日のようなつらい思いをしてまで飲む理由がもうない。

 だから、今ぐったりしているのは薬のせいではないのだ。


「大丈夫だよ。朝から変なのにずっと絡まれてて疲れただけ……」


 今朝、千歳が登校するために家を出ると、なんとそこには累が待ち構えていた。しかも、いかにも高級そうな車と共に。

 当然、スルーしようとしたのだが、累はこれ見よがしに貼った頬の絆創膏をさすりながら、千歳の行く手を阻んだ。


「千歳さん、結構力あるんだね。腫れちゃったし、今日は部活は休んだ方がいいかも」


 しょんぼりと悲し気に視線を下げる様子に、それが狙いだとわかっていてもどうしようもなく罪悪感が芽生える。苦々しい思いを奥歯でかみ砕いているうちに千歳は車に押し込まれ、結局学校まで一緒に登校する羽目になってしまった。


 千歳の自宅から学校までは徒歩十五分。車ならば五分もかからない。

 高級そうな黒塗りの車はもちろん内装も大変ご立派で、広い車内空間にふかふかな座面は乗り心地抜群。それでも、自分が避けるべき『運命のα』と密室にいるという状況に体をこわばらせたままでいたせいで、朝から普段の数倍は疲れてしまった。


 千歳の通う高校は近隣でも評判の良い私立校だからα家庭の子息たちも少なからずいる。とはいえ、”至って普通の学校”だ。送迎車で登校する生徒なんてほぼいない。

 そんなところにこんな車で乗りつければ、当然、何事かと朝から猛烈な視線を浴びる羽目になる。その居た堪れなさと言ったら、女性専用車両にうっかり間違えて乗り込んでしまった時以上に、全身から汗が噴き出るような居心地の悪さだった。余談だが、この国には女性専用車両とは別に、Ω専用車両も存在する。もちろん千歳は利用したことはないが。

 それはさておき。そもそも千歳は昨日、累の頬を思いっきりひっぱたいた上で、「関わるな」と言ったはずだ。それなのに、そんなこと知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、累は何のためらいもなく千歳に絡んできた。

 しかも、それは朝だけにとどまらず、廊下ですれ違えば千歳に向かって盛大に手を振り、昼には一緒にご飯を食べようと教室にまで押し掛けてくる始末。

 もちろん千歳は強制的に車に押し込まれた登校以外は、全て無視、拒否を続けた。

 千歳が拒否をすれば、累は案外あっさりと引き下がったが、放課後にまた千歳のクラスにやってくると、「家まで送るからあとで部室に迎えに行くね」とにっこり笑って去っていった。全く持って意味が分からない。

 もう、累は言葉の通じない宇宙人か何かなのではないかと千歳は頭を抱えることしかできなかった。


「あぁ佐久間……なんであんなに懐かれてんの?」

「……わかんない」

「そういえば昨日、佐久間がここに千歳のこと聞きに来たけど、なんかあった?」

「別に。なんもないよ」


 千歳の二次性が『未確定』であることは今後も湊に話すつもりはない。だから、昨日累との間にあったことも話せない。隠し事というのは体力も精神も疲弊させる。早くβに確定したい――焦る気持ちばかりが大きくなる。

 千歳は気持ちを落ち着けるように一度軽く息を吐き、机に伏せていた体を起こした。


「とりあえず、また捕まると嫌だから早めに帰るね。原稿は家でできるし」

「ん、わかった。今日はもう体調平気? 送ってきたいけど……」

「いいよ、そんな。もう大丈夫だから」


 今日は本当に平気だ。でも、昨日は湊に送っていってもらえばよかった。そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

 千歳は先に立たない後悔を一つため息とともに吐き出し、部室を出た。




「あれ? 千歳さんは?」


 累が新聞部の部室へやってきたのは、千歳が下校してから十分程あとだった。

 間一髪だった――安堵と共に湊の心の内には苛立ちが沸いてくる。幸か不幸か、今日は他の部員もいない。だから、遠慮なく悪態をつく。


「もう帰ったけど」

「えっ、うそ! 家まで送るって言ったのに!」


 むしろなんで待っていてもらえると思ったのか。疑問でしかない。

 累は今日一日中、隙あらば千歳に絡んでいた。でも、そのすべてを千歳は迷惑そうに拒否していたのだ。それなのに、累は全く気にする様子もない。

 昨日も累は千歳を探しにここへ来た。そのあと多分、千歳を追いかけたのだろう。「何もなかった」と千歳は言っていたが、累の頬に貼ってある絆創膏を見れば、そうとは思えない。

 湊には言えない”何か”があったのか。そう考えるだけで、苛立ちが増す。

 スマホを手に「今から追いかければ間に合うかな」なんてぶつぶつとつぶやきながら部室を出ていこうとする累の背に向かって、湊は膨れ上がった苛立ちをそのまま言葉に乗せてぶつけた。


「おい、待て」

「……なんですか?」


 湊の目の前にいるのは上位種のα。並の人間では横に並ぶことすらできない人類の頂点に立つような存在だ。でも、湊に臆する理由はない。

 普段からかけている()()()()()()()()眼鏡をはずして分厚い前髪を上げると、湊は累の正面に立った。


「お前さ、急に千歳に付きまとい始めて、どういうつもり?」

「それ、あんたに関係あります?」

「ある。友人が迷惑してるのに放っておくわけにはいかねーだろ」


 圧をかけるように睨みつける湊に、累は負けじと強い視線を返してくる。

 こうして並んでみると今は湊の方が少しだけ背が高い。でも、それもほんの数日で変わるかもしれない。

 どちらが、どちらを見下ろすのか。それは一瞬で変わっていく。二人のα()としての力と同じように。


「……友人ね。そっちこそ、どういうつもり? 千歳さんについてる()()、あんたでしょ」


 累は気が付いていた。千歳から香る、甘くて安らぐようなフェロモンの中に少しだけ混ざる、αの気配に。

 αは独占欲が強い。特に『自分のΩだ』と定めた人に他のαが近づくことを極端に嫌う。

 そこで、他のαに『自分のΩだ』と知らしめるために、フェロモンをつける"マーキング"と呼ばれる行為をする。千歳についていた()()はまさにそれだった。

 だから昨日、累は千歳に聞いたのだ。αの恋人がいるのか、と。


 今日この場に来て、その"匂い"を千歳につけたのは誰なのか、ようやくわかった。

 体育館で会った時も、昨日話したときにも感じなかったαとしての存在感が今の湊にはある。しかも、累に引けをとらないほど強いαだ。


 千歳はαの恋人はいないと言っていたし、αには近づきたくないとすら言っていた。

 ということは、千歳は湊のことをβだと思っているはずだ。

 湊がどうしてαの気配を消してβのようにふるまっているのかはわからない。でも、それならばそのまま大人しくしていればいいものを、わざわざ累に”正体”を明かしたのはなぜか。

 理由なんて、一つだろう。


「あぁそうだよ。お前みたいなやつが千歳に近づかないようにな」


 あまりにも予想通りだった湊の言葉に、累は思わず鼻で笑ってしまった。そんな累の反応に湊は深く眉をひそめる。


「何が面白いんだ」

「面白くはないね。千歳さんは知ってるの? あんたにマーキングされてること」


 累の問いに湊がぐっと息を詰まらせたのがわかった。


 ――やっぱりね。


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