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4. 運命はごまかせない

 再び千歳が目を覚ますと、路上で倒れたはずなのになぜか自宅のリビングにあるソファの上に寝転がっていた。しかも、倒れたはずなのにどこも痛くない。体を起こし、まだぼんやりとした頭の中で不思議に思っていると、部屋の中から聞こえてきた声に千歳は愕然とした。


 それは今、一番会いたくなかった人の声。


「あっ、七海さん起きた? 痛いところない?」


 体温が一気に上がっていく。わかっているのに、声の主を確かめることが怖くて顔を上げることができない。


「七海さん? やっぱりどっか……」


 千歳に触れようと伸ばされた手から咄嗟に体をよけた。半ば強制的に視線が交わったヘーゼルの瞳は、窓からに差し込んだ西日に照らされ、前よりも緑色が濃くなって見える。それだけで千歳の心臓はこれまでの人生で一番大きな音を立てて跳ねた。


「さ、佐久間くん……どうして……」

「七海さんと話がしたくて新聞部に行ったんだけど、体調悪くて帰ったって聞いて。心配になって追いかけてきたら、道で倒れるからびっくりしたよ」


 累は目線を千歳に合わせるようにしてソファの前で膝をつき、優しい顔で千歳を覗き込んでくる。千歳は後ずさるようにしてソファの端っこぎりぎりまで累と距離を取ると、助けを求めるように目線をさまよわせた。でも、残念ながら部屋には千歳と累以外誰もいない。

 今日はいつもよりも少し早く帰宅したから、時間は夕方の五時前だろう。この時間はまだ父も母も仕事から帰っていない。つまり、今この家には千歳と累の二人しかいないということになる。これはとてもよくない状況だ。


「い、家にはどうやって……」

「たまたまお隣さんが外にいて、一緒に運んでくれたんだよ。鍵はごめん、カバンから勝手に出した。インターフォン鳴らしても誰も出なかったから」

「そ、そっか。迷惑かけてごめんね。もう大丈夫だから……」


 冷静に、と頭の中で叫ぶほど息が浅くなり、苦しくなる。

 早く累から離れなければいけない。頭ではわかっていても、体が拒否をする。

 千歳を見つめる瞳を見つめ返したい。伸ばされたその手に触れて欲しい。Ωの本能が累を求めてしまう。


「あんまり大丈夫そうには見えないけど……。あっ、千歳さんって呼んでいい?」

「えっ……なんで……」

「仲良くなりたいから」


 千歳は目線を合わせずにいるが、累はわざわざ千歳の顔を覗き込んできれいな顔でニコッと笑って見せる。そして、千歳めがけて手を伸ばしてきた。

 千歳は反射的にビクッと体を震わせ、その手を避けた。でも、ソファに挟まれ、これ以上の逃げ場がない。


「何もしないよ」


 そう言ってソファの背に手を突いた累は、千歳の首元に顔を寄せた。


「……やっぱり、千歳さんってΩだよね?」

「っ……!な、何言って……僕はβだよ」


 千歳の心臓は累にも聞こえてしまいそうなほど大きく脈打ち、顔から血の気が引いていく。無意識のうちに千歳はグッと自分のシャツの胸元を握り締めていた。


「それを聞こうと思ってたんだよね。なんでβのふりしてんの? こんないい匂いのするβなんていないよ」


 これはもうごまかせない。千歳は本能的にそう悟った。強い抑制剤を飲んでも、やっぱり運命には逆らえない――。

 でも、累の様子から千歳が“運命の番”であることはまだ気が付いていないように思えた。

 今の千歳にとって最も大切なことは、“完全なΩにならないこと”だ。もしΩ因子が増えてしまっても、αさえ遠ざけていればきっとβに戻れるはずだから。


 千歳は覚悟を決め、ソファから立ち上がると、棚から取り出した一枚の紙を累に渡した。


「僕は本当にΩじゃない。今のところ“ほとんどβ”なんだ」


 累に渡した紙は、『未確定』と書かれた千歳の二次性の検査結果だった。

 累は渡したその紙に書かれていることと、千歳の言葉に眉を上げ、驚いた顔をしている。


「未確定……そんなの初めて聞いた」

「病院の先生からも珍しいって言われてる。これでわかってくれた? 僕はβのふりをしてるわけじゃないって」


 累はいまいち納得がいかないという顔で、まだ検査結果を見つめていた。


「これ、学校の人たちは知ってるの?」

「学校には書類を提出してる。でも、わざわざ言いふらすことじゃないから、友達にはβだって言ってる。だからみんな僕のことβだと思ってるよ」

「えっでも、αもいるよね? そんないい匂いするのに、βで通せるの?」


 累が千歳の匂いを感じとれるのは“運命の番”だからであって、今まで出会ったαには一度も匂いを指摘されたことはない。さらに今は抑制剤を飲んでいるのだから、フェロモンはほとんどでていないはずだ。


 千歳は確信した。やはり累は千歳が“運命の番”であることまでは気が付いていないと。それならば、絶対にばれないようにしなければならない。

 千歳は必死に言い訳を考える。


「さっき言った通り、僕は“ほとんどβ”だから、Ωのフェロモンはすごく弱いんだよ。だから、普通のαじゃ感じ取れないみたい。佐久間くんは上位種なんだよね? だから気づいただけじゃないかな」


 累はまだ納得のいかない様子で、うーんと首をひねっている。

 正直、千歳はこれ以上累と二人っきりでいたくないし、助けてもらっておいて申し訳ないが、今すぐこの家から出て行って欲しい。でも、累は全く引く様子がない。


「千歳さんの言う通り、俺は上位種のαだから、確かにΩのフェロモンを感じ取る力は強いよ。でも、逆に強すぎて、Ωの匂いを受け付けないんだ」

「どういうこと?」

「デパートの香水売り場みたいな……普通のΩは匂いがきつすぎて、興奮するどころか、気分が悪くなる。だからすごい苦手で……。そのおかげでフェロモンレイプとかは一切効かないから、まぁいいこともあるんだけど。とにかく、Ωのフェロモンをこんなにいい匂いだって感じたのは千歳さんが初めてなんだよ」


 そう言って累はずいっと千歳に顔を寄せ、嬉しそうな表情でその匂いを嗅いでくる。そりゃ運命だからね、っと思いながら、一歩下がって累からまた距離をとった。


「だから、それは僕のフェロモンが弱いってだけだよ。わかってないみたいだから言っておくけど、僕は今、正確に言うとΩでもβでもないの。このままΩ因子が消えればβに確定するし、Ω因子が増えれば、Ωになる。Ωになったら、きっとフェロモンも増えるから、きみの苦手な“普通のΩ”になるよ」

「でも、今も抑制剤飲んでるし、それでもわかるくらいなんだからそこまで弱いってこともないと思うんだけど」


 少し落ち着きかけていた千歳の心臓がまたドキッと大きな音を立てた。

 Ωフェロモンが苦手な累は常に抑制剤を服用していると言う。αの抑制剤は、Ωのフェロモンが感知しづらくなるもので、それによってΩのフェロモンによる発情が起こらないよう抑える効果がある。そうなると、累の言う通り、“弱いフェロモン”ならばそもそも感知すらしないはずなのだ。

 千歳は何とかつじつまを合わせようと必死で考えるが、全然思いつかない。焦った挙句、力業で押し切ることにした。

 千歳は、自分のことを結構賢いほうだと思っていた。これまでの定期テストだっていつも学年で五番以内には入っている。そんな自信が一気になくなりそうなくらい焦りで頭が回っていない。


「とにかく、僕はΩになるつもりはないの。βとして生きていきたいんだ。だから、僕には関わらないでほしい。きみみたいな強いαが近くにいたら、僕のΩ因子が増えちゃうんだよ」

「なるほど、だからさっきからやけに俺と距離を取ろうとしてるんだ」


 どうやら、千歳の不自然な態度はとっくに累にばれていたらしい。それならもう、開き直るしかない。


「そうだよ。だからもう僕には近づかないで」


 そう言ってまた千歳は累と距離をとるために一歩後ろに下がる。でも、この家はそう広くない。すぐに背中が壁についてしまう。

 これ以上の逃げ場をなくした千歳を見て、累はそのきれいな形をした唇の端を上げる。そして、あっという間に距離を詰めると、千歳を閉じ込めるように壁に両手をついた。


「その口ぶりだと、αの恋人がいるっていうわけでもないんだよね?」

「はぁ? 話聞いてた? 僕はΩにはなりたくないの。それなのにαの恋人なんているわけないでしょ」

「ふーん。でも、俺は千歳さんのこと気に入っちゃった。こんないい匂いの人なら番になってもいいかも」


 千歳は累のあまりに上から目線なもの言いに唖然とした。

 累は上位種のαだ。「番にしてほしい」と懇願するΩはたくさんいるだろう。それに、αはΩと違って、何人でも番が作れる。だから、きっと本人も自分は“選ぶ側の人間”だと無意識に思っているのだ。

 その上での発言だということはわかる。でも、さっきから千歳は「Ωにはなりたくない」とはっきりと言っているし、「関わるな」とも言った。

 ――それなのに、「番になってもいい」だと?! 千歳の中にふつふつと怒りが湧き上がってくる。


「千歳さん?」


 累はきょとんとした顔で千歳を覗き込む。挙句の果てに千歳の顎をくいっと掴み、顔を近付けてくるではないか。

 その瞬間、千歳の中で何かがブチっとキレる音がして、気づいた時には思いっきり累の右頬を叩いていた。

 『バチンッ』と大きな音が部屋の中に鳴り響き、その衝撃で累が床に尻もちをついた。本当に驚いたという様子で、きれいな二重が描かれたヘーゼルの瞳を最大限に丸めている。


「僕はさっきからΩになるつもりはないって言ってるし、関わらないでくれとも言ったよね。それなのに番?! はぁ?! 日本語わかんないの?! わからないならもう一回言うけど、僕はΩにはならない。つまり番になんて絶対にならない。わかったら金輪際、僕に関わらないで!」


 そう言って、千歳は呆然としている累の腕を引いて玄関から外に追い出し、あとからカバンと靴を思いっきり投げつけてやった。

 “選ぶ側の人間”である累は、他人にこんな扱いを受けたことなど一度もなく、状況を処理できずにいるのだろう。外に放り出されたあともしばらくその場で呆けていた。


「はっ…あはははは。最高!」


 家の中にいても聞こえるほど大きくてあまりにも楽しそうな笑い声に、千歳は思わず両手で顔を覆ったまま天を仰いだ。


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