34. 覚悟と答え
湊の言葉に千歳は答えないまま立ちすくんでいた。
どれだけそうしていたのか。雲に隠れた夕日はそのまま沈んでいき、あたりはもう暗くなり始めていた。そのせいで千歳の表情はよくわからない。でも、喜んではいないことだけはわかる。
――覚悟をしていたとはいえ、やはりきついな。
これから聞こうとしている答えそのもののような重い沈黙が、容赦なく湊の胸を抉る。
こんな風に千歳を追い詰めているのは、ただのエゴだとわかっている。でも、この曖昧な関係を続けることは、もうできないのだ。だから、どうしても千歳からの答えが欲しかった。
それでもまさかこんなにも、胸が苦しくなるなんて――。全く覚悟が足りていなかった。
「……僕は」
絞り出したかのような、か細い声だった。きっと、考えに考えて、ようやく声に出そうとして、それでもまだ迷っている。その優しさが愛おしくて、悲しい。
「うん」
湊は、ただ、うなずくことしかできなかった。
「僕は、守ってほしいなんて、思ってないんだよ……」
その言葉にはっとした。
千歳の二次性のことを知って、好きだと自覚して、それから累と張り合うように、湊はそれまで対等だった友人を、守るべき存在にしてしまった。自分のΩを守るのはαとして当たり前だからと、勝手に決めつけていたのだ。
Ωになりたくない千歳が、そんなこと望んでないことくらいわかっていたのに。
「今回のことだって、僕だけ蚊帳の外で、何も教えてもらえなくて……。悲しかったし、ムカついた。僕だって、できることがあるはずなのにって。そういう自分は湊に頼りきってたくせにね。ほんと自分勝手すぎて、嫌になる」
くしゃりと顔をゆがめた千歳の声は震えていた。その苦しそうな姿に、湊はたまらなくなって衝動的に一歩前に出る。そして、伸ばしかけた手を途中で止めた。
つらそうに胸元をぎゅっとつかむ千歳の震える肩を抱きしめてやりたい。でも、きっとそれが許される日は来ないのだ。
「ごめんね湊、甘えてばっかりで。本当に、ごめん。でも僕は、湊の気持ちには応えられない」
こぼれ落ちた涙が、最後に一瞬だけ顔を出した太陽の光を受けてきらめき、夜の闇に消えていく。その光の粒を見送りながら、湊は自分を納得させるようにゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。
「俺じゃ、ダメなんだな?」
「……うん」
湊の静かな問いかけに、千歳は視線を下げたままこくりとうなずいた。
手を伸ばせばすぐに届くほど近くにいるのに、千歳の香りは湊には届いてこない。それが一番の答えのような気がした。
「そうか」
湊は、まるで自分の心に言い聞かせるように、もう一度、呟いた。
「ごめん」
「謝るな。……千歳は、佐久間のことが好きなんだな?」
「そ、それは…」
あからさまに動揺する千歳を見て、湊はふっと柔らかく笑みをこぼした。
ひどいことを言ったのに、湊はまだ千歳に優しい顔を向けてくれる。その優しさに、また涙があふれてくる。自分が泣くのはずるいとわかっているのに、止められない。
あふれ出してくる涙を拭っていると、その動きを止めるように湊に腕をつかまれた。
「そんなにこすったら赤くなるぞ。きれいな顔が台無しだ」
目の前にいるのは、優しくて頼りになる、恋人にしたら誰もがうらやむようなαだ。それでも千歳は、湊と”恋人になる”ということが全く想像できなかった。
湊の隣に立つなら千歳は”対等な友人”でいたかった。
もし、自分が普通のβだったら、その願いは叶えられたのだろうか。そう思うと悔しくて、涙がまたあふれてくる。それをぬぐってくれたのは、湊の大きな手だった。ひんやりとした指先が、千歳の目元をそっとなぞる。いつも甘えさせてくれた、優しい手だ。
「泣き止まないと、抱きしめるぞ?」
「っ?!」
少し意地悪にそう言った湊の顔は、街灯の光からちょうど陰になりよく見えない。
でも、わずかに強張った指先から、千歳のために明るく振舞ってくれているのだと気づいてしまった。
これ以上、この優しい人に気を遣わせたくない。千歳は、つかまれていないほうの手でもう一度涙を拭い、ぐっと眉間に力を入れて今度こそ涙を止めた。
その様子を見て、湊は千歳の腕をつかんでいた手を離すと、ポケットに両手を押し込んだ。
「当分は気まずいと思うけどさ、学校ではこれまで通りでいさせてくれ」
「えっ、う、うん。湊がいいなら」
確かに、突然湊と話さなくなればまたクラスの視線を浴びることになるだろう。ましてや、学校にパトカーが来ていたことはきっと他の生徒も気づいている。「何かあった」と邪推されることほど鬱陶しいことはない。
お互いのためにそうしたほうがいいのはわかる。でも、千歳にとって都合がよすぎるのではないだろうか。湊を窺い見るが、その表情は読めない。
「あぁ、そうしてほしい。あと、できれば送り迎えもしたいけど、千歳が嫌ならこのまま所沢に頼む」
「えぇ?! い、いらないよ! もう、いろいろ解決したし!」
「いや、まだ何があるかわからないから、佐久間が戻るまでは一人にならないほうがいい」
「……そんな、でも、申し訳なさすぎる……」
「千歳がそんな風に思う必要はない。結局は全部、俺のためだ」
――そう、こんな風にきっぱりと振られても、簡単に諦められない、自分のためだ。
困ったように眉を下げる千歳の髪に手を伸ばし、そっと一撫でする。これで千歳に触れるのは最後だと自分に言い聞かせて。
その後、千歳が家の中へ入るのを見届けてから、湊は自転車にまたがって自宅へと向かった。
頬に当たる風は冷たく、街灯のオレンジ色の光が滲んで線になり、いつまでも続いていくように見えた。




