28. その頃αたちは
千歳が優に連れ出された後、校長室はまるで別の空間になったかのように雰囲気を一変させていていた。それまで千歳に向けていた穏やかさを消した三人から漏れ出すαの威圧に校長はただ汗を拭うことしかできないでいる。
校長もαのはずだが、三人とは『格』がまるで違う。湊は少しだけ校長を気の毒に思ったが、一応はこの学校の責任者なのだ。勝手にここから出ていくわけにもいかないのだろう。
「湊さんが千歳さんを連れていかれるのを黙って見てるとは思わなかったな」
「それはお前もだろ」
立ったままでいた湊はドカッとソファへと座ると、無造作に足を組んだ。
正面に座る累は深くソファに腰を掛け、いかにも余裕そうに見える。でも、千歳がいた時、ほとんど会話に入ってこなかった。千歳が優里恵をあからさまに気にしていたにもかかわらず、だ。
それほど、千歳には話せない、もしくは、聞かせたくない何かがあるのだろう。
「で、所沢のお嬢様がわざわざこの学校まで来た本当の理由は何だ?」
二人が湊もここに残ることを許したということは、それが湊にも関係することなのか、何かやらせたいことがあるかのどちらかなのだろう。もしかしたら、そのどちらともかもしれない。
無駄な腹の探り合いをして時間を浪費するより、さっさと終わらせたい。
本当は千歳を連れていかれたことだって腹に据えかねているのだ。
「そう怖い顔しないでほしいわ。全く、七海さんの横ではあんなに騎士然としてたのに」
「なんでお前らにいい顔する必要がある」
「佐久間と所沢に向ってそんなことを言えるのは、きっとあなたくらいね」
佐久間も所沢もαの世界でトップクラスに君臨する家柄だ。一方、田辺は古くから連なる名家だということもあり、一目を置かれてはいるが影響力はそれほどない。逆に言えば、αのコミュニティで何かあっても大きな影響は受けないのだ。それが、家の中でほとんど重要視されていない湊であれば余計に。
だからこそ、このトップクラスのα二人を前にしても対等の立場を貫ける。それが今の湊の強みだ。
「御託はいいから、さっさと話を進めろ」
「いやね、せっかちな男は嫌われるわよ。まぁいいわ。さっき話した通り、七海さんはあなたたちのせいでαのコミュニティから目を付けられてしまった。もしかしたら彼を取り込もうと接触してくる家があるかもしれない」
湊は相づちも打たず、優里恵の話を黙って聞いていた。
αの家はどこも佐久間と縁付きたい。その跡取りである累の選んだ相手が、言い方は悪いが”庶民”だとわかれば、どうにか取り込めないかと考えるところが絶対に出てくる。
でも、その程度のことなら、累が「手を出すな」と一言言えばすぐに黙らせられるだろう。なんなら、湊でもなんとかできるレベルの話だ。それを優里恵がわからないはずはない。
これはおそらく、試されているのだろうと湊は思った。本題を話してもよい相手なのかどうかを見定められているのだ。
何をいまさら、と思う。もし、ここで蚊帳の外に置かれても、自分で調べるだけの話だ。
「余計な話を続けるなら、俺は出ていく」
じろりと睨んでやれば、優里恵は肩をすくめ、累に「どうするの?」と言わんばかりの顔を向けた。
「いい。俺から話す。校長先生、すみませんが内密の話をしたいので席を外していただけますか?」
有無を言わさない累の言葉に、待ってましたとばかりにそそくさと部屋を出る校長の背を見送る。若干、この学校の行く末を心配しながらも、視線を戻せば、累は息をついた後、少し悔しそうな顔をしていた。
その表情に、湊の不安は募る。累がそんな顔をしてまで話さないといけないほど、千歳に危険がある――? 湊は構えるように少しだけ居住まいを正した。
「俺と優里恵が婚約を解消した理由は知ってる?」
「噂程度の話なら」
当時、累と優里恵の婚約解消はαコミュニティで大きな話題になった。
普通であれば、家同士の繋がりで結ばれた婚約が解消されることはありえない。αの家系同士で婚姻を結び、優秀なαの血を継いでいく。それが、αの家の使命であるとすら考えられているからだ。
そんなもの、自らを選ばれたものだと盲目に信じる、αの傲慢な思い込みでしかないと湊は思っているが。
でも、そんな傲慢な思い込みを超えるものがたった一つだけある。
それが『運命の番』だ。
その理由もまた、湊としては気分のいい話ではない。
運命の番と子をなせば、確実にαが生まれる。ただそれだけ。
それだけのために、αの家では幼いころから必ず言われて育つのだ。運命の番を見つけたら、決して逃がすな、と。
そして、優里恵はその『運命の番』を見つけたと噂で耳にしていた。そうでもなければ佐久間と婚約解消などできないだろう。
「じゃー俺の膝の話は?」
「馬鹿なαが佐久間の嫡男をケガさせて、一家離散したってやつ?」
「そうそう。でも、この話と婚約解消の話がつながってるっていうのはさすがに知らないよね」
いぶかし気に眉をぐっと寄せた湊を見ながら、累は内心、悔しさを募らせていた。
自分のせいで千歳を危険な目に合わせかねないこと。そして、その考えに至らず、浮かれていたこと。なんて、情けない。目の前にいる湊ならば、もう少しうまく対処したかもしれないと思うと、余計に腹が立つ。
でも、立ち止まっている暇はない。千歳を守るためなら、できることは何でもする。
だって、もしかしたら千歳は――。
累は重い口を無理やり動かし、話し始めた。
それはもう忘れかけていたはずだった過去に残したしこりだ。




