26. 運命は拡散される
「それで、何かあったんでしょうか?」
「あぁ、心配しないで。七海くんに問題があるわけじゃないから」
校長の話はさっき湊から聞いた通り、文化祭で累のクラスが上演した劇の動画がSNS上で拡散されているというものだった。
しかもその動画と言うのが、ちょうど累が千歳に跪き、手を取った場面なのだという。
「えっ、もしかして僕たちの顔が出ちゃってるってことですか……?」
「あなたはほとんど後姿だから顔は出てないわ。でも、見る人が見ればわかるわね」
優里恵が「ほら」と見せてくれた動画は千歳の背後から撮影されたものらしく、確かに千歳の顔はほとんど映っていない。でも、膝をついて千歳の手を取る累の顔はばっちり丸見え。おまけに、累の良く通る声もしっかりと録音されていた。
動画には『王子様すぎる』なんてハートが飛び交うテロップが付けられ、コメント欄は大盛り上がり。投稿者の興奮がありありと伝わってくる。
なんてことだ――。千歳は思わず頭を抱える。
撮影などは禁止と言われていたが、あれだけの人がいたのだ。守らない人はどうしても出てしまう。その上、SNSに上げるなんて。SNSは基本的に見る専門の千歳にはどうしてもわからない心理だ。
そして、拡散された動画はあっという間に詳細を特定され、それを見た人たちが累を一目見ようと校門に集まってしまったらしい。
「こんなのどうしたら……」
「すでに動画を投稿した生徒には厳重注意をした。一定時間たつと消えるものだから、大丈夫だろうと思っていたそうだ。拡散した分も削除依頼をしているが……こういうのはいたちごっこだろうね」
校長の言う通り、投稿者のアカウントではすでに消えているのに、誰かが保存したものをまた投稿し、どんどん拡散されてしまうというのはよくあるパターンだ。
動画に千歳の顔は映っていないとはいえ、同じ学校の人には知られているし、累と一緒にいるところを見られたらすぐに相手が千歳であることはばれてしまうだろう。そうなれば、好奇の目にさらされるのは間違いない。
これはもう、ほとぼりが冷めるまで累とは別行動をするしかないのでは、と思ったのだが、千歳はこの時ようやく、この部屋の違和感に気が付いた。
――なんで、この人はここにいるの?
優里恵は他校生だ。動画の拡散について何か言いたいことがあるなら、わざわざ千歳たちの学校へ来ずとも、累に直接言えばいい。――実際、こんなに親しそうなのだから。
いぶかしげに優里恵を見ると、今度はやわらかくにっこりと笑い返された。さっきまでの雰囲気と違いすぎて、少し拍子抜けしてしまう。
改めて優里恵を見てみれば、背に流された黒髪は波打つようにつややかで、長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は、目じりが少しだけ釣り合がり、より意志の強さを感じる。筋の通った小ぶりな鼻の下にある唇は、ぽってりと厚く、色っぽい。さすがαといったところか。恐ろしさを感じるほど、迫力のある美人だ。
庶民の千歳からしてみれば”婚約者”という存在自体が異次元だが、αの家にはよくあることなのかもしれないから、それはいいとして。”元”というからには、今この二人の婚約は解消された状態にあるということだ。
こんな美人と、なんで? つい、疑問が浮かぶ。だって、仲もよさそうだし――。
千歳は自分でも気づかないうちにむくれた顔になっていた。そんな千歳を優里恵は相変わらずにこにこしながら見ている。少しむきになった千歳は思い切って気になっていることをそのまま尋ねることにした。
「動画の件はわかりました。それで、なぜ所沢さんはここに?」
少しとげのある声になってしまった。でも、顔だけは笑顔を作れているはず。
「あっ、そうね。七海さんがかわいくて、つい」
「おいっ! 気安く見るな!」
「それじゃあ、本題に入るわね」
「無視すんなよ! クソッ」
途中で悪態をついたのは累だ。千歳もなにか言われたような気がしたが、そこは聞こえなかったことにする。そんなものより『本題』の方が大切だ。
朗らかな笑顔から一気に真面目な顔へと変わった優里恵を見て、千歳も背筋を伸ばしてソファに座りなおした。
「今回の動画について、別に累の顔が流出したのは大した問題じゃないわ。生意気にもモデルなんかやってるくらいだもの。もともと探そうと思えばいくらでも出てくるし」
「……なんか、ちょいちょいむかつくな」
累の言葉は無視して、千歳はうなずく。別に『累』って呼んでるんですね、なんて思ったりもしていない。
「問題は、佐久間 累が跪く相手がいるということよ」
よくわからず千歳は首をかしげる。でも、湊は察しがついたのか、頭上から「そういうことか…」とつぶやく声が聞こえた。
「七海さんは累の家のこと、どう聞いてる?」
「えっ。ど、どうって……別に何も……」
さぞ立派な家なのだろうと想像はしているが、それ以上は何も知らない。正しくは、知ろうとしていない、だが。だって、関わる気もなかったし、これからもない――、つもりだ。
それでも口ごもってしまった千歳の代わりに、話を進めてくれたのは湊だった。頼りになりすぎて、困る。
「そいつの家のことは千歳には関係ない。千歳を巻き込むな」
「わかってるわ。でも、あなただって無関係じゃないのよ?」
そう言いながら優里恵はスマホを取り出すと、先ほどの動画を再生し始めた。彼女が指をさした画面の隅には、千歳の横に立つ湊の姿がある。画像は薄暗いが、眉を顰める湊の顔がしっかりと映っていた。
「あの佐久間の嫡男が跪いている上に、田辺の三男までそばにいるなんて、αのコミュニティで話題にならないはずがないわ」
「……俺の顔はほとんど知られてないはずだ」
「あら、それならなぜ私はあなたを知ってるのかしら」
湊が言葉を詰まらせる。ちょっと待って、やっぱり湊もすごいおうちのαなの……? 千歳は場違い感に震え、今にも部屋を出ていきたい衝動に駆られる。救いを求めるように、さっきから完全に話の進行を優里恵に任せている校長をちらりと見てみるが、空気のように存在感を消し、こそこそと脂汗をぬぐっていた。
全く頼りになりそうにない。そうこうしているうちに、話はあらぬ方向へと進んでいく。
「つまり、七海さんが今、あなたたち二人と一緒にいるのはあまりよくないのよ。と、いうことで。事態が収まるまで、七海さんの送迎は所沢が引き受けるわね」
「へ?」
「「はぁ?」」
優里恵の言葉に驚いた三人の声が重なったちょうどその時、ノックの音が部屋に響いた。
「どうぞ、入って」
許可したのはもちろん優里恵。この部屋の主は、空気のままだ。
「来たよ~。もう、姉さんはいっつも唐突なんだから」
入ってきたのは、累の同級生であり、バスケットボール部のチームメイトでもある、所沢 優だった。




