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23. 変わりゆく……

 それは本当に一瞬の出来事だった。


 千歳が一歩分だけ離れた、その一瞬。たったそれだけで、千歳はあっという間に人波に飲み込まれた。

 累と湊の間に挟まるように歩いていた千歳が前に出た時、二人は咄嗟に千歳に向かって手を伸ばしていた。それなのに、二つの手はその腕を掴む前に、寸前で動きを止めてしまった。


「千歳!!」

「千歳さん!」


 行く先を失った手を空に浮かせたまま、張り上げた二人の声は喧騒に吸い込まれ、むなしく消えていった。



 千歳の二次性のことを知ってから、累も湊も千歳に触れないように気を付けてきた。だから、躊躇ってしまったのだ。千歳の腕を掴むことを。


 もちろん触れたい。風にさらりとなびく髪を掬い、白く滑らかな頬を撫で、そして、この胸に閉じ込めるように抱きしめて――、千歳の”匂い”に思う存分溺れてみたい。

 でも、上位種のαである自分たちの行動が、千歳の二次性にどのような影響を与えるかわからない。だから、無理にその一線を越え、千歳を怯えさせることだけはしたくなかった。そばにいることを許してくれるだけでも重畳だ。

 なんて、それっぽいことを言ってみても、要は千歳に嫌われたくないのだ。そんな自分本位な気持ちよりも、千歳を守ることのほうがずっと大切なのに。


 二人が走り出したのは同時だった。


 人波にのまれてしまったのだから、この先にいることは間違いない。人をかき分け、強引に進んでいく。申し訳ないが、ぶつかる他の人を気にかけている余裕はない。累と湊は着つけてもらった浴衣が乱れるのも構わず、汗だくになりながら千歳を探した。


 少しだけ人の隙間を見つけ、立ち止まった。スマホはさっき湊が確認したが、人が多すぎるせいか、つながらない。

 こんなに人がたくさんいるのに、求めてやまないたった一人の人はその中にはいないと思うと、焦りばかりが募る。

 もし、このまま見つからなかったら――、弱い心に押され、下を向きかけたその時、唐突に累は顔を上げた。ふと、以前嗅いだ千歳の匂いを感じた気がしたのだ。どこだ――? 神経を研ぎ澄ませ、あたりを見回す。


「あっちだ」

「えっ?! おい!」


 唐突にまた走り出した累を湊は慌てて追いかける。多分、湊にはわからない何かを感じ取ったのだろう。これが”運命”ってやつなのか―? 目には見えない二人の繋がりに、つい奥歯を噛みしめる。何もできない自分が惨めで仕方がない。でも、今はそれに縋ることしかできないのだ。


 累についていった先に見えたのは、男たちに囲まれ、うつむく千歳の姿だった。


「「触るな!!」」


 千歳に向かって伸ばされた手を見た瞬間、全身の血が沸騰したかのように怒りで体が熱くなり、気が付けば二人そろって千歳を抱き抱えていた。


 二人の声に男たちは顔を青ざめさせ、あっという間にその場から立ち去って行った。完全に気配が消えたのを確認すると、二人はようやく腕の中にいた千歳に声をかけた。


「千歳さん! 大丈夫?!」

「何もされてないか?!」


 でも、なぜか千歳はぼんやりとしている。何かあったのか、と二人して顔を覗き込むと、千歳は思わず漏れてしまったというような小さな声でぽつりとつぶやいた。


「……なんか、”匂い”する」


 その言葉に、累と湊ははっとした。

 千歳に知らない男が触れようとしているのを見て、無意識のうちにαのフェロモンを放ってしまっていたのだ。

 αのフェロモンはΩに発情を促す作用がある一方、相手に敵意をもって発する場合は威嚇行為になる。

 千歳に絡んでいた男たちはβの様だったが、もし相手がαだったら腰を抜かしていただろう。それほど上位種のαである二人のフェロモンは強い。それこそ千歳の二次性には確実に影響を与えてしまうほどに。


 ――離れないと!!


 それなのに、二人の腕を引き留めたのは千歳だった。


「いい匂い」


 千歳は二人の腕をきゅっと掴むと、とろんとした瞳でうっとりと頬を摺り寄せたのだ。

 自分たちの腕を離すまいとする細い指に、二人は思わず天を仰ぐ。その可愛らしさと言ったらない。


 その時、ドーンとまだ少し明るい空に空砲の音が響いた。もう少しで花火大会が始まるという合図だ。

 その大きな音でようやく千歳は我に返った。


 ――僕、今何しました……?


 視線の先には、自分に回された二人分のたくましい腕。それを離すまいと、千歳は腕でしっかりと抱きかかえている。上を見上げれば、心配そうな顔で累と湊が千歳を見下ろしていた。


「わ~~~~!!!!」


 じたばたと、二人の腕を抜け出そうともがく。二人はすぐに腕の中から出してはくれたが、今度はぎゅっと手を握られた。


「ちょ、ちょっと離し、」

「またはぐれたらどうするの」

「せめて、席に着くまでこうさせてくれ」


 千歳をうかがいみる二人は、きれいに着付けてもらった浴衣は乱れてしまい、額には汗がにじんでいる。千歳を探して、走り回らせてしまったのだろう。

 心配をかけてしまったのは分かる。でも両側から手を繋がれるのは相当に恥ずかしい。

 現に、周囲からチラチラと視線を感じるのだ。今すれ違った女子なんて、少し頬を赤くしながら、隣にいた友人に「ねぇ、あれ」と声をかけていた。「どういう関係なのかな?!」なんて邪推しないでほしい。ただの友人です――!と心の中でつい大きく叫んだ。


 でも、確かにまたはぐれるのも困る。


「え~~~、う~~~ん」


 千歳は悩んだ末、絶対に離さないという約束の元、二人のゆかたの袖をつかませてもらうことにした。


「すっごく、不安」

「本当に」

「離さないって!」


 二人は不満そうだが、千歳としてはこれが最大限の譲歩だ。「もし離したら、腰に紐まくからな?」なんて、冗談か本気かわからない声で湊に言われては、千歳だって意地でも離すわけにはいかない。

 二人の文句は聞き流し、屋台で色々見繕い、観覧席へと急ぐ。焼きそばに、たこ焼き、フライドポテトにかき氷、そんなにいらない、と言うのに、観覧席に着いた頃には、累も湊も買い込んだ食べ物で、両手がいっぱいになっていた。


 観覧席は河原の土手に線で区切られたブルーシートが張られたものだった。累に連れられ、案内されたのは最前列のど真ん中。目の前にはちょうど花火の打ち上げ台が見える。

 ――これ、もしかしてめちゃくちゃいい席なのでは?


「ねぇ、ここって有料なんじゃ……」


 恐る恐る聞いた千歳に、累は平然と答えた。


「あぁ、協賛席だから大丈夫。うちの親が協賛出してるから毎年チケットくんの」


 大丈夫ではない気がするが、多分突っ込んではいけない。千歳は、「そっか、ありがとう」とだけ言って、ブルーシートに座らせてもらった。だって、手に持ったかき氷が溶けそうだったから仕方がない。


 千歳たちが座ると、見計らったように、花火大会が始まることを知らせるアナウンスが流れ始めた。薄暗くなった会場は一気に高揚した雰囲気に包まれる。ひんやりとしたかき氷の冷たさで熱をごまかしながら、千歳はぼそりとつぶやいた。


「さっきは、ごめんね。ありがと」


 助けてもらったのに、お礼も言えてなかった。こういう時、照れてしまって二人の顔が見れない自分が少し嫌になる。でも、絶対に今顔が赤くなっているから――無理だ。

 それに、二人なら多分、許してくれる。そんな甘えもある。

 案の定、両隣からは千歳を甘やかすような優しい声が聞こえた。


「うん、千歳さんが無事でよかった」

「あぁ、見つかってよかった」


 今までならそれだけで終わっていた。でも、今日は違った。二つの手が千歳に伸びてきて、そっと髪に触れたのだ。

 先を掬うだけの、ほんの少しの動き。たったそれだけで、千歳の心臓は大きな音を立てた。ちょうど、目の前で大きく花開いた花火の音のように。


 千歳はすっかりと暗くなった空を見上げた。

 空に咲く大輪の花だけが夜を照らし、そして消えていく。


 さっき感じた、千歳を守るように包んでくれた、心地よい二つの”匂い”。あれは多分、二人のフェロモンだ。

 ”運命”である累はまだしも、湊の匂いまで感じるようになったということは、おそらく千歳のΩ因子は増えてしまっているのだろう。


 動いていなくてもじんわりと汗をかくほど、まだ暑さは残っているというのに、花火の音に混じって虫の鳴く声が聞こえた。千歳を取り残すように、季節は進んでいく。


 そっと、両隣を見る。二人とも千歳の視線には気づかず、花火を見上げていた。


 ずっとこのままではいられない。でも、今はまだ、優しくてあいまいな、この温もりの中にいさせて――。


 千歳は膝を抱えた腕に、少しだけ力を込めた。


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