22. 花火大会でのこと
「たまたまだって」
相変わらずけらけらと笑う累をじっとりと睨みながら、千歳はタイミングがよすぎる土屋さんの登場について問いただしていた。
「土屋さんに浴衣用意してもらってる時間に合わせて、俺が千歳さんに話しただけだって」
「それでもあんなにタイミングいいことある?」
「あったね」
大体、千歳が断る可能性は考えなかったのか。
そう聞いたら、にっこりと笑ってごまかされた。これ以上聞いても、多分千歳が望むような言葉は返ってこないだろう。
累の手の上で転がされているような気がしてしゃくにさわるが、せっかく浴衣まで用意してもらったのだから、もう楽しんでしまおう。そう、頭を切り替えることにした。
土屋さんが用意してくれた浴衣は、サイズはもちろん、柄も、揃えの小物も、それぞれに合わせて作られたかのようにぴったりの代物だった。
累の浴衣は黒地に細かい雨のような縞模様が入ったもの。少し灰色がかった白い帯が全体を引き締め、色素の薄い累に良く似合う。
湊に用意されたのは、藍をベースに濃紺や白の縦縞が入った浴衣だ。帯は累と同じく白。その涼やかな色合いが湊のシャープな印象を引き立てている。
そして、千歳が着せられたのは濃い色合いの二人に対して、柄のない、生成りの浴衣だった。細かな凹凸のある生地は柄がなくとも十分な風合いがあり、シンプルながらも着る人を選ぶ一着だ。
「わぁ! めっちゃいい!! すごい似合ってる!」
「あぁ。本当に似合うな」
二人の感想に「そんなこと……」と、そっけなく答えながらも、黒と藍が絡み合うような模様の入った帯を締めた姿は、なかなか様になっているのではないかと、千歳は心の中で少し得意な気持ちになった。
三人そろって浴衣に着替え、千歳の家を出たのは17時前。
日は少し傾いているが、まだじっとりとした暑さが肌にまとわりつく。浴衣と一緒に用意された金魚の描かれた扇子からは生ぬるい風しか届かないが、カラコロと鳴る三人分の下駄の音が耳に心地よい。千歳は少しだけ心を弾ませながら、歩き慣れた道を進んだ。
「やっぱり人多いね~」
「結構混むな。千歳、はぐれないように気を付けて」
「もう、子供じゃないんだから」
会場に近づくにつれ人が増え、屋台が並ぶエリアは道を埋め尽くすかのような人ごみだ。ぶつからないようにするには三人で並んで歩くのも難しい。確かにはぐれてしまうと、見つけるのは大変そうだ。
「観覧席たどり着くまでが大変そう……」
「千歳だけ先に席まで送って行ってから、何か買ってくるか?」
「うん、それがいいね。千歳さん、何が食べたい?」
「えっいいよ、僕も並ぶって」
「「危ないからダメ」」
最近、なぜだかわからないが、二人はさらに千歳に対して過保護になった。夜に一人で家を出るなんてもってのほか。昼間でもコンビニに一人で行くことすら「ダメだ」と言われる始末だ。
αはΩに対して庇護欲が強い。それは本能なのだから仕方がないところはある。でも、そもそも千歳は「Ω」ではないから、守られる謂れはない。だからもちろん、二人の目がないときは勝手にしている。
「βの男に、何が危ないっていうの」
むくれた気持ちのまま二人に背を向ける。それはほんの一瞬だった。千歳としてはたった一歩前に出ただけ。それだけで千歳はあっという間に人波にのまれてしまった。
どんどんと後ろからくる人たちに押され、止まることも戻ることもできない。何とか人の流れから抜け出した時には、もう自分がどこにいるのか千歳は分からなくなっていた。
「マジか……」
思わず一人で呟く。慌ててスマホから湊に電話をかけたが、人が多すぎるのか、電波が悪くてつながらない。――詰んだ。せめて、自分の居場所でもわかればと思ったが、前に見えるのは人ごみだけだ。あの中に戻っても、とても二人に会えるとは思えない。
こういう時は、その場から動かないのが鉄則。千歳は道の端に寄り、周囲を見回した。人ごみの中に二人が見えないかと思ったのだが、そう簡単にいくわけもない。
道を行く人々は、それぞれ家族や友人、恋人と楽しそうに笑い合いながら、千歳の前を通り過ぎていく。
その中で千歳だけたった一人ぼっちで立ちすくんでいる。それがすごく心細くなって、千歳は思わず視線を下げた。
「あっ、いた」
目の前からした声にふと顔を上げる。一瞬、累か、湊か、と思ったのだが、すぐに「人違いだ」と思い直した。そもそも声が違う。
千歳は目の前にいた男たちから、もう一度地面に視線を戻す。でも、残念ながらその声は千歳にかけられたもので間違いなかったらしい。
「『いた』ってお前、全然知らない子じゃんか」
「悪い悪い。でもさーお兄さんめっちゃ美人だね。一人でどうしたの~?」
「もしかして、お友達とはぐれちゃった?」
「え~大変。一緒に探してあげよっか?」
ゲラゲラと下品な笑い声をあげる男たちに、千歳は視線を上げないまま無視を貫く。でも、いつの間にか千歳の視界に男たちの足元が入るくらいまで近づかれてしまっていた。
男たちは多分三人、千歳を囲むようにして並んでいるようだ。――めんどくさ。千歳は心の中で舌を打った。
こんなふうに男に声をかけられるのは初めてではない。βの男に話しかけて何が楽しいのか、と毎度思うが、たいてい無視をしていれば相手は諦めていなくなる。
でも、今目の前にいる男たちはなかなか諦めない。まだ千歳に向かって何かしら話しかけてくる。お酒の臭いがするから、もしかしたら酔っぱらってるのかもしれない。
「お~い、無視すんなって」
「こっち向けよ」
焦れ始めた男たちの声がどんどん荒くなっていく。
「いい加減にしろよ」
一人の男の手が千歳に向かって伸びてくる。いよいよまずい、そう思った時だった。
「「触るな!!」」
聞きなれた声と共に、千歳は二つの腕の中に抱き込まれていた。
「な、なんだよ、連れがいんのかよ」
「じゃあ、そう言えよな」
「おい、もう行くぞ」
男たちは、さっきの粘着質な態度は何だったのかと思うほど、あっという間に去って行った。
突然のことに目を白黒させながら、ふと千歳は気づいた。――なんか、いい匂いがする。
いつか嗅いだことのある、みずみずしくて爽やかな香り。そして、もう一つ。初めて嗅いだ、穏やかな甘い香り。その違う二つの香りが、千歳を守るように包み込んでくれる。「もう大丈夫だ」と強く思わせてくれる香りに、千歳はほっと胸をなでおろした。




