16. 運命は「わからない」
「それで、マーキングが千歳くんの二次性にどう影響したかなんだけど」
今日の本題に、診察室内には一気に緊張が走った。千歳も思わずゴクリと息を飲む。
やっぱり「関係ない」という答えを聞きたいのだ。祈るような気持ちで、言葉の続きを待つ。
「千歳くんのΩ因子は、二次性が発現する12~13歳をピークに減少傾向にあったんだ。それが、高校生になってからピタリと止まってる。この二年間は目立った増減はなく、ずっと横ばいの状態だね。
僕はマーキングがΩ因子を増加させる可能性は高いと考えてる。でも、千歳くんの場合、そうはなっていない。ただ、それまで減り続けていたΩ因子が、マーキングを始めた時期から減少を止めているのも事実。これをどう捉えるか、なんだけど。残念ながら、現時点ではマーキングの影響によるものなのかどうかを判断する材料がない」
言い終えると、高坂は眉を下げ、申し訳なさそうな顔で手に持っていたタブレットをローテーブルの上に置いた。
つまりは、「わからない」ということか――。
高坂の説明は理解できるものだった。でも、納得できるかと言われたら別の問題だ。
トンネルの先に明かりが見えたと思ったら、消えてなくなってしまったような閉塞感に、千歳はソファの背にもたれ、目を閉じて静かに息を吐く。湊は両手で口元を覆い、うなだれていた。
でも、与えられた答えを嘆いていても現状は変わらない。もし、他の答えが出ていたとしても、これからどうするのか、どうしたいのか、最終的な決断を下すのは千歳なのだ。
とは言え、すぐ決められるものでもない。診察室に重苦しい雰囲気が漂う。そんな空気を振り払うように、高坂がパンッと手を叩いた。
「ということで、ここからは千歳くんと二人で話がしたいから、累くんと湊くんはちょっとお外で待っててくれるかな」
唐突に高坂は立ち上がると、ドアの前に立ち「さぁどうぞ」と二人に外へ出るように促した。当然、二人は訳が分からないと困惑している。特にこれまで黙っていた累は、相当不満げだ。
「どうしてですか? まだ話は終わってないですよね?」
「そう? これ以上話しても結果は同じだよ」
「でも!」
「君たちがα、しかも上位種である以上、千歳くんのΩ因子に何も影響を与えないとは考えにくい。問題は、それがいつ、どんな形で現れるのかということ。もしかしたら今日、今すぐかもしれないし、もうずっと何年後かもしれない。それを防ぐためにはどうすればいいか。わかるよね?」
高坂の問いかけに対する答えはあまりにも簡単だ。だって千歳は、累が近づいてくるたびに《《そう》》言ってきたのだから。
累は神妙な顔でこくりと頷いた。その表情に、ちゃんと千歳が言っていたことは伝わっていたのだと安堵する。そう思ったのに――。
「そうですね、千歳さんが俺と番になれば全部解決する」
「「はぁ?!」」
あまりに予想外の言葉に、千歳と湊は同時に立ち上がっていた。
「違うだろ?! 俺たちが千歳に近づかなければいいって話だろ?!」
「そうだよ?! っていうか、僕は君に何度も『近づかないで』って言ったよね?!」
「いや、でもさ。それは嫌だし、無理じゃん? 」
累はさも当然のことのように答える。その率直さは、こちらの方が間違っているかもしれない、と勘違いしそうになるほどで、湊も千歳も言葉が出てこない。
「じゃーなに、湊さんはこのまま千歳さんのそばからいなくなるってこと? それでいいの? まぁ俺的にはラッキーだけど」
「いや、それは! 俺だって嫌だけど、千歳がそう言うならしょうがないだろ?!」
「でもさー、湊さんが千歳さんのそばからいなくなったら、絶対に他のαが寄ってくるよ。たとえ千歳さんがβだったとしてもね。それを指くわえて見てんの? 俺は絶対に嫌だね」
湊はグッと息を詰め、反論を止めた。――なんでだよ。言い負かされないでほしい。
ちなみに高坂はというと、累のあまりに斜め上な発言に笑い転げている。
本当に累は千歳の考えが全く及ばない存在だ。千歳は頭を抱えたい心境になりながら、ソファにもう一度腰を下ろした。
「他のαなんて、来ないでしょ……」
「「それはない」」
――だから、二人同時に言われると圧がすごいんだって。
さっきも同じようなことがあったなと、千歳はもうため息しか出ない。
「千歳さんに今までαが寄ってこなかったのは、湊さんのマーキングのおかげだからね?」
「そうだよ。千歳はもう少し自分が人の目を惹くことを自覚したほうがいい」
いつの間にか累と湊から千歳が諭される展開になっている。どうしてこうなったのか、と思いつつも、いつの間にか診察室内の重苦しい空気はきれいさっぱりと消え去っていた。
「はー、笑った笑った」
ようやく笑いが収まったらしい高坂が、目じりに浮かんだ涙を指でぬぐいながら、もともと座っていたソファへと戻ってきた。その顔はさっきまでの真剣な顔つきとは打って変わって、どこか肩の力が抜けたように穏やかだ。
二人を部屋から出すことはあきらめたのだろうか。不満げに視線を送ると、ちょっとだけばつが悪そうな顔で、微笑みかけられた。
「これは手強いねぇ」
高坂の言葉に、千歳はふてくされた声で答える。
「困ってます」
今までずっと、千歳は一人で自分の二次性に向き合ってきた。
そこに現れた望まない『運命の番』。いくら遠ざけようと頑張っても、累は千歳の想像を簡単に超えてくる。湊まで巻き込んで、まるで「千歳の問題」は「俺たちの問題」だというように、これまで千歳が一人で背負ってきた重荷を強引に奪い取っていく。
なんだか一人で必死になっていることがひどく馬鹿馬鹿しくなって、千歳は尖らせていた口をほんの少しだけ緩めた。




