15. 二人のαと担当医
ひと悶着ありつつも、それほど待たずして千歳たちは診察室へと呼ばれた。
そこまで行く道中、やっぱり二人は他のαを警戒していた。いくらα病棟であるとはいえ、二人のαに連れられているという状況は存分に目立つ。そのせいで、居心地の悪さが尋常じゃなかった。
おまけに、だ。
「こちらへどうぞ」
「はい、お願いします」
「は~い、ようこそ~!」
看護師の案内についていき、累を先頭にして入った診察室の中には、よく見知った顔があった。むしろ顔を見なくても、その緩い話し方で今回の担当医師が誰なのか気づいた時は、思わず回れ右をしたくなったほどだ。
「やっほ~千歳くん」
「……どうも」
千歳に向かってひらひらと手を振る高坂に、つい返事がぶっきらぼうになってしまう。だって、高坂があからさまに嬉しそうな顔をしているのだ。
そんな二人の気安いやり取りに、なぜか累と湊は少しピリッと空気を張り詰めさせた。
「知り合い?」
累の低く、鋭い声で診察室の中の温度が一瞬にして冷え込む。何となく身構えた千歳は、湊に視線を向けてみたが、こちらもこちらで高坂を睨んでいた。
なんなの、こいつら――。つい、眉間にしわが寄る。
その上、矛先を向けられた高坂は満面の笑みを返してくるから、さらに始末が悪い。もう少し医者として取り繕ってほしい限りだ。
「僕はもともと千歳くんの主治医なんだよ。だからそんなに警戒しないで」
高坂の言葉に二人とも少しだけ警戒心を緩めたようで、促されるままにソファに腰を掛けることにした。
診察室と言われると、こじんまりとした部屋にキャスターのついた丸椅子が置かれているイメージだが、今いるのは面談室という雰囲気の場所だ。
ローテーブルを囲むように置かれている四台のソファのうち、上座にある二人掛けのソファに高坂が座り、その左にある一人掛けのソファには千歳、累と湊は高坂の正面にある二人掛けのソファに並んで座ることになった。
この配置は高坂の指示だ。千歳がどこに座るかで二人がもめることを察したのだろう。そういう配慮ができるところは、さすがベテラン医師。
二人は高坂の指示に少し不満げではあったが、大人しく従っていた。これが『権威性の法則』というやつか! と千歳が一人感心していたのは秘密だ。
「さっそくだけど、この二人は千歳くんの二次性のことを知っているということでいいかな?」
「はい、話しました」
千歳がうなずくと、累と湊も続いて顔を縦に動かす。その様子を見て、高坂が目元を緩めた。
高坂とは千歳の最初の二次性の検査結果が出た時からの長い付き合いだ。
それ以来ずっと、「たとえΩになったとしても、それは決して悪いことではない」と、千歳の不安を取り除こうとしてくれていた。まぁ自分の研究欲が含まれていたことも間違いないが。
千歳の両親はβで、二次性に関してやはり詳しくない。もちろん両親は千歳のために勉強してくれたようだったが、二次性に関しては当事者でなければわからないことのほうが多い。なにより、千歳は自分がβでないことで、両親に対して負い目を感じていた。
病院での精密検査の結果を聞いた時、千歳の前では「こんなこともあるのねぇ。まぁ大丈夫よ」と明るく笑っていた母親が、実は「どうして……」と泣いていたことを千歳は知っている。初めてヒートが来た時もそう。母親の笑顔がどこかひきつって見えた。
ただでさえ負担をかけてしまっている両親に弱音を吐けるはずがない。千歳は両親の前では何も気にしていないような顔をして、検診も一人で来るようになった。
だから、これまで高坂は千歳が二次性のことを遠慮なく話せる唯一の人だった。
そのことに高坂も多分、気が付いていたのだと思う。
致し方なかったこととはいえ、累と湊に千歳が自分から二次性の話をしたことを、高坂は喜ばしく思ったのだろう。成長を見守られているようでなんとも面はゆい気持ちになるが。
高坂は千歳の気持ちを最優先に考えてくれているとはいえ、千歳がΩになるのを望んでいることを一切隠そうとはしなかった。「なんて医者だ」と思ってはいるが、皮肉にもそれが高坂の言葉に真実味を持たせている。信頼しているし、彼が主治医になってくれたことは、幸運なことだったと心から千歳は思っている。
だから、今日話をする相手が高坂でよかったと本音では思っていた。
「それで、相談したいことっていうのは?」
「千歳さんの二次性の変化に、俺たちがどれくらい影響を与えるのかを聞きたくて」
累は言葉を切ると、話すことを促すように湊に視線を向ける。湊は気まずそうにしながらも、口を開いた。
「俺は今まで千歳の二次性のことを知らなくて……。だから、その、マーキングを、しちゃってて……」
湊との声がしりすぼみになっていく。「ふむ」と頷いた高坂はローテーブルに置かれていたタブレットを手に取った。
「それはいつ頃から?」
何か資料を見ているのか、画面に視線を向けたまま高坂が湊へ質問をすると、湊は一度ちらりと千歳を見た。
千歳が目の前にいては、答えにくいのだろう。でも、今日はちゃんと話してもらって、高坂の見解を聞きたい。千歳は「んっ」と顎をしゃくって、湊に話すよう促す。すぐに観念した様子の湊は、視線を正面に戻した。
「二年くらい前からです」
「そんな前から?!」
驚きの声を上げて立ち上がったのは、千歳ではなく累だ。でも、声に出さなかっただけで千歳も同じ心境である。
二年前というと高校に入学して割とすぐからということになる。湊とは入学初日から仲良くなったが、どうしてそんなことをしていたのか。
そこで千歳は、『マーキング』というものがどういうものなのか、よく知らないということに、はたと気が付いた。
昨日、湊から聞いた時に、マーキングとはαがΩに対して自分フェロモンをつけることだということはわかった。でも、その効果や意味は分からない。
千歳はまるで授業中、教師に向かってするように、ハイっと右手を挙げた。
「はい、なんですか、千歳くん」
「そもそも、マーキングって何のためにするんですか」
「いい質問ですね~」
ノリの良い高坂は、裸眼のくせに眼鏡のブリッジを持ち上げるように、鼻の付け根上あたりを中指でくいっと押す。高坂の講義開始だ。
「マーキングはαがΩに自分のフェロモンをつける行為だということは知ってるかな」
「はい、それは聞きました」
「うん。じゃーマーキングの目的はというと、すでに番になっているαとΩの場合は、マーキングをすることで、Ωの精神安定につながる効果があると言われている。番じゃない場合だと、αが意中のΩに他のαを近づけないための威嚇行為にあたることが多いね」
「いちゅうのおめが……いかくこうい……」
「要は「この人は俺のΩだから、近づくな!」ってことだね」
「そ、そこまでのつもりはなくて! ただ、千歳に良からぬことを考えてるαが近づいてこないようにって思って」
「湊くんは、千歳くんを守りたかったんだね」
高坂の優しい声に、湊は小さくこくりと頷く。
「でも、勝手にやるのはだめだねぇ」
持ち上げてから、突き落とすような絶妙な言い回しに、千歳は心の中で「おぉ」と感心する。
その見事なやり口に湊はしっかりとダメージを受けたようで、絵に描いたようにがっくりと肩を落としていた。




