12. 運命はいつも唐突に
部室を出た後、千歳は早足で教室へと戻っていった。
勢いよく教室のドアを開けて、閉めて、ドシドシと足音を立てながら自分の席に着く。そんな千歳を見て、クラスメイト達は一様に驚いている。
千歳の目はうっすらと赤くなり、いつも一緒にいる湊はいない。そんな状況に好奇心をはらんだ視線が突き刺さる。気分的にはこのまま机に顔を伏せてしまいたいくらいだ。
まだ湊はクラスに戻って来てはいないが、本鈴が鳴った教室ではすでに教師が授業を始めようとしていた。
「あれ? 田辺は?」
そう問いかけた教師の視線は千歳を向いている。
――なんで僕を見るんだよ。
いつも一緒にいるのだから、教師からすれば当たり前のことなのに、今、最悪な気分の千歳からすれば嫌がらせに近いものすらある。心の中で舌打ちをしながらとげとげしく答えた。
「知りません」
「そ、そうか。あー誰か、田辺がどこに行ったか知ってるか?」
クラスメイトのだれもが横に首を振りながら、チラチラと千歳を見てくる。教師も困った様子だ。それでも千歳は不機嫌を隠さず、ツンとした態度で無視を貫く。
千歳の不機嫌が移ったようにどんよりとした空気が教室内に漂い始めた時、ドアが開く音が教室内に響いた。
扉に手をかけていたのは湊だ。息を切らし、額には汗をにじませている。そして、その勢いのまま千歳の席めがけて走ってきた。
「千歳! 俺と番になってくれ!」
「はぁ?!」
千歳の腕を掴んだ湊の目は至って真剣だ。いつもの余裕はそこになく、熱のこもった眼差しが千歳を射抜く。何を唐突に、と絶句する千歳をよそに、教室内からは「マジかよ!」「告白?!」と興奮した声が飛び交い、一気に騒然となった。
「は、離して」
「いやだ、頷いてくれるまで離さない」
今までにありえない湊の強引さに、千歳の困惑は深まるばかりだ。
そして最悪な状況はさらなる最悪へと続く。
「ふっざけんな~!!!」
開けっ放しになっていた教室のドアから飛び込んできたのは累だった。
そのまま教室内につかつかと入り込んでくると、累は湊の胸ぐらをつかんだ。
「千歳さんと番になるのは俺だ!!」
「黙れ、ストーカー野郎!」
「うるせぇ、痴漢野郎!!」
そこからはもう漫画のような取っ組み合いのけんか。
教室内はわぁわぁ囃し立てる男子と、キャーキャー叫ぶ女子とで大騒ぎ。教師はおろおろしているだけで役に立たない。騒ぎを聞きつけた他のクラスの生徒や教師が集まってきて、混乱は増していくだけだ。
何があったんだと尋ねている人に、誰かが「二人が千歳を取り合って喧嘩を始めた」と言いふらしているのを耳を塞ぎたくなる気持ちを必死に堪えながら聞いていた。止めたいのに、人が多すぎて千歳の声は届かない。
収拾のつかなくなった騒ぎから逃げ出したい気持ちに駆られながら、千歳は叫んだ。
「いい加減にしろ~~~~~!!!!!」
声を張り上げるとともに目を開くと、その先に見えたのは見慣れた自室の天井だった。
――えっ……夢?
脳内の処理が追いつかず、千歳はしばし呆然としたまま、白い壁紙と同じ柄の天井を見つめていた。
ずきずきと痛む頭を労わろうと、額に手を当てる。いつも枕元にあるスマホを手に取ると、時間はもう八時をまわっていた。
学校がある平日はいつも六時半ごろに起きるのに、休みだからと少し寝坊をしたせいであんな夢を見てしまったのか。いや、普段の休みはもっと寝ていることだってある。
夢には深層心理が現れると言うが、思っていた以上に二人の言い争いを千歳はストレスに感じていたのかもしれない。だって、あんな状況を望んでいるだなんてあるはずがない。「嫌すぎて夢に見た」と考えたほうがよっぽどましだ。
千歳はここ最近何度ついたかわからない深いため息を思いっきり吐き出した。
実際は、昨日、千歳が教室に戻ってから、湊は本鈴が鳴った少し後に教室へと戻ってきた。夢のように息を切らしてなんかいなかったし、汗もかいていなかった。そして、何事もなかったように教師に「すみません」と頭を下げながら静かに席に着いたし、もちろん累も教室には来なかった。
その後は粛々と授業を受け、千歳は部室に寄ることなく真っすぐと家に帰った。もちろん、授業の合間にある放課中も、下校時間にも千歳は湊と話さなかった。目を合わせることすらしなかった。
湊は湊でずっと自分の席に座ったまま下を向いていたし、累が来るかな、と少しだけ身構えていたが、それもなかった。
もし夢で見たことが現実に起こったとしたらどうなるだろうか。累と湊は停学になるかもしれない。千歳にお咎めはないだろうが、その後浴びることになるクラスメイトからの好奇心に満ちた視線に、きっと千歳は耐えられないだろう。多分、翌日から登校拒否になる。
千歳は重い体を引きずるようにしてベッドから起き上がると、二階にある自室を出て下の階へと降りていった。
トイレに寄ってから、顔を洗うために洗面所へ向かう。鏡に映る自分を見れば、目は充血して赤くなり、うっすらとクマまでできている。ひどい顔だ。
くたびれた自分から視線をそらし、丁寧に顔を洗ってもすっきりとしない。どうしても上を向いてくれない落ち込んだ気分のまま、千歳はリビングのドアノブに手をかけた。
でも、動かす前にピタリとその動きを止める。ドアの向こう側から聞こえてくる声に違和感を覚えたのだ。
千歳は父母と五つ上の兄の四人家族。ちなみに全員ちゃんとしたβだ。
すでに社会人の兄は一人暮らしをしていて、今はこの家にいない。それなのに、リビングの向こうからは三人分の声が聞こえてくる。いつもの父母の声に交ざる、明るい男性の声が。
――兄ちゃんが帰ってきてるのかな。
そう思ったのも一瞬。最近よく聞くようになったその声に、嫌な予感しかしない。でも、さすがに昨日の今日でまさか――。
いやいや、今日は休日だ。兄がふらりと帰ってくることだってある。きっとそうに違いない。
千歳は一縷の望みを抱いて、恐る恐るドアを開ける。
「あっ、千歳さん! おはよ~」
そして、そのまま膝から崩れ落ちた。




