nAmBAr.02「不可思議な隅っこ」
語り部の私はその二番手で、一番手の脳内での世界への理解には手が届いて居る。学習や観察への貪欲さが豊富で有り難いと感じている位だ。先の私の使命とでも言うべき物のインプットも早期に成された。ただ、一番手と共有している所のそれは漠々とした物であって彼の人生の細部についてはまだ共有が無い。恐らくスイッチのタイミングで走馬燈の様な形でそれは成される事になるのだろうが、果たしてそんな瞬間的な実感だけで彼の人生のこれからを決定付ける立ち位置を獲得してしまっていい物かと空恐ろしくなる。通常であれば一番手が地球の青空の下で闊歩している事実でマウントを取られているこの私だが、その瞬間だけは彼との立場が完全に逆転する、とそう言う事だ。
蝉の生き方、と言う物をご存じかと思う。十年以上も土に潜って過ごし、そして生殖の為だけに表に出て来て自分の存在を声高に誇示すると言うその生き様を。正直私の在り方もそれである。この異世界覚醒までには何十年も掛かった様だ、私は脳だけは一番手と接続されていて一所に留まりつつ世界への理解を積み上げ続ける、言わば一番手が平らげ続けた御馳走の後に積み上がる洗い残しの皿の山の様な立場だけしか知らないで来た。故に一番手を救った後に生き続ける、と言う事の意味を実は知らない。そのメリットに満ちた在り様を知っていて打算でいやいや一番手は生かすべきだよと言う計算ずくの汚い思考に二番手が流れてしまう事への忌避感からそう言う構図なのかも知れないが、ただ私は一番手を介し色々と知って来た中で今現状での世界への肯定感はそれなりに持って居る方だと思う。そう言う働き掛けが有る分、恐らく一番手の生き方はそれなりに全うで第三者から見て明らかにおかしなとんでもない人道を外れた人生とも呼べない何かでは無いのだ、生まれ持った親の品格や位も悪くは無かったのだろう。そんな一番手の純粋な断罪者、誤解を恐れず言えばそれが私の望まれている立場だ。
その私が敢えて覚醒したのだから到達点は一つ、その断罪すべきかせざるべきかのスイッチ、それが一体全体なんであるかの全容解明だ。訳知り顔で語って来たがその実まだ手探り段階で何も分かって居ない…ただ地上に這い出た蝉が鳴くのと同様に把握している範疇での意見開陳を脳裏に並べたに過ぎない。ひょっとすると不慮の事態で断罪以前に私の命が絶たれそして件の運命共同体としての同時ゴールを一番手に齎し兼ねないのかも知れない。皿の山のお零れとは言えその恩恵に与って来た私だ、そう言うみっともない終わりにだけはしたくないなと人類の在り方の不可思議な隅っこでそう決意を新たにするのだった。
蝉の描写はグロガでも出ましたね、精神的続編なんでね でもあっちと比べ蝉まんまやなw




