第2話 無能の烙印、そして暗夜の森へ
一様に俺のスキルを笑い飛ばしていた中、唯一イレーネだけは笑わずに微笑んでくれた。
それは、俺にとって唯一の救いのように見えた。
……そう見えた、だけだった。
突然、目の前の女性が周知するように大声を張り上げた。
先ほどの穏やかな表情とは打って変わり、彼女は感情を見せずに告げた。
「この者は不適格!帝国を追放の後、奴隷送りとする!」
……どういうこと?追放?俺!?
イレーネは俺に興味があったんじゃないのか?
その優しい笑みは何だったんだ?
(見方じゃないのか……。)
俺は言葉の理解が追い付かず、呆然と立ち尽くした。
直ぐに入り口を警備していた兵士たちがやってきて腕をつかまれた。
……暴れる余地なんて、なかった。
そもそも、この世界で当てもない俺に何ができるっていうんだ……。
送られた先は、帝都から離れた街道の端――
瓦が落ちた宿屋跡のような、くすんだ中継拠点だった。
牢でも処刑場でもない。けれど、それ以上に救いのない場所。
「ここから奴隷収容所へと正式に護送する。……無能者として。」
(無能者って表現、ちょっとはオブラートに包めないのか?)
……いちおう、スキルはあるんだが……「棒人間」。
(もう少しこう……カッコいいの、なかったのか……。)
俺を無能者と吐き捨てた男は、笑うでもなく、冷たく視線を逸らした。
ここにも儀式の間にいたローブ姿の者が1人同行していた。
表情は影になっていて、こちらからは見えない。
兵士たちは俺を粗雑に馬車へと放り込んだ。
がらんとした木でできた檻のような馬車。荷台に背を押しつけると、板がきしんだ。
……ここでは俺は、ただのモノ扱い。
それでも唯一の気遣いと言えるのは――護送中に干からびないよう、腰に水袋だけは携帯させてくれたこと。
……にしても、縛られたままでどうやって飲むんだよ。
現実はいつもこうだ。
どれだけ夢を見ても、どれだけ編集しても……。
努力も、必死も、意味を持たない。
だって――「棒人間」だぜ?俺のスキル。
(お前はもう、死んでいる!)
……突然のデジャヴが、俺の秘孔を突いてきた。
護送の馬車は、日が暮れる前に山道の脇に止められた。
粗末な荷車を丸く囲むように、兵士たちは焚き火を起こし、夜営の準備を進めていた。
俺は、その輪の外。縄で両手を緩く縛られ、相変わらず馬車の中に転がされていた。
……動けないわけじゃないが、見張りが三人もいる。
いつの間にか焚き火を囲む輪から、ローブの人物の姿が消えていた。
(あれ!?お花摘みタイムか?)
さっきから、何かを呼ぶような笛の音が、耳の奥で微かに揺れていた。
空は完全に闇に沈んでいた。外では火の粉が、時おりパチパチと跳ねる。
冷たい風の中、額に汗がじっとり滲んでいた。
――ここで寝たら、次に目を覚ますのは収容所かもしれない。
それが、どうにもイヤだった。
突然、馬車の直ぐ外の見張りの兵士が話しかけてきた。
「この辺は境界の森っていう魔物が多くて、一度足を踏み入れたら最後、生きては出られない森があるって場所だ。」
そう言うと兵士は俺の不安気な表情を見るなり、ニヤリと笑って話を続けた。
「とは言っても、この街道はめったに魔物も現れないから収容所までは安全な道のりだ……。」
――ヒィヒィィィン!!
兵士がそう言い終えると同時に、馬が悲鳴のような嘶きを上げた。
同時に馬車が重力を失ったように揺さぶられる。
兵士たちの焦燥と怒号。
馬車が大きく揺れ、今にも倒れそうだ。
「魔物だ!!囲まれてるぞッ!」
「急に現れやがった!!」
怒鳴り声の直後、斜面の方から複数の獣影が飛び込んできた。
剥き出しの筋肉、血に濡れた牙――目だけが、鈍く光っていた。
耳にこびりつくような咆哮が、闇を裂く。
(狼だよな……?俺が知っているのとは似ても似つかない。)
馬車が傾き、俺の体が投げ出された。
「誰か、そいつを――!」
兵士がこちらに目を向けたその瞬間、別の群れの1頭が背後から襲いかかる。
「ギャー!!助けてくれー!!」
その直後、兵士たちの断末魔が、耳を裂いた。
馬車の外で起こっているその光景は、地球では地獄絵図でしか見たことがない。
俺は目の当たりにした惨劇に、ただ呆然と見届けるしかなかった。
ガチャガチャッ!
直後、馬車の錠が開いた音が聞こえた。
これは内側からでも扉を開けられる?
――今なら逃げれる!?
俺は飛び出しそうな心臓を抑え、恐る恐る荷車の扉を開いた。
今しがたまで兵士を襲っていた魔物の群れは、中にいた俺には見向きもせず、何かを追いかけるようにその場を走り去っていた。
……先ほどの光景が嘘のように、辺りはしんと静まり返っていた。
やがて、夜闇に眼が慣れてきて少しくらいの距離なら把握できるくらいにはなった。
見えるようになって初めて別の五感が周囲の異変を察知した。
重々しい空気と一緒に鼻をさす鉄分の臭い……酷い惨状だった。
馬車を引いていた荷馬は獣に襲われたのか、いたるところから血を流して倒れている。
同行の兵士たち数名も、血を流して倒れていた。
鎧の隙間を狙われたのだろうか、首や足が欠損していて見るに堪えない状態だ。
周囲の有様から見て、生存者がいるとは思えなかった。
……そういえば、あのローブ姿の同行者が見当たらない。
逃げたのか、それとも魔物に引きずられていったのか。
汗が全身から噴き出していた。なのに、頭の中だけは妙に冷静だった。
(こんなときくらい、パニクった方が人間らしいだろ……。)
そうだ、こんなことをしている場合じゃない。
「今はここから離れなくちゃ!」
(動け……動け!ここで止まったら、終わる!)
俺は折れそうな心を奮い立たせ、パニックで上手く走れず縺れる足を懸命に動かした。
暗闇に目がだいぶ慣れてきたおかげで、少し先に、鬱蒼と茂る森の影が見えた。
街道は見通しが良く、万が一追手が来た場合に容易に見つけられてしまう。
「逃げる先は……森ルートだけか……。」
(戻れば、奴隷。進めば森で野垂れ死に……どっちも詰んでる。)
(けど、ここにいたら、それすら選べず終わるだけだ。)
決断した俺は迷うことなく、森のほうへ転がり込むように逃げ出した。
枝葉が顔を叩き、草が肌を裂いた。
けれど、立ち止まるわけにはいかない!
今立ち止まったら、俺は帝国の奴隷コースか魔物の胃袋行きスペシャルコースのどちらかだ。
がむしゃらに、走った。
無我夢中で逃げた。
逃げるしか、なかった。
馬車があったときには遠くに見えた森も、気づけばすでに、俺はその中にいた。
深くて、暗くて……不気味な木々のざわめき、それと遠くに聞こえる獣の咆哮がこだまする。
とにかく空気が、重い。
空が見えないほど、木々が覆っていた。
「ここが兵士たちが話していた……境界の森ってやつか……。」
誰も近づかない場所。
魔物が棲み、 生きては戻れない。
……そんな話を兵士から聞いた。
でも、今の俺には――追っ手の方が怖かった。
ついに足がもつれ、根に引っかかって転んだ。
湿った土の匂い。擦りむいた手と膝に鈍い痛みが走る。
けれど、それでも俺は笑っていた。
「……俺、逃げ切った……ぞ。」
つい、口元が緩んだ。
「ここまでの、動画が撮れてたら……バズってたかもな。」
言った瞬間、我に返る。
「って何考えてんだ、俺……。」
どこかで、自分を嘲るような笑い声が漏れた。
……こんな時に、何を考えてるんだか。
泣いてるのか笑ってるのかわからない声で――
気が付けば、夜空を見上げていた。
でも……星が、遠かった。
読了ありがとうございました!
全力執筆で初完走を頑張ります。