隠す
「やっぱり私って友達作るの向いていないのかもしれない」
「どうした」
いつも通りの学校生活を送った俺に待ち受けていたのは、いつも通りではない夜だった。エアコンの掃除をしている最中に朝比奈が家にやって来たのだ。昨日の出来事のせいで彼女も警戒する必要が出てきたようで、一応俺のことを守ってくれるという建前の下で来てくれたみたいだ。
しかし、ふたを開けてみれば彼女はただお喋りをしに来たのかと勘違いしてしまうほどくつろいでいた。家に迎え入れればすぐにお茶を要求し、まるで自分の家かのように一切渋ることはせずにテレビを点けた。
今日も学校で猫を被っていたため、やはり気兼ねなく過ごせるここは快適なのだろう。
昨日の今日で随分と朝比奈の信頼を勝ち得てしまったみたいけど、何か都合よく使われている。
確かに俺たちは友達ではあるし、仲間みたいな部分もあるけれどこいつなんか図々しくないか?
けれど、追い返すことは後で何かされる可能性があるので出来ず、怖すぎるから仕方なく二つ返事で招き入れてしまった。俺たちの間には謎の力関係がある。
「あの日から上手く笑えなくなっているの。復讐者とかいう肩書のせいで常に人を騙している感じがそれを助長させているというか……」
「別に上辺だけで良いだろ。関係の幅が広ければ必然的にそうなりそうだし」
「光には分からないでしょうけど、女子って意外と面倒なのよ?」
「ああ、俺も最近知った」
俺は畳の上で寝転びながらシミのある天井を眺める。どこか顔に見えなくもない模様があるが朝比奈にそれを言うべきか悩む。いつもは一人だが、今日は二人。俺の横で寝転んで、自分の家のようにリラックスをしている。話相手としてはかなり面白いため、事故物件だと明かして来なくなってしまう事態を避けたい。
「ねえ光、間違っていたらごめんだけどここって明らかに事故物件よね」
「え、そんなことないぞ」
どうやら察しが良く、気付いたようだ。
「いやだって、あの天井の模様ってどう考えても人の顔じゃない」
「昔は雨漏りが凄かったらしい」
「ここ一階じゃない。さっきだって、変な呻き声が聞こえてきたわよ。しかも何度もね」
「建物が軋む音だろう。昔からある建物だし」
「ならどうして家自体は古いのに、この畳は買ったばかりのように綺麗なの?」
「そりゃ……買ったばかりだからな」
「反論するの諦めたの?」
「住めば都という事だけ伝えておく」
「こんな場所に好き好んで住むって、あなた中々の変わり者なの?」
「お前にだけは言われたくないけどね」
別に好き好んで怪奇現象が多発する部屋に住んでいるわけじゃないし、こんな悪い奴に変人扱いされるのはさすがに解せない。こっちにも色々と事情があるのだ。
「はあ。高校生らしいことたくさんやりたかったんだけどなぁ」
「何だよ高校生らしいことって」
「制服で友達と遊びに行ったり~、部活で仲間と切磋琢磨したり~。………あと恋愛とか」
「ふ~ん。確かに、多感な時に色んな経験をして自分の中にある感情に触れてみるのも悪くないのかもな」
友達作りに熱中しすぎて、俺は何がしたいのかを明確にしていなかったな。友達が出来て俺は何がしたかったのだろうか。可もなく不可もない、揺れ幅のない生活をしたかったのなら別に友達は必要無い。
だからきっと、心の奥底にはそういった欲求があったのだろう。
「もしよかったら、俺とやらないか?」
「変態」
「絶対意味違うって分かるのに言っただろそれ」
横を見れば含んだように笑った朝比奈に焦がれた。
恋愛感情を抱いているわけではないが、きっと綺麗な女性と遊ぶのはいついかなる時でも楽しいに決まっている。
「本気だよ。多分俺ならお前の苦悩も分かってやれる」
「私の苦悩?」
「そうだ。それにこの誘いを断ったらどうなると思う?将来は青春拗らせ女になって、高校生を見るたびに血の涙を流しながら酒に溺れる厄介なやつになるぞ」
「………想像しちゃったんだけど」
眉間を寄せて、ゾンビのような唸り声をあげた。朝比奈にも最悪な未来が想定出来たみたいだ。
「どうだ?悪くない提案だと思うが、嫌なら別にいい」
「断ったらどうするの?」
「朝比奈が硬派だって俺に言ったからな、友達の作り方もある程度分かった。試しに明日、隣の女子に話しかけて連絡先でも聞こうとお────」
「やるわ。青春」
「……待ってました」
「その代わり、抜け駆け禁止ね?」
「ぬ、抜け駆け?」
「ええそうよ。他の人と仲良くなっちゃ駄目だから」
「交友関係を広げることを抜け駆けって言うのやめてくれないか?」
しかも朝比奈の方が友達作れる可能性が遥かに高いじゃねえか。こんな意地の悪い囲い方ある?
もっといろんな人を知りたいのだが、後で何か言われてもあれだし俺だけが損をする形になった。
初めて喋ってからまだ全然経っていないが、互いにふざけても返せるほどには仲良くなったな。
「じゃあ、今からやろっか」
「今からって。もう夜の十二時だぞ」
テレビの右上にある時刻を指差したが、気にも留めずにいた。
「ふふん、制服を着ているだけで私たちはプライスレス。最高の存在になるの」
「へえ~」
「もうっ。信じていないなら、このまま外に出て確かめてみましょ」
立ち上がった朝比奈は腕を掴んできて勢いよく引っ張った。俺は上半身だけ起き上がり、呆れたような口ぶりで、
「補導されるんじゃないか?」
そう言った。けど、表情は素直じゃない。自分でもはっきりしている。
そんな彼女は、俺がそう言うと予想していたらしい。
「へーきへーき!夜は何でも隠してくれるから。この晩のことは二人の秘密にしておこ?」
真っ白な歯を見せて笑顔を咲かせる朝比奈はその夜で一番眩しく、月よりも目立っている気がした。
導かれるように外に出れば、月は雲が見えないようにしていて余計に彼女が何よりも注目を集める。すれ違う人たちは皆、朝比奈を二度見、三度見と脳がパニックになってしまうほど魅了されていた。
「それで、夜遊びって何をするんだ?」
「う~ん。知らない」
「駄目じゃねえか」
「ノリで行動するのも青春の特権でしょ」
薄暗い夜道を指差し、「あっちいってみよ!」と子犬のようにぴょんぴょんと軽快なステップで歩き始めた。耳としっぽが生えていても違和感がない。
その楽しそうな後ろ姿を温かい目で見ながら付いて行くと、不満そうにこちらに振り返って口を尖らせる。
「どうした?」
「どうして隣歩いてくれないの?」
「朝比奈がうきうきで歩くから付いて行くのがやっとなんだ」
「だったらはぐれないように手を繋いでおいてよ!」
「彼女かよ」
確かに多少暗いのかもしれないが、街灯もそれなりにあるためはぐれることなんてまずありえないのだがな。
ここまで来ると、仲良くなったというよりも懐かれたという表現の方が的確かも。
「そういえば、さっきの『夜に隠す』って言葉、どういう意味だ?」
少し走ってその隣に行く。
「あれはママが言ってたの。怖い思いをしたときに、『夜はベールみたいに何でも隠してくれる。怖い思いもそこに隠して目を瞑れば朝になってどこかへ行ってしまう』って教えてくれたおかげでもう怖くなくなったの」
「へぇ~。かっこいいな」
「光のご両親はどんな人だったの?」
「普通の親だ。特に自慢するものはない」
「交通事故……だっけ」
「そうだな。でも、悲しみよりも先に別の感情が沸き上がってきてしまったから、事故があった時は涙が出なかったな」
「そ、そっか」
自分から聞いておいてだが、目線が下がって居たたまれない気持ちになっている朝比奈には同情してしまう。やはり終わった話を今更掘り返して話題にあげてもやりづらいものがある。俺が言う前に話をすり替えておけばよかったかもしれないな。
「もう終わったことだ。ま、朝比奈の母親の言葉を引用すれば、辛い出来事はこの夜に隠しているって感じだな」
「えっと……」
「そんなことより、これからあてもなく歩くのも悪くないが、やっぱりどこかゴールがほしいよな。だから、公園にでも行かないか?」
「………うんっ。行きたい!」
影を見せる瞳が輝きを取り戻して、ぐっと俺の腕を抱きしめてきた。甘い香りはふわりとたゆたい、それに導かれてしまえばどこへでも追いかけてしまいそうな魅力がある。
悪い女の魅惑ならば、その色香にあてられて歯止めが効きそうにない。人間に化けた悪魔みたいだ。
ゆっくりと、理性を壊し地獄へ誘う。ドロッとした感情は、心まで溶かされてしまうほどの熱を帯びている。
そのまなざしは光を求めていたみたいで、自分を明るくしてくれる存在が欲しかった。
夜には太陽がいない。二つが一緒になることはせずに、ただ小さな光だけ分け与えてその価値を見出す。月は照らされなければ誰も見てくれない。
夜風が吹き出した。小さな火が消えるくらいの微風。
それだけで俺には十分だった。