介抱
その後、風呂から出てきた朝比奈に俺のスウェットを貸し、先ほどの話の続きが始まった。
「………私に何か言うことあるんじゃないの?」
「その服の生地なんかちょっと安っぽいよな。しかも化学繊維で出来てるからすぐに毛玉出来るし」
「ふざけるのもいい加減にして。打ち首にするわよ?」
「現代でそのワード聞くなんて思ってもいなかった」
「何そのタイムスリップしてきたみたいな言い方」
喉を触り、しっかりついていることを確認した。
フランクに接していたから感覚が鈍っていたが、彼女は紛れもなく危険人物だ。何が目的でそうさせているのかはまだ判明していないけれど、今後彼女との関わり方も考えなければならない。
「悪かったよ。別にわざとじゃないからさ、そんな怒らないでくれ」
「もういいから」
「ええ?」
情緒が変わりすぎてこっちが大変だ。
「外にあった男の遺体が消えていたけど、本当に何があった?」
「だから何も言わないって言ってるでしょ?」
「そう言われてもな。こっちはお前を庇うだけ庇って危険な目に遭いそうになって、はい終わり何も言いません日常に帰ってくださいって言われてるようなもんだぞ」
「確かに……じゃあ、他の人には絶対に公言しないって約束してくれる?」
「まあ言ったら、被害が出そうだしな。俺で留まるなら言わない」
「変な言い草」
怪訝な顔をされたが、どうやら納得してくれたみたいだ。
「それで、何から話せばいいの?」
「朝比奈は何者なのか」
話始めようとすると歪んだ表情になり、それを見ている俺もなぜか辛くなってきた。
「私はね、悪い人なの」
「抽象的に言われても困る。俺たちは秘密を共有してしまう危険な関係になるんだから、もう少し詳しく教えてくれないか」
「う、うん」
朝比奈は俯いてそのまま静かになった。俺は真剣に聞くことに徹し、彼女の答えをいくらでも待ち続ける。
数分黙っていると、顔をあげて別の人間のような冷たい声で彼女は、
「────────私は復讐者なの」
そう言った。
なら、俺が普段見ているクラス一人気な朝比奈宙は彼女の理想の姿なのだろうか。
「ありがとな。教えてくれて」
「ち、ちょっと。撫でないでよ」
彼女の頭を撫でてしまった。辛そうだったから、それが一番の理由だ。
「何か飲むか?温かいお茶くらいしか出せないが」
「お願いできる?この部屋少し寒くって」
「アパート自体の壁が薄いし、断熱材が使われていないからな。あ、エアコンは使わない方がいい。病気になるぞ」
「えっ。こわ」
「最近引っ越してきたばかりで、あまり掃除できていないんだ。今日にでもやっておこうか」
俺は立ち上がり、来客用の綺麗な湯呑みを見繕う。
「………でね、なぜ復讐者なのかって言うと」
お湯を沸かしていると、朝比奈は再び口を開き始める。向き合って話すには重たい内容なので、こっちのほうが楽なのかも。
「私の両親。三年前に殺されたの」
「え?」
そう言われた衝撃で、俺は振り返ってしまった。
間違いなく、彼女は復讐のために生きているな。
「あの日を思い出したくないけど、まあいっか」
「……大体わかったから、言いたくなければ別に黙っていていいぞ」
「平気。復讐のために生きているの。だから、このくらいは……平気」
だが、その弱弱しい声音は明らかに無理をしていた。
俺のために話さなければならないと使命感に駆られている。きっと彼女はそうだな。
「私のママはね、元々女盗賊としてその界隈で名をはせていたの。美人でスタイルも良くって優しいママだった。パパは一般人だったけど、そんなママのことが大好きでいつもお家でラブラブだったの」
「そうだったのか」
聞かされた事実に、そのくらいのリアクションくらいしか出来なかった。
「三年前、あの日もいつも通りの日常だった。二人は寝る前には一緒に映画を必ず見るの。けどその日は映画を見なかった。私はおかしいと思ったけど、パパもママも大変だから特に何か言うことはしないでその日は眠ろうとしたの………。けどね、やっぱり何か引っかかって眠れなかったの」
「うん」
「私はこっそりリビングを見に行った。そしたら、パパが倒れていた」
俺はその顔を見ることはせずに、背中を向けることにした。けれど、そんなことしなくても分かる。彼女の表情は見ていられないほど苦しそうだ。だが、軽はずみな共感を俺はやってはいけない。
人の苦しみなんて、簡単に理解できるものではないしな。
「でもその場にママはいなかった」
「そうか」
「うん。そのとき、ママがいる寝室の方から大きな音がしたの。最も嫌なことが頭をよぎったけれど、私はそこに行くしかなくて急いで寝室に向かったの」
「それで?」
「ゆっくりママたちの寝室を開けてみたら、床にママが倒れてた。頭を拳銃で撃ち抜かれた音だったみたいで………死んでたの。私は叫んで…それで、それでね」
「もういい」
悲惨な過去は思い出すだけでも疲れてしまう。準備していたお茶を持って行くと、既に彼女はぐったりしていた。
朝比奈にとって両親は自慢の人たちで最も大切な存在だったのだろう。その幸せが一瞬で崩壊し、自分は何も出来なかった。そのせいで復讐に走ってしまっている。この話が本当ならばかなり危険だ。
「あ、ありがと」
「まああれだ。なんかごめん」
「どうして謝るのよ」
「朝比奈につらい思いをさせてしまったみたいだ。ごめん」
「別にいいわよ。あなたを巻き込んでしまったみたいだし、私からは文句は言えないから」
朝比奈は誤魔化すように笑った。その強さがどこから来ているのかは俺には分からない。
朝比奈の両親は、きっと何か悪いことをして生きてきたのだろう。有名な盗賊だというのなら、どこかから恨みを買っていてもおかしなことは無い。だからこそ、仕方のないと言えばそうなってしまうのだが、朝比奈にとっては理不尽だというのだ。
しかし、それは彼女が母親の良い一面しか見ていない証左でもある。それか、悪い一面を見ていたとしてもそこすら愛してしまったか。
「じゃあ、朝比奈はこれからどうしたいんだ?」
「復讐するの。二人を殺したやつを殺す。私と同じ道を歩ませる。暗くて、報われない、絶望にしか辿り着かない道を。そして、私に辿り着いた瞬間に私は自分の命を自分で終わらせる」
「そうか」
俺はこれからどうすればいい。どうなる?
今後一生こんなことに巻き込まれて生きていくのか?あの遺体を見てしまった限りは、俺は証拠を握っている人間としてさっきの相手から命を狙われる可能性がある。
そんなのはごめんだ。
クソみたいな人生をやり直させてほしいなんて思う気は更々ない。ただ平穏に、静かにクソなみたいな生活を送ることはいいだろ。
今日のことはたまたまあった思い出程度。それで終わりにすればいい。
朝比奈のことだってそうだ。彼女は復讐に燃えている人間で、たまたまこの夜が俺たちを逢わせてしまっただけ。
明日から、ただのクラスメイトに戻る。
彼女の話を聞いても、俺の感情は凪いでいる。あくまで他人であるからだ。知りもしない人の死を悲しむほど、俺は良い人ではない。
「もう、帰るか?」
「いや、今日は泊ってもいい?まだ敵がいるかもしれないから」
「分かった。そのお茶も飲みなよ、ぬるくなったら美味しくなくなる」
「うん、ありがと」
正面に座っていた朝比奈は、お茶を一口で飲み干すと立ち上がって俺の横に来る。
「え?」
「眠い」
「まあ、遅い時間だしな」
俺は投げ捨ててあったスマホ拾って時間を見た。
「隣で寝ていい?」
元の場所に戻ると、朝比奈は覇気のない緩やかに落ちそうな声で甘えてきた。
さっきはあんなに怖かったけれど、猫なで声を出せばクラスメイトの朝比奈宙に戻る。正直に言えば即答でOKしたかったが、キャラのために誤魔化した。
「いや、どうしてだよ」
「………だって仲間だし」
「仲間?」
「秘密を共有した仲間!もう、なんでこういう時だけ……」
「仲間か……友達じゃダメなのか?」
「あなたまだそんなこと言っていたの?」
「え?」
「私たちってもう友達でしょ?」
「…………そっか」
見下ろす朝比奈がきょとんとしていて、自分の愚かさに気が付いた。
友達って、とても難しいものだと思っていた。毎日のようにお喋りをして、時間を掛けて関係を深めていく。そこには合う合わないもあって、その人を認めるのか、離れるのか、自分の価値観で判断する。
そうやって、作っていくものだとさっきまで信じていた。
俺はこの子と友達になってしまったらしい。
とっても危険で冷たい瞳を隠した少女。でも繊細で触れてしまえばその熱で溶けてしまいそうな女の子だ。
「よいしょ」
俺の横に座ると、肩に頭を乗せてくる。横目で見れば、水分量が多いキラキラした水色の目を覆う、長いまつ毛を有したまぶたは今にも閉じてしまいそうだ。
こんな子が復讐だなんて、世界ってどうかしているな。
「ねえ星………さん」
「何だ?」
「私、向いてないのかな………復讐」
「さあな、そんなの俺には分からない。けど」
「けど…?」
「達成できるかは置いといて、報われるか分からない世界に足を突っ込むって相当な勇気が必要だ。そこだけは仲間として尊敬しておく」
「ふうん?」
だいぶぼんやりしてきた朝比奈に難しいことを言ってもあれだったため、もう何も言わず落ちるのを待った。きっと今日はよく眠れるはずだろう。
俺も今日は予想付かないことのせいで心に疲労が溜まった。だが、今の空間は中々悪くない。仲間と言われてもあまりピンと来ないが、きっとまた面倒なことに巻き込まれてしまうのだろう。友達は作っても、仲間っていう変な関係は作るべきではなかったな。
肩にもたれてすやすや眠りはじめた朝比奈のせいで俺は動けない。
「昼から何も食べてないな。朝比奈もいることだし、きっと朝ご飯を出さないと何か言ってくるよな」
俺は彼女を起こさないようにゆっくりと倒し、布団を敷いた。そしてお姫様抱っこの形で布団まで運び、下ろして毛布を掛ける。彼女を見下ろすように眺めれば、可愛い寝顔についイタズラ心が動いてしまいそうになる。きめ細かくて、舌の上に乗せたらすぐに溶けてしまいそうな白い肌を触ろうとしたがなんとなくやめておいた。
買い物に行くために再び外に出た。
あの遺体は男が回収してくれたのだろう、そこにはなかった。ご丁寧に掃除もしておいてくれたみたいで、血痕一つも残っていないアパートは彼らが来る前よりも随分綺麗になっていた。大家は彼らに感謝してもいいだろうな。
さて、ここからどうしようか。
朝比奈、お前はどう思っているかは分からない。
今日の出来事は、「自分が死にたくない」という考えの一致で過ごしていただけ。本当は俺とお前は相容れない関係であるべきだ。そう思う。
友達という響きは嫌いじゃない。むしろ歓迎したい。
だが、今日の一件で俺たちの関係が構築されたというのなら、それを解消するのも俺に対する配慮だと思う。
悪いけど、俺は君の世界で生きることを拒否する。多分、復讐の行き着く先に幸せなんてない。自分を肯定して生き続けるしか、お前には救いの方法はない。
少なくとも、俺は彼女が復讐に向いているとは思わない。赤の他人に自分の経歴を軽率に話してしまうほどの愚かさでは無謀であろう。まあ、言わないのが吉だ。
「どうしたものかな」
夜の空に住んでいる月は俺を見つけると影をつくる。あれは、道を示してくれる存在だ。
そう言えば、俺の両親も亡くなっている。もう昔の話だし思い出すつもりはなかったのだが、朝比奈のせいだ。
友達……か。でも、俺は忘れるつもりはない。
あの瞬間、お前は俺に殺意を向けた。あれは、本心なのだろう?