アップルパイ
「星さんはご飯食べないのですか?」
「家に弁当を忘れてしまったからな。こればっかりは仕方ないから諦めた」
「えっ、それは大変ですね……」
惨めな嘘は自分を傷付けるだけだった。この調子じゃ明日も弁当を忘れてしまう。
朝比奈は自分のように辛そうだ。俺が本当に救えない奴になってしまうから出来れば止めて欲しいが、ここでそれが嘘だと言ってしまえば尚更不憫な人だと思われてしまうので、弁当を忘れた星光を演じなくてはいけなくなった。
「だから購買で何か買おうとしたけど、完売していて落ち込んでいた所に朝比奈が来たってわけだ」
「私もアップルパイを買おうとしたのですが一番に完売したみたいです」
どうやら彼女も色々見ていたようだ。これで昼飯のあてがなくなった。
自分のやりたいことがここまで上手くいかないことがあるのか。
朝比奈は俺の心の中のことなど露知らず。この学校に入ってから、一度も良いことがない俺の人生をぶん殴りたくなる。
「なあ、朝比奈」
「はい、どうかしましたか?」
いや、もう過去のことを振り返るのをやめろ。そんなことしても哀れなだけだ。良いことが無いなら、今作ればいいじゃないか。
楽しい学校生活の一歩は、友達を作るところからだ。友達を作るなんて簡単なはずだ。そこには無駄な駆け引きも、難しいことを考える必要も一切ない。たった一言を言えばいいだけ。断るやつがいたとしてもそんなの気にしなくていい。たまたま気が合わなかっただけだ。
「あの………さ」
「………ほ、星さん?」
さっきは何とも思わずにしっかりと話せていたのに、その一言を言おうと意識した瞬間に身体が強ばって自分の思い通りに動かせなくなる。先ほどとはがらりと変わった俺に心配そうに見つめてくる朝比奈が、俺の横に来ると片方の手を肩に添えてきてもう片方の手を俺の額に手を当てた。
「やっぱり、具合が悪かったりしますか?」
「……いや、悪い。ちょっと疲れていたみたい」
友達になろう、そう言えばいいだけなのに。失敗できない恐怖がそこにある。
情けないな。いつも逃げてばかりで、肝心な時でさえ勝負に出ることすら出来ない。昔はこんな人間じゃなかったはず。
俺は再び、階段に座った。横でスカートの裾をきゅっと握る彼女を気にしていられる余裕はもうなかった。
「もしかして、星さんも何かを抱えていますか?」
「っ。まあ、そうかも」
「話してもらえませんか?お役に立てるかは分かりませんが、中に溜めたものを外に出すだけで軽くなるものですよ」
朝比奈も横に座ると、泰然自若とした態度で優しく接してくる。
そう聞いて少しだけ考え、話すのを決心し小さく息を吐いた。
「………と、友達を作る方法が分からなくて」
「友達の作り方、ですか?」
「いや、別に何か特別なことをしなくてもいいことは知っているのだけど、実際に友達が出来たことがないから、どうすればいいのか分からなくって……」
俺はありのままを話した。彼女にとって俺の言っていることは理解不能でもおかしくはない。普通に生活していれば友人などいくらでも出来るはずだ。だが、俺には意外と難しかった。
俺の話を真剣に聞いていた彼女は、薄く笑った。
「星さんは友達が欲しいのですか?」
「まあな。難しいが、頑張っているつもりだ。でも、いつかは出来るはずだ」
「そうですか。けど、私から言えることは一つです。そんな方法は存在しません」
「そうか………え?」
何かアドバイスしてもらえると期待していたのだが、いきなりその希望は打ち砕かれた。そのせいで反応が遅れた俺は、頭の中でエラーが起こりそうになる。
「正直言って私にも友達を作る方法はわかりません」
圧倒的強者である彼女が断言したのならそうなのかもしれない。理由は聞いていなかったが、朝比奈のその表情にはもう答えが見えていた。
「恐らく、星さんは形にこだわりを持ち過ぎているのです」
「……かもしれないな」
「つまり、星さんも硬派な方ですね」
ふんっ。とその大きな胸を張って、まるで伏線を回収したみたいに誇った。だからこそびっくりした。
俺が見てきた朝比奈ならばいつも通り穏やかで優雅に俺にアドバイスすると思っていた。けれど、今目の前にあるのは俺が見たことのない表情。そんな年相応な子供っぽいことをする予想はしておらず、ただ彼女に戸惑いの目を向けることしか出来ずにいた。
「どうかしましたか?」
「いや……朝比奈のそんな表情を見たことなかったから、つい見惚れてしまった」
「ふぇえっ⁈」
急に高い声をあげて顔が湯気を出しそうなほどに赤く染まって、それと同時に彼女の身体が一瞬だけ宙に浮き、そのまま壁までじりじりと退避してしまった。瞬きをすることを忘れた朝比奈に、つい変なことを言ってしまった俺は口を押さえて顔を逸らした。
別に深い意味はなかった。ただ聞かれてしまったせいで率直な感想を言ってしまったのが間違いだった。
「悪いな、変なこと言って」
「いえ、大丈夫です………」
声が震えていたのを、聞き逃さなかった。
「じゃあ、私戻りますっ!」
そう言って階段を早足で下りていく朝比奈の後ろ姿を眺める。
「ふぅ~」
再び静寂を取り戻した屋上前の階段で、心と体がぐったりと倒れた。
「これ……どうなっちまうのよ」
☆
「はぁ、はぁ」
階段を足早に下りて、鼓動が速くなるのをどこか遠くまで走ったせいにした。周りに誰もいないことを確認すれば、心の中から高揚してくる気持ちを一気に解放する。
「さっきのなにっ⁈見惚れてたぁ⁈」
頬は熱く、触れてみればやけどしそうだった。立ち寄った屋上に繋がる階段で出会った同じクラスの男子。いつも一人でいる根暗な生徒という印象でほとんど関わることはないと思っていた。
けど、クラスメイトと別れて一人で購買を見に行った時のこと。
「あの、まだアップルパイはありますか?」
「あら可愛い子。ごめんなさいね。もう今日は売り切れなの」
「そうですか………」
「あっ!そういえば、さっきあなたのお話をしたの」
「私の話ですか?」
「ええ。その子もアップルパイに興味があったみたいなの。けどやっぱり人気だからねぇ」
「因みにその人の名前は?」
「確か……星光くんだったかしら。屋上階段の方に歩いて行ったから追いかけてみて」
「えっとぉ……」
正直言って私はお腹が空いていたから人が少なくなってから食堂に行こうとした。けど、購買のおばさんが彼のことを言っていたから、一度だけ絡んでみてどんな生徒なのか確かめるだけのつもりだった。
最初は、ぶつぶつと独り言を話すおかしな生徒っていう印象だけ。その後は、友達を作れないという悩みを打ち明けられた。
意外と真剣だったから、私もそれなりにちゃんと答えをあげようと軽はずみな気持ちでいたけれど、それは間違いだった。
朝比奈のそんな表情を見たことなかったから────。
そう言われて恥ずかしさからここまで逃げてきてしまった。
「ちょっと待ってよ………」
あの光景を脳裏で思い出してしまい、その場にしゃがみ込む。
これまで男から口説かれたことは何度もあったが、大抵はその身体や容姿目当てで自分のことをちゃんと好きになってもらったことは一度もなかった。
けど、あの男子は一瞬の出来事を切り取って言ってくれた。見た目だけではなく、小さな感情をしっかり見てくれた。
それが何よりも嬉しかった。
「てか、見てないって言ったくせにしっかり見てるじゃん……」
これからどういう風に彼に接していけばいいのだろう。見られていると分かってしまえばずっとそちらに意識を向けてしまいそうだ。一度しか関わるつもりはなかったのに、どうしてこうなってしまったの。
でも、そんなのはどうだって良かった。
「……だめだめ。私にはやらなきゃいけないことがあるの」
初めて出会う小さな気持ちを見て見ぬふりして、再び覚悟を決めて立ち上がった。
「大丈夫だよ。ママ、パパ。私が絶対に復讐するから」
気がつけば、心の奥がじんわりと冷たくなるのを感じた。