朝比奈宙
今日から本格的に授業が始まり、五十分という時間が一日の間に何回も消化されていく。まるで面白みがないのは、俺が学校自体をあまり楽しめていないからだ。
授業が終われば、他の生徒たちは友達と楽しそうに会話していた。俺はそれを眺める。
だが、友達を作らなかった俺が結局のところ悪い。
四時間目が終わり、昼休みの時間になった。各々、親の真心が詰まった弁当やコンビニで買った菓子パンを食べている。それにこの学校には購買も学食もあるため、そこで購入して作り立てのものを食べている生徒がかなり多い。
一年生はこの学校にまだ慣れていないため、食堂に行く生徒はまだ少ないみたいだが、数日したらそんな初心な気持ちは薄れていくだろうな。
俺?俺は当然そんな場所には行かないさ。食堂へ一回下見に行ってみたが、一人で食べている人が全くと言っていいほどいないのだ。最低二人で食べなくてはいけない、と学校側が入場規制でもかけているのかを疑いたくなった。
なので俺は、手作りパンを売っている購買へ行ってみることにした。
「な、なんじゃこれは」
そこでは上級生たちがおしくらまんじゅう状態でパンの取り合いをしていた。至る所に敗者が尻もちをついて目をぐるぐる巻いており、勝者は悠々と教室や食堂に向かっていく。
学生のお財布問題が顕著だった。
すでに全ての商品が完売になっており、大きなバスケットの中は空だ。
「あら、見ない子だね。一年生?」
すると、白衣姿の女性が俺に話しかけてくる。
「はい、星光って言います。これから三年間常連になるかもしれないので視察に来ました」
「あらそうだったのね。でもごめんなさい。今日はもう売り切れなの」
おどけた謝罪と共に手首を振り下ろす。仕方のないことだ。
「タイミングが悪かったですね。何が売られているんですか?」
「焼きそばパン、カレーパン、アンパン、コッペパン。クリームパンや揚げパンも。サンドウィッチなんかもあるわよ」
「へえ~。中々豊富ですね」
全品百五十円とかなり破格の値段で販売されているため、先ほどの荒れ模様は納得だ。
「でも、一番の人気は……アップルパイかしら」
「アップルパイ……」
「このアップルパイはOB・OGのおかげで有名店から毎日取り寄せているの。それもかなり格安でね。一日五個までしか売ってないけど、もし良かったら食べてみてね」
「へえ。そういえばアップルパイってアメリカの国民的なスイーツなんですよ」
「あらそうなの?詳しいのね」
昔どこかで知ったことだが、豆知識にすらならない情報だ。
「同じクラスにアメリカとのハーフの女の子がいてつい思い出しちゃいました」
「なら、今度その子も連れてきてね」
そんな望みはいつか叶うものか。
会話を終わらせ購買を後にした俺が向かう先は、食堂でも教室でもない。
ではどこにいるのか。そう、屋上………の前の階段である。屋上は施錠されていた。
教室は中々居づらいし、食堂は言わずもがな無理。
俺には「一緒にご飯を食べない?」と言える勇気は持ち合わせていなかった。別に友達が欲しくないわけじゃない。ただ、最初の話す機会を逃してずるずるここまで引きずってしまった。その結果、今話しかけたら変なやつに見られないかな、と要らない心配ばかりする。
しかも、まだ始まったばかりの生活で失敗できないっていう気持ちだけが先行して人の目ばかり気にする。最悪だな。
理屈では分かっている。本当は思い込みだって。
でも、逃げ場のない学校だとより考えが窮屈になってしまう。
「あ~あ。どうしてこんな人間になったのだろう」
あと三年間これか?クラス替えをしてもこの結果になるのか?
「……終わった」
「────何が終わったのですか?」
「……………ん?」
階段に座って絶望に嘆いていると、どこからか可愛らしく聞いたことのある声が聞こえた。まさか俺に話しかけているとは微塵も思っていない俺は、孤独から来る幻聴だと判断して無視した。
俺はまだギリギリのラインで留まっている。自分がおかしいのを認めたくないという感情から来る抵抗。
「き、気にするな。何も聞こえない。俺は正常。そうじゃなきゃダメだ」
「………星さん?体調でも悪いのですか?」
俺の名前が呼ばれた。どうなっている?
「下を向いていると、星さんの表情が分からないです」
そういえば、現実を見たくはないが故に座りつつずっと下を見ていた。
「顔を上げてください」
俺はゆっくりと顔をあげ、理解が及ばない現実に目を向けた。屋上に繋がる扉のガラスから入ってくる光が、目の前にあったものを照らして神々しく飾り付ける。その眩しさから目を細めてしまい、睨み付けるみたいになってしまった。
「だ、大丈夫ですか?具合が悪そうですけど………」
「あ、朝比奈宙?」
陽の目が連れてきたのは、捨ててやりたい現実ではなくてうららかな春が似合う女の子。
さらっと靡いた黄金色の髪は月が落ちてきたのかと勘違いしそうになった。
彼女は俺を見つめ、少し首を傾げるとぱちぱちと瞬きをする。
クラス一の人気者である朝比奈がなぜここにいるのか。あまりの出来事に頭をフル回転させてこの現状を分析してみても全く繋がらない。いくら論理的に熟考したとしても朝比奈がここにいる理由にならない。
拗らせ過ぎた思考は、余計に疲弊させてくる。
「あれぇ?朝比奈……どうして?意味が分からない……」
「ほ、本当に大丈夫ですか⁈」
おかしくなった俺を見て、今度は朝比奈が慌ただしくなり始めた。
だがそれを見ることによって、俺は冷静さを取り戻す。立ち上がって、何もなかったかのように取り繕う。
「ああ。悪い朝比奈。寝不足だったからちょっと気分が悪かったけれど、今はもう平気だ」
「そ、そうですか?それなら良かったです」
胸を撫で下ろし一安心した彼女を近くで瞥見すると、改めてその美しさを実感する。
容姿や骨格が一般人とはまるで違う。同世代の人間と比較してみると顔が一回り小さくて、スタイルが抜群だ。遺伝もあるとは思うが、身体の至る所に努力の痕跡が見える。だからこの体型を維持できているのだろう。
しかも、何かいい匂いがする。
この学校は校則が緩いため、メイクやピアスをしたり髪を染めたりしている生徒を何度も見かけたりした。こんな自分磨きをしている彼女が香水を使っていてもおかしくはない。
「あ、自己紹介をしていなかったですね。私は朝比奈宙です。一年間よろしくお願いします」
自己紹介の後にニコッと微笑んできた。やばいな、可愛い。
「よろしく……」
「星光さんですよね。どうしてこのような場所に来ているのですか?」
「え?いや………ここが落ち着くというか」
階段のせいで朝比奈が上目遣いをしているみたいだ。落ち着くのはあながち間違ってはいないが、友達がいない教室の空気に耐えられなくなってここに来た。なんて恥ずかしくて言えない。
「あ~。確かにそうかもしれません。皆さん元気で素敵ですよね」
どうしてそんな達観しているのか気になる。
「というか、どうして朝比奈はここにいるんだ?ご飯は食べないのか?」
朝比奈は俺と違い、友達に囲まれながら学校生活を送っている。昼休みの時間となれば、ご飯を一緒に食べようと誘ってくるやつは有り余るほど出てくるのだろう。しかも、彼女がそれを断るとは思わなかった。
「ええ。ご学友の皆さんからも一緒に食べようと誘っていただけましたが、丁重にお断りさせていただきました」
「そうか」
「理由は聞かないのですか?」
「あまり話すのが乗り気じゃなさそうだったし」
断ったと告げてきた時、少し目線が下がったような気がした。何か事情があるのだろう。
俺が勝手に良い奴だと見なして彼女を勘違いしてしまっていた。
想像が独り歩きし過ぎてしまうのは俺の悪いところだな。
「ふふっ。星さんは優しいのですね」
「別に普通だ」
「そう言えば、この学校に入学して男の子とまともに話したのは初めてです」
「まあいつも友達に囲まれているみたいだからな」
「もしかして、私のこと見ていましたか?」
まるで誘導されたみたいに墓穴を掘ってしまった。朝比奈がそのような発言をするとは予想しておらず、表情には出していないが思わずぎょっとしてしまった。
人の扱い方が妙に手馴れている。
「いや、朝比奈のことを見ているのは俺じゃなくて俺以外の男子生徒だ」
「抜け方が上手いですね。私が思い違いをしていることにしましたか」
「ああ。にしても、朝比奈がそんなユーモアに溢れる人だとは思っていなかった。もっと硬派なタイプかと」
「確かに色んな方に敬語を使っていますが、昔からの癖が抜けないだけです。それに、いざとなった時に自分を守るためのものでもありますし、人との距離感を保つのにも便利です」
「やっぱりどこか硬いな」
高校生離れした生き方に何か壁を感じる。
昔からの癖が抜けないっていうのは、彼女は誰かに敬語を使っていたということか。まあ親なのだろう。ならば彼女の家は厳しかったりするのか。
この品のある佇まいや考え方からは、彼女が浮世離れしている人間だとひしひしと伝わってくる。人と合わせるのがつらいのか?